初夏の日差しが、高校から帰宅途中の私を容赦なく照らす。喉が渇いた。
私は自動販売機にコインを入れた。ボタン総てにランプが点灯して、眩い輝きを放つ。
その中の炭酸ソーダを迷うことなく押すと、下の方で転がり落ちる音がする。そして、当たり抽選のルーレットが回りだす。無機質なシンセサイザー音がゆっくりとカウントダウンを告げる。
「ピーー」
当たった?! 一旦は消えたはずのボタン総てが、再び点灯する。
しかし、私は呆気にとられて戸惑ってしまう。
「ど、どれにしよう」
当たるなんて夢にも思わなかったので、どうしてよいのか判断できない私がいた。
「もぉ。じれったいやっちゃなぁ」
不意の言葉に、アタフタする私は更に混乱した。
「三十秒経ったら、当たり消えてしまうねんで」
焦らされた私は、適当にブラックコーヒーのスイッチを押してしまった。――絶対飲めないのに。
っていうーか喋った? この自販機。最新型の機種なら、まぁ喋る事もあるのかなと自分に言い聞かせて出てきた飲料を二本とも取り出した。
「ありがとさん」
お金を入れて普通に選ぶ時には話しかけないくせに、当たったら話しかけてくるのか。
「変なヤツ」
そう言って、こつんとボタンを叩いてやった。
「イタッ、乱暴やな姉さん」
えっ……一瞬頭の中が真っ白になる私。
「大事にしたってや、まだまだ商売せなあかんのやで」
コイツ、いやこの自販機はショックセンサーまで付いているのだろうか。
それより「姉さん」って言わなかった?
怪訝な顔をして自販機を見つめていると、ふと昔テレビの企画で素人を驚かす番組を思い出してしまった。確かあれは自販機に音声スピーカーを仕掛けて、傍で仕掛け人たちが見ていたはずだ。
「聞いてるんかいな。姉さん」
「えっ」
やはり違う! 今度は間違いなく喋った。というのも下の取り出し口がパクパク動いているのだ。そんなバカな。
「俺は喋れる自販機や。ビックリするのも無理は無い」
――逃げた。脱兎のごとく逃げた。買った飲料なんか放り出して。何だあれは。あんなものがこの世に存在するのだろうか。
○ ●
俺は、自動販売機。当たり機能付きや。自分で言うのもなんやけど、飲料が十本×三段も入る優れもの。
俺は、町の駄菓子屋に置かれている。駄菓子屋のじいさんは凄い人や。実は大当たりを考案したのは、このじいさんなんや。といっても、俺についてる様なルーレット式のとは違う。じいさんは、この当たり機能が付く前から大当たりを思いついてたんや。
普通の自販機あるやろ。それに「大当たりつき」ってでかい紙をはったんや。
それを見た近所子供らが、こう言うんや。
「おじいちゃん、大当たりってなんや」
そしたらじいさんはこう答える。
「それは内緒や。当てたら分かる。それが大当たりや」
子供らは、興味深々で自販機にお金入れよるで。それでも大当たりはなかなかでてこんわ。それはそうや、大当たりなんやから。
子供らは、悔しいけど好奇心旺盛やからまた次の日お金もってくるねん。
そしてついに大当たりが出たんや。その子がもう何十本目のジュースを買った時や。
ゴトンって大きい音がして、自販機の取り出し口を開けたらな。そこにはなんと、おもちゃの缶詰があったんや。子どもらはもう興奮してえらい大騒ぎや。
「やったー大当たりや」
じいさんはその顔が見たくて、大当たりを考えたそうや。
そしてその噂が町中に広まって、駄菓子屋はえらい繁盛したんや。
そしてじいさんは当たりも考えたんや。大当たりが余りに珍しいから、当たりも作ろう言うて。当たりは、ジュースの蓋の所に「当たり」って書いてあって百円玉が付いてるんや。それでも当たった子は大騒ぎや。学校行ってみんなに自慢するんやで。
そのじいさんはずいぶん前に亡くなってしまった。丁度普通の自販機の変わりに俺がここに置かれてからすぐや。置かれてからすぐに、じいさんは俺に言うたんや。
「お前が、ワシの後を継いでや」
俺はこの言葉を忘れへん。じいさんの形見やと思うてる。
その為に、俺には当たり機能が付いてるねんで。
● ○
――起きた。私の部屋。ベットの上。夢を見た。何だあの夢は。自販機が当たってから喋る?
