まだ診断はうけてないし、病院も、やっと、3年越しの夢、予約電話がつながり、予約が取れた。

会社の予定でぽしゃったらもうしんでやるって思うけど。

いまんとこ、行く予定なので、

どうして行こうと思ったのか、をせっかくなのでつづってみる。

 

私ってもしかしたらそうなのかな?って思ったのは、

当時の上司の一言、

「もしかしたら、そういうのは本当に病気な場合もあるんだよ、発達障害とかさ」

とかそんな一言で興味を持ったのがきっかけ。

 

 

 

小さいころから思い返すと。。。。。。

 

 

 

 

 

私は、いつも小さい時からなんか普通とは違うなーと思ってて。

 

小学校のころは友達がうまくつくれなくて、

特定の子と、すっごい性格が天使みたいな子とかは大丈夫なんだけど、

大多数の、女の子たちとは合わなかった。

 

友達たくさんほしいけど、なんか女の子特有の、

なんか闇?性格悪いじゃんキホン、女って。

そういうのがキライだった。

 

中高は、頭そんなよくないけど、小学校からある、私立の女子高に中学受験して通って、

そこは、すごく校則がアホみたいに厳しかったのと、一応お嬢様学校で通っていたので、

ちゃんとした家の、ちゃんとした子しかいなくて、

みんなすごくいい子たちだった。

もうひとつ、女子高受かってたけど、そこはもう試験の段階から、受験者の目つき?

なんか、すさんだ雰囲気がすごくあって、制服かわいかったからもうお金も振り込んでそこにきめようとしてたけど、

最後の最後で迷って、お嬢様学校にしたのがよかった。

楽しく過ごせた。

から、なんの問題もなかったけど、

高校2年から進学コースになって、勉強に全くついていけなくなったくらい

その進学コースにいくために、母親から、進学コースにいけなかったら終わりよ!!とか言われてたので、必死で勉強して、

いろんな科目はテストでクラス1,2番だった。

でも2年になったら、そういう子たちが集まってきて私はびりけつに。

高1のときってテストとか、全部教科書ちょっともじって、穴あき問題だったんだよね、だいたい。

だから、テキストを丸暗記してたら面白いようにとけたんだよ。

古典とかも、教科書にのってる原文?と、訳を両方まる覚えしてさ。

で、努力して勉強もできるようになったとか思ってたけど、

勉強できたんじゃなく、ただ暗記してただけだから、2年で応用になったりしたらとたんにだめで、

教科書以外のこととか、自分で自発的に進めなきゃいけないものは、一切できなくなって、

あー、あたしただまるあんきしてただけだったのか、と後々気づいた。

 

小学校のときも、3年生までは楽しく勉強できた。

中学受験も、当時はだいたい4年から通い始める。小3だと、おためし、みたいな感じで。

5人くらいしかいなかったし、楽しかった。

でも、4年生になって、巨大な学校みたいな塾にいくようになって、そこでもう全然授業についてけなくなって、

4~6年までは、ほぼちんぷんかんぷんで、国語とかはなんとかなったけど、算数とかはもう、

ただすわってるだけで苦痛だった。

 

その、座っててもちんぷんかんぷんなのは、

高校で2年のときからとか、大学受験のために塾もいってたけど、そこでもちんぷんかんぷん

宿題はほぼ、やってないとおこられるから、という理由で、かたちだけやったていにしていた。

回答をまるうつし、ところどころ違う答えをかいて、一応やったんだよっていうのが形にみえるようにしてた。

なんでそんなことするかというと、まともにやっても、何ひとつわかんないから。

算数がもう壊滅的にだめだった。

 

高校生は文系だったので2年からはなかったんだけど、塾にはあって、もうね、全然わかんない。

その時の先生も空気みたいな人だったから、ほんともうすわってるだけ。

 

でも当時はずっとそれが普通だったから、ほぼなんの疑問も抱かなかったんだよねぇ。

 

一番はじめのつまづきは、小学校入ってすぐのとき。

ほんと、入学してちょっとしたとき、掛け算かな?九九の表みたいのがあって

それが全く理解できなかった。

周りは全員理解してるっぽくて、なんであたしだけできないんだろう、わかんないんだろう、ってすごくイライラしたのを覚えてる。

 

大学も、興味ある映画論、とかはまともに聞いてたけど、

なんか、なんのために大学にいって、なんのためにその学部にいて、

てかとりあえず大学にいかないとこの世の終わりみたいな価値観の家庭だったから、

とりあえず入れるところにはいった。

本当は、心理学部とかいきたかったけど、

心理学部はレベルが高い学校しかなかった。からいけなかった。

大学でも、結果、英語、とってたドイツ語がちんぷんかんぷんになり、ついていけず、ドイツ語は必修じゃなかったから

もういかなくなってしまった。

英語も全くわからなくて、あまり授業にいってなかった。

 

