コミュニケーションの難しさよ… | 『そうだね』って言えるまで〜日々の気づきと

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美味しい物を食べて
少しだけぼーっとした時間と
寝心地の良い寝具があれば
幸せ。

私が思う自分の弱点はコミュニケーション能力の低さ、というか乏しさです。


ブログを初めて数年経っていますが『ブロ友さんが…』というワードが私のブログで見られないのは、このコミュニケーション能力の乏しさの結果なんですよね笑

(友とか烏滸がましい、私が勝手に好意を抱いているブロガーさんはいます。)



コミュニケーションが苦手な私ならではかもしれませんが、好みのコミュニケーションのパターンがあります。

例えるとコミュニケーションが100か0、そういう感じ。


100とは

深い話から浅い話までガンガン語り合えるパターン(久しぶりに会う旧友、ママ友、親しくしていた上司、恩師との対話)であり


0とは

沈黙でも維持できる空間の(お互い窒息しない)パターン。(夫との空気感)



もっぱら、私の日常で存在する居心地の良いコミュニケーションのパターンは、


適当な相槌とツッコミが混在しながら

その話題を速攻で忘れる程度のパターン。


(夫、子供、親友等はこのパターンで、数時間過ぎています。)



コミュニケーションが成り立つには、何が必要なのか。精神科医の斎藤環氏は著書の中で次の通り述べています。

『コミュニケーションとは

情報の伝達」と

情緒の伝達」という二つの機能がある。

何事かが確実に伝達されるには、この二つの配分やバランスが重要になるだろう』


『「情報の伝達」は

子供(知能の高い子供)でも可能だが

情緒の伝達」すなわち、

相手の感情を的確に読み

(または的確に読み誤り)

こちらの感情を正確に伝える

(または正確に伝え損なう)ことは、

一定の人間経験と成熟度が欠かせない為、子供(未熟なもの)の能力では難しい』



ここで挙げられた『情緒の伝達』が、私は下手くそで…難しいのです。


親しく無い相手、初対面の人や、店員の方等のサービス業従事者、医療関係者等とのコミュニケーションの場合は、出来れば『情報の伝達』に重きを置きたいです。

バランス良く『情緒の伝達』とするとなると…さて、何を差し出す?、この場に相応しいものは?と思い悩み…


悩む理由は、私は相手のリアクションを意識し、時によっては警戒、怯えてしまうからです。


事実や知識である『情報の伝達』には、私のキャラクターは、ほぼ反映されていないので、相手のリアクションがあったとしても、事実や知識に対してだと認識して、スルー出来ます。


けれど『情緒の伝達』には、私のキャラクター、内面、人生経験から出てくる感情の言葉です。

相手のリアクションを良くしたいと思うせいでしょうか、綺麗事や笑い(ウィット)、自分を卑下し相手を持ち上げる等の装飾を加えた、よそ行きの自分で伝えてしまうのです。


つまり自分の素の感情を正確に伝える事が出来ていないと言う事です。


また相手のリアクションを気にするという事は、どういう状態になるか。

私の場合は、終始、瑣末な事象を注視してしまう。その為に核心である相手の感情を読み誤ってしまう、そんなリスクがあるコミュニケーションになってしまうのです。



目下の私のクリアすべき点は『情緒の伝達』のこの「よく見られたい」という癖を直すことであり、そして目指すのは『情緒を伝達』する際に、差し出す言葉に奥行きがあること、表層的でない深みを増すことです。


最近の私は、(やや)人嫌いな面を解消したいと思っていて、また新しい人間関係の構築から逃げたくないと思っています。
現状の自分を改善するのは、なかなか難しいのですけど…