「ふふふ……」
我ながらおかしな夢を見たものだ。私は豊かな想像を膨らませている事に自嘲した。小説家にでもなろうかしら。
さぁ、さっさと顔を洗って学校に行かなくては。私は自宅の二階から慌てて駆け降りた。
晴れ渡る空、柔らかい日差しが心地よい。そよぐ風が、新緑の香りを運んでくる。
登校中、例の自販機の前に差し掛かる。田舎道なので他に誰もいないし、駄菓子屋もまだ閉まっている。
少し緊張して、自販機の前を通り過ぎる。
「おはよ。姉さん」
――やっぱり。喋ってる。なんか嫌な予感がしていた。夢にしては生々しい記憶だったもの。悪戯にしては、手が込みすぎているし。ある程度の心の準備は出来ていた。
「あんた、何者?」
恐る恐る話しかけてみた。
「俺は喋れる自販機や。昨日、言うたやろ」
彼、いや、喋る自販機だからジハンでいいか。
ジハンは、バクバクと取り出し口を開閉させながら器用に喋った。
慣れない。絶対この光景だけは、一生慣れたくない。
「そ、その喋れる自販機が、私に何の用?」
油断なく探りを入れてみる。
「昨日当たりやったやん。商品忘れてるで。ほれ」
そういうと、開いた口から昨日の炭酸ソーダとブラックコーヒーをはき出した。
「あ、そうだった」
ついうなずく私。
「また贔屓にしてや。当たり易くしたるさかい」
「ありがとう」
それが、ジハンとの初めてのまともなやり取りだった。私は、この事を誰にも言わずに黙っていた。だって、誰にそんな事を相談する事ができるだろうか。
それからというもの、学校の行き返り。必ずここを通る私は、ジハンと話をした。始めの内は警戒していた私も、一週間、二週間とジハンと話すうちに徐々に慣れてきた。寧ろ可笑しな大阪弁で喋るアイツの事が、親友の事のように思えてきた。
「あんた、他の人に話しかけたりしないの?」
「俺は、当たったヤツにしか話しかけへん。これポリシー」
「何よそれ。じゃあ、あんた目見えるの? 耳は聞こえるの?」
「目? 何だそりゃ。上手いのか? 耳は聞こえるで、高性能マイク内臓やで」
「あら、可愛らしい私が見えないなんて残念ね」
「おいおい、自販機にそんなもの必要あるんかい」
突込みまで出来るんだね、ジハン。
「じゃあさ、いつもどうして私が来たってわかるの?」
「そりゃ、姉さんいつもいい香りしてるさかい」
「あんた、匂いわかるの?」
「なめんな! 犬にも負けへんで」
「自販機にそんなもの必要あるんかい!」
私は突っ込み返してやった。
ある雨の日、いつものように帰宅中の私。
ジハンが犬に吠えられている。慌てて私は、傘で犬を追い払ってやった。
「おおきに。姉さん」
「ははん、やはりジハン怪しすぎるから犬に吠えられたんでしょ?」
目を細めて皮肉っぽく、言ってやった。
「違うんや、アイツションベンかけよったさかい。どついたろかワレー言うたら。吠えてきよってん」
「あはははは、ジハンえんがちょ」
そんなやり取りがいつまでも続けられる、私達はそう思っていたのかもしれない。
○ ●
その日の夜は、いつもより静かだった。満月が、真昼なら太陽がいるであろう場所に鎮座する不気味な夜。
私は胸騒ぎのようなものを感じて、なかなか寝付けなかった。それでも何とかベットに横になって目を瞑ろうと努力していた。ふと、眩暈のような感覚に襲われた。
――刹那、突き上げるような振動が、あらゆる物という物を薙ぎ倒すかのように襲い来る。地震だ。かなり大きい。
実際は一分足らずの事だったのかもしれない。しかし、私には何十分もの長い間揺れていた様に思えた。
真っ暗闇の中、乱雑な部屋が満月に薄っすらと照らし出される。父は、母は無事だろうか。
「お父さーん。お母さーん」
隣の部屋に駆け込み、寝ているはずの父と母の安否を気遣う。