大学生のとき、バイトをまぁ前述のとおり、色々したけど、

自分ではわりとちゃんとやってるつもりなのに、

入ってしばらくたつと、

私があまりにも仕事覚えないのが問題になってる、とか

悪気もないし、やる気はあるのはわかるんだけど、

もうちょっと覚えようよ、効率よく仕事しようよ、自分から動こうよ、

といわれることが常々。

夜のバイトでも言われたもんなぁ。

お客さんきたら、何だして、伝票どうして、とか開店準備はこのチャーム(だっけな、ちょっとしたお菓子)をこことここにいれて

とかそういうのが全くできなかったし

当時はメモをとるという概念が全くなく。

 

それで就活。

私はみんなが企業研究だ、なんかセミナー?なんか大きな会場で色々イベントあるじゃん、そういうのに必死で行ってる中、

一回もいかなかった。

就活スーツとヒールの靴をはくのは本当に苦痛で苦痛で。

その服装しなくてもいいのが、アパレル系しかなかった。

よってショップ店員。

もうみんな就職きまってるなか、なんかぼんやりフリーターになるのかあって思ってたら、

わりと有名らしい会社が新店オープンのために正社員とるみたいなのがすごく時期外れに、リクナビ経由かなんかでメールきてて

その会社のこととかなんもしらなかったけど、

一番最初の説明会?みたいなときに、レディスアパレル、とか、シューズ、とか、メンズ、とか、色々ジャンル選べたんだけど、

ジュエリーという分野があったので、

ジュエリーや時計、家具、このへんくらいかな、アパレルとか靴とか、しんでもやだって思ってたから、

宝飾1番にしたら、一番高いブランドにはいけなかったけど、低価格のブランドに配属になった結果。

 

面接は、

もう捨て身でうけにいったら受かった。

筆記もなく、いきなり面接官がいて、私に今あなたが身に着けているものを売り込んでください、というスタイルで、

かったばっかりのジャケット、店員さんにかなり接客してもらって買ったので、

それをまるごとコピーした。

あとできいたら、倍率が10倍くらいだったみたい。

もうギリだったし、切羽詰まった人達がたくさんいたかんじ?

 

 

で、会社はいったはいいけどそもそも接客大嫌いだし、

当時は自分からガツガツ話しかけに行け、というスタイル。

宝飾なんでほぼガラスケースの中に商品あるわけで。

そこをいかに、ケースから出して手に取ってもらうか、自分からガツガツいかないと怒られるんだよ。。。

ほんといやだったなぁ

 

新入社員のときはそういう感じできて、

最初は客数がかなり多い、忙しい、ちょっとやすめの宝飾ブランドに配属されて、

1日平日売上平均20万、って、今の時代からしたら、ノーブランドですごいことなんだけど。

しかも価格帯は3000円台から、上は10万とかまでの比較的低価格帯だけど、ほとんどがK18、そんな時代、

まだ、ノーブランドのジュエリーを、自分用に買う女性がたくさんいた時代。

 

そもそも、接客なんて大嫌い、というか、

コンビニとかで働いてたときはなんか思ってたっけなぁ。

少なくともキャバクラみたいな接客はもうウンザリだった。時給高いからがまんしてやってたかんじ。

ショップ店員とか、当時カリスマ店員とかいたけど、何が楽しくてショップ店員になるんだって思ってた。

華やかな読者モデルの子たちは有名ショップでだいたいバイトしてて、

この子たち絶対接客好きじゃなくてただ看板役として、お飾り程度にたってるのかなって。

ショップ店員とか絶対いやだったけど、正社員で就職しないととにかくヤバイと思ってたので

捨て身でやるしかなかった。

 

で、その最初のところではやっぱりうまくいかなくて途中休職もしたりして、

まぁそれはプライベートなことも要因だったけど、

仕事もキツい人いて。

 

でもそのつぎ、高価格なハイジュエリーブランド配属になって、

客数少ないけど、1客15万、30万、とかザラで

それがまだあってた。

入社したときから、あなたは高価格帯の、じっくり長く接客するスタイルのほうがむいてそうだね、っていろんな人にいわれたけど

それはむいてはなかったけど、客数が少ないじてんでまだラクだった。

のと、安い店とくらべてガツガツ話しかけに行かなくていいのがほんとうにラクだった。

ブライダルとかがメインで、目的もってる客層だったから、ガツガツいったら逆効果だからと。

 

そこではわりとなんとかやってこれたけど、

なかなかの問題児だったとは思う。

 

そのあとは異動したりリーマンショックで本当にびっくりするくらい宝飾がうれなくなって、

会社から消滅しちゃったんだけど。

 

 

で、その消滅直前、

また低価格、就職して配属されたのよりさらに安い、なんかもう雑貨?みたいな商品とかいっぱいあるところになってしまって

やる気もなくて、

もうこんな安いもの接客なんてしたくない、接客じゃないところにいきたい!!って思って、

でもうちの会社、ほぼ接客、、、、、だし、

あたしがいけるようなところは、と考えた結果、

 

唯一、風のうわさで、どうやら接客ほぼないらしいし、なかなか楽しいらしいよ、

と噂されていた部署があって、

そこに希望を出してみたら、通ったのである。

 

 

つづく。

女の子の話。2

テーマ:

待機席にいるメンバーは毎度おなじみなので、

そこで仲良くなったこたちがいる。

 

私が入店して1か月もたたないうちに、

2人の女の子がはいってきて、その子達も待機席に常にいた。

金髪入ったロングヘアで冷めた表情をした、すんごいベテランっぽい風格の子と、

その友達という、ショートカットのあか抜けない、というか普通の学生みたいな子。

 

で、今でも付き合いがあって年1回は会う、フミちゃんという女の子が

突然話しかけてきてくれたのだ。

「いつからいるん?」とかそんなかんじ。

フミちゃんはぱっとみすっごい怖い雰囲気で、

なんかもうスナックで経験つみましたみたいな風格がでていた。

怖そうな子だなって思ってびびってたからまさか話しかけられるとは思ってもなかった。

横に座られたりするともうこわくてこわくて 笑

どうやらフミちゃんは17歳くらいからいろんなキャバクラを渡り歩いているらしいけど

たぶん怖い雰囲気が生意気ととられるのか、よく嫌がらせにあう、とのことで

どこの店でもものかくされたりする、と言ってて、大変そうだなぁって思って。

実家もクラブ経営をしてて、日本海側のほうなんだけど、いまでも、

私が実家帰って梅田、とかであうと、キャビアを買って帰る。笑

その友達がいるところにはキャビアはうっていないのだと。

上のお姉さんたちにも生意気だとか言われてたのを聞いてへこんでたけど

彼女と話したりしないと、

すっげー怖い、愛想笑いとか媚びたり一切しない子なので、上からは生意気といわれてしまうのかも。

 

フミちゃんは、今でも普通にラインするし年1は会うから、

そしてこのキャバクラをきっかけに、次のお店も私が紹介、その次はフミちゃんの紹介、

とずーっと続くくらいだから、なんか気が合う。

実家も水商売、自身も若いときから水商売、と

(20年前とかそのへんは、ごまかして働いてる子は結構多かった、うちの高校にもちらほら。)

相当すれてそうなもんなのに、不思議とそれがなかった。

雰囲気だけで、雰囲気はもうベテランホステスみたいなかんじのオーラもあったんだけど、

中身は本当に普通の、優しい控えめな女の子。

 

フミちゃんは前のお店のお客さんも、わりと呼べてたから万年待機じゃなかったけど、

そのフミちゃんの友達のショートの子はやっぱり外見も全然水向きじゃなかったから

万年待機でその子ともすごく話したかな。

でもその子はちょっと、精神的にヤバイ子だったようで、

フミちゃんがこまってた。あたしは全然わかんなかったけどなぁ。

なんか、ホストとかにはまって風俗堕ちしそうな危うい雰囲気のある子だった。

 

 

 

あとはね、

チハルちゃん

私が入店してきたときはショートカットだったけど、

あるときから巻き髪のウィッグをつけだしたらものすごく指名本数があがってけっこう売れっ子になってた。

彼女も最初のほうは待機席にいることが多くて、

むこうから話しかけてくれて仲良くなった。

ショートのときは話したことなくて、でもウィッグだけで、ああこの子はこんなにカワイイんだ、とビックリした。

 

キャバでショートの子っているんだけどさ、昼職メインとか、

顔だちがキレイだもやっぱダメなんだよね。

「ウィッグしたらやっぱ指名ふえたー!すごーい!」といってたのが初対面だったかも。

 