「何て大きな地震だ。芹菜(せな)は大丈夫か?」
父は大きな声で答えてくれた。母も怯えてはいるが、何とも無いようだ。
家中の電気と言う電気は止まっているようだ。電灯は点かない。
取り敢えず、余震が来ないうちに安全な所に避難しなくてはならない。私達家族は、すぐ近くにある小学校の校庭に避難した。
小学校には、近所中の人々が集まっていた。友達も何人かいた。みんな無事だった。
しかし、私には気がかりな事があった。ジハンは無事なのだろうか。
いつの間にか体育館で眠っていた私は目を覚ますと早朝の通学路をジハンを探しに出かけた。
一夜明けた町は一変していた。倒壊している建物。折れ曲がった電柱に引きちぎられた電線からは火花が散っている。道路には家の壁が倒れて、一台の車が通れるスペースも無い。
この惨状を目の当たりにすると、ジハンへの心配はいよいよ強くなっていった。
そして、いくつかの角を曲がって大通りに出た瞬間、私は、驚くべき光景を目の当たりにした。
通りに面して並んであるいくつかの自動販売機に群がる人々、そして怒号。
――その人々は、自動販売機を金属バットで叩いたり、足で蹴飛ばしたりしていた。
中身を取り出そうとしている。それは理解できた。しかし、やり方が余りにも無残ではないだろうか。私は、ジハンと同類の自動販売機がぼこぼこに殴られ、蹴られてプラスティクケースが粉々になっていく様を見ていられなかった。
――走れ。私は、自分に言い聞かせた。ジハンの所へ。ジハンは、無事なのだろうか。
お願い神様、ジハンを守って……
○ ●
「ジハン! 無事なの? 大丈夫?」
やっとの事でジハンの所へたどり着いた私。
「姉さん、来てくれたんやな」
倒れてズタボロになって、今にも壊れそうなジハンが言った。やはり大丈夫ではなかった。
「当たり前じゃない。私達友達でしょ」
「ありがとう。姉さん。友達や言うてくれて」
「途中で自販機を荒らす人たちがいて、私本当に心配したんだからね」
私は、半泣きになってジハンに詰め寄る。
「<自販機災害時開けて飲んでいい法>って知っとる?」
「何よそれ」
「災害時には、自販機の物を勝手に取り出してもいいって法律」
「何でそんなものが……」
話の途中でまた揺れが起こる。大きい余震だ。
「もう時間が無いねん。俺の頭頂部にある緊急停止レバーを引くんや」
ジハンの体あちこちから火花が飛んでいる。無残にプラスチックケースもひび割れている。
「それじゃ、あんたはどうなるのよ?」
「俺は……動かんなるけど、もうどの道助からんから」
「なに言ってるのよ。そんなこと出来るわけ無いじゃない」
「俺の遺言やで……」
ハッとした。いつの間にか私は泣いていた。
「さぁ、レバーを引いとくれ。覚悟はとっくに出来てるさかい。俺のお腹には何百って飲料がはいっているんや。こいつがあれば、みんな何日かは凌げるはずやさかい」
「バカバカバカ、私を置いて逝くなバカ」
「俺は人間のために作られた物なんや。それが幸せってもんやで」
私は、思い切りジハンの胸で泣いた。零れた涙がジハンを濡らす。
「おじいさんの跡継ぎが、おらんなってしもうたなぁ……」
ジハンは心残りを口にする。
バカバカバカ。お前は立派におじいさんの後を継いだわよ。こんなに立派な自販機絶対他にはないわよ。私は、そう伝えたかったが、声にならない。
私は、そんなジハンに敬意を表さなければならない。意を決するときが来たのだと自分に言い聞かせた。でも。残酷だよそんなの……神様。
「ありがとう。ジハン。さよなら……」
私はやっとの思いで、ジハンの気持ちに答えるべく最後の別れを紡いだ。
「最後に大当たり引いてや……」
――緊急停止レバーを引いて、ジハンの息の根を止める。
後には自販機の残骸と、大量の大当たりともいうべき飲料が残された。