元々カンジュアルっ子だったんだ、と写真みせてもらったら今と似つかない感じでびっくり。

チハルちゃんは大学生の彼氏がいて、

しかもなぜか、彼氏の実家に転がり込んで同棲をしていた。

両親にも嫌われてるし、彼氏の妹にもめっちゃ嫌われてて、

2人で同棲するために早くお金ためたいからキャバクラにしたんですぅ、みたいな。

送りの車のなかで、ショウコさんに「うわーファンキーやな!!!」ってビックリされてたもん。

しかもその彼氏の実家ってふつうに団地みたいなとこでさ、

いやあ、ぶっとんでる。

 

チハルちゃんも、すごくかわいくて。

ただ結構男癖が悪かった感じ?天真爛漫なんだけど。

そんでなんかもめて結局学生彼氏とは別れてたかなぁ。

 

 

あとはレイちゃん、

このへんチハルちゃんとかと仲良くて。

結構待機組、

レイちゃんは元々西中島あたりにあった、かなり大箱の学生専門キャバみたいなところの待遇が悪くて

流れてきた子だった。

友達から紹介されたっけなぁ。

レイちゃんは、セーラームーンにでてくるセーラーマーズ?にそっくりだった。

ものすんごいサバサバして、ユッキーナみたいなかんじ。

こういう子はいなかったので、話すのが楽しかった。

私みたいな暗いキャラの人間にもガツガツ話しかけてくれた。

彼女もお客さんを結構よんでいて、待機組ではあったけど、アフターとかよくしてたり、

むかえにきてもらったりしててのっけてもらったなぁ。

レイちゃんはホストの彼氏がいて、

個人の携帯はいつもつながらないから、店に電話してた、いつも。今でもその店の名前と彼の名前、憶えてる。

レイちゃん騙されてるのでは、とか思ったりもしたけど、

今思えばどうやら本カノだったんだろうと思う。

「いやいや、普通に合コンしてヤツから告ってきたんやで!うち店にも来るなって言われてるしなぁーお金とかも出したことないし。

どこか遊びに行っても客にみられたらヤバイからって離れて歩かれるもん、ほんまムカツクわ!!」って。

よく彼氏の愚痴をいっていた。結構人気のホストだったみたい。

ホストとかいったこともないし、よくわかんない世界だったけど多分レイちゃんは本カノだったんじゃないか、と思う。

 

 

ミサちゃん

女子大キャバ嬢。

レイちゃんの友達で、同じ別のキャバから流れてきた、

ミサちゃんをはじめてみたとき、すっごいカワイイって思った。

ガチ神戸嬢って感じだった。ミサちゃんもすごくいい子だったなぁ。

お客さん、けっこうもってて、持ち物がいつもゴージャスだったなー

 

レイちゃんの友達はみんなガチ神戸系でしかも、すっごいあか抜けたかわいい子が多かった。

キャバクラって、土地とか店によって女の子のカラーが全然違うんだなぁと。

レイちゃんの友達のなかには私が今までみたなかのクソ美人リストに入るような子もいた。

京橋のお店はすごくふつうっぽい子でも働いていい感じだった。

昼絶対事務員とかやってるんだろうなみたいな地味な人とかもいたしさ。

元ヤンみたいな、スナックのママとかチーママみたいなのもいれば、

普通な清楚系もいるし、ギャルはほとんどいなかったなぁ。あれはあれでおもしろかったし

だからこそ私も一定期間在籍できたんだと思う。

 

 

チエちゃん

私より2か月後くらいに入ってきた、カワイイ女の子。

普通っぽい感じの子だけどすごくかわいい子で、話しかけてきてくれた。

すごくいい子だったんだよなぁ。水商売はじめてやねん、って。

たしか、独断で大学やめちゃって、親にもうしらんから自力で暮らせとかいわれて、、、

っていう感じだったと思う。

途中ですぐブレイド?コーンロウ?ヘアになって、、、

もうガチのやつ。エクステつけてすんごい長いの。

彼女はクラブが大好きで、その髪型にしたかったのだと。

すっごい似合ってたけど、普段表に出てこない店長に呼び出されて喧嘩して、

すぐやめちゃったんだよなー

 

 

そんなかんじかな。かかわりあったり印象的だった女の子たち。

 

ボーイさんたちもすごく個性豊かで

なんかすっごいわけありな雰囲気をまとっていて寡黙な男性がいたんだけど、

その人はかなり大きな暴走族の総長だったとか、

リスト、っていう受付みたいなカウンターみたいなとこがあるんだけど、

そこはわりとおじさんたち、ボーイとはいわないのかな、幹部?

その人たちはわりといい人達だった。

何年かあとに、そのうちの一人がなんか、薬かなんかでつかまってニュースにでていたとかきいた。

そんな雰囲気微塵もないオジサンだったのに。

あともう一人は長年ミヤビさんと不倫中だときいた。子供もおろしてるとか、何度も。

なんでよりによってミヤビさんなんだろうか。。。

 

 

 

 

5か月くらい働いて、突然店長に呼び出されて。

こわかったなぁ、北島三郎をもっとギョロ目にしたかんじの。

キャバクラとかのオーナーってあんな感じの人が多い気がする。当時。

で、もう明日からこなくていいよーみたいな感じでサラっといわれて。

ビックリして固まってたら、理由だけは言ってくれたっけな?

ここ2か月間で本指名ゼロだと。そんな子はさすがにお給料はらえない、みたいな。

その時に多分、私と同じような人があと2人くらいクビになったらしい。

友達とかフミちゃんはそのままだったな。

 

ごもっともで、出勤してたしかすぐだったけど、誰にも何も言わずに帰ったっけ。

ああ、ついにきたか、ってへこんだけど、

女としてダメだと烙印をおされたようで、悲しかったし、

突然もうこなくていいから、かえってとか、ひどすぎる、とか思ったけど

解放されてスッキリした。

 

もうこんな客層悪いヘンなオジサンばっかのとこにムリしていかなくていいんだ、

接客大嫌いなのをもうしなくていいんだ、と。

学校のかえりにこんな遠いところまでいかなくてもよくなるのか、と。

 

 

今でもあのビルあるのかなあ。

なかなかカオスなビルだよほんと。

入ってるテナントほぼ全部風俗店、かろうじて横はフィリピンパブだったけどね。

 

ちょうどおとといあたりにその友達とラインしてたから今度帰ったら、チラ見してみようかな。

ボロいからもうなくなってそうだけどねぇ。

待機席にいるメンバーはいつも決まっている。

 

万年待機はもれなく私だ。

呼ばれずこのままラストまでいれれば4時間で1万円もらえる。。とか思いながら。

 

指名皆無の私でも、出勤したら1万円以上はもらえるのだ。

週3回でたら12万円。大学生でおこづかいももらってたから、

余裕だった。

 

当時は神戸系ブランド大人気で、今みたいにGUでいいじゃんみたいな風潮も皆無、

そもそもファストファッションがなかったから、トップス1万、スカート1万、コート5万円以上、

靴1万以上、みたいな世界ですごくお金がかかった。

からほとんど洋服代だった。

 

あと化粧品も、今みたいにプチプラでいいのもそんななかったし、

プチプラなんて高校生までみたいな感じだった。

 

アイシャドウは全部シャネルだったし、とにかく全部がデパコスだった、

それに疑問もなかったし。

 

そして周りの子たちがヴィトンだエルメスだ、と持ってて、

やっぱいいなぁと思って、

ブランドものにも興味がでた。

 

みんなが出勤したがらないクリスマスや年末年始に出勤だけはしまくって、

はじめてプラダのバッグをかったときは本当にうれしかった。

いろんなお店をまわって、気に入ったのがプラダのドクターズバッグ。

予算13万円くらいまでで、最後シャネルのデニム地のアコーディオンバッグとまよって、

そっちにした。

 

そこからどんどんブランド熱が高まっていって、

さすがにエルメスとシャネルは別格すぎて高かったから手が出なかったけど

まぁエールラインやニュートラベルラインくらいなら手は出たけど、正直あんな布に8万とか出す気はなかった。

彼氏も相変わらずいなかったけど、

いる子たちより高いブランド品を持つことでちょっとこころの隙間が埋められた。

 

お金カツカツだったけど、

今の10倍くらい買い物してたし、値段が全部高かったなぁ。

ライブも頻繁にいってたし。

 

普通の大学の友達が一生懸命バイトしても時給800円とかの世界で、

でもこっちはただ待機席にすわってるだけでその3倍以上もらえる。

 

あわせて15万くらいになっていたドコモのパケ代の滞納分を支払ったときは本当にスカっとした。

2か月くらいでねん出できた。

 

はらったとき、横に居合わせたヤンキー2人組がびびっていた。。

 

 

私の外見もアップグレードしていた。

どっからどうみてもキャバ嬢やなって言われたり、

キャッチされたりするとき、水商売やってる前提で話がはじまるのが

とても誇らしく思えた。

 

当時は、あか抜けたキャバ嬢になりたかった。

 

前髪をつくってみたら、ものすごく女の子ウケがよくて、髪もちゃんとまくようにして。

 

相当きばってた。

まぁ当時の流行がきばって女を意識したファッションをきる、という感じだったからな。

 

疲れるよほんと。今とか天国だよ。