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回想-青春の雨音1-9

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2004-12-06 10:47:04
俺が毎日のようにけんかに明け暮れ、中学2年の番長格になったと
はいっても、所詮けんかの相手は実力が同レベルか、俺より少し強
いと思われる相手を選んでけんかをしていたのであって、板垣のよ
うなあきらかに強いと思われる別格の男とはけんかしたことがなか
った。

それが2学期が始まって間もなくのころ、滝田というクラスは違う
が同じ中学2年の男が、別のクラスの番長格の一人であるSという
男を伴って、俺の家に突然現れたのだった。

滝田は身長が180センチ近くあり、中学2年ですでに黒帯を締め
る柔道部の猛者である。
その身長から小学生時代も目立ってはいた。
ただ板垣のような器用さはなく、また性格もおとなしいことから、
けんかしている姿というものを見たことがなかった。
その男が突然俺の家の玄関に現れ、俺を外に呼び出したのである。

「お前、おれをやるんだって?」
家の脇の路地に連れ出すなり、滝田はすごい形相でいった。

俺は平静をよそおいながら、頭の中はどぎまぎしていた。
以前、東京からきたあの男に聞いた「けんかのやり方」の話で、
けんかは先に仕掛けた方が勝つ、という話を思い出していた。
不覚をとった、と俺は思った。

「やんなら、いまやろうぜ」
と滝田はどすの効いた声で上から見下ろしながらいった。
付き添いのSは、滝田の後ろの方から俺の方ををじっと見ていた。

実際、最近になって、俺のけんかの相手は格が上がってきていた。
それを滝田は感じ取って、先に仕掛けてきたのだろう。
また、俺は柔道部の何人かを殴り倒しているので、その仕返しに
来たのかもしれない。

俺はまだ何と言うべきか整理がつかないまま、
「いったい何のことをいってるんだ? 俺には何をいっているのか
さっぱり分からん」
と少しおどけていった。

「ある男から聞いたんだよ、お前がおれをやるって言っていると」
「誰だい? そいつは?」
と俺は聞いた。
「いや、名前はいえない」
と滝田はいった。

「俺がおまえをやるなんて、いうわけないじゃないか」
「……」
しばらくにらみ合いが続いた。
俺は、こいつとここでけんかになった場合の光景を空想していた。
どういうふうにやつをやりこめばいいのかを…しかも素手で。
2対1、相手は柔道部の猛者。勝てそうな材料はなかった。
やはり、けんかは先手必勝だ。仕掛けた方が勝つ。

しばらくすると、滝田は、
「いいか、もし今度おなじようなことがあったら、ただじゃおかな
いからな」
といい、するどくにらみつけてから、帰っていった。
Sも黙って滝田に従ってきびすを返した。

俺はしばらくその場に立ったままでいた。
握り締めた手のひらには、汗がにじんでいた。
そして俺の胸中は敗北感に満ち溢れていた。
(次号へつづく)
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回想-青春の雨音1-8

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2004-12-04 18:29:17
板垣有は小学校の時からその存在は目立っており、スポーツ万能で
けんかも強く、同学年の中ではその存在は図抜けていた。
その男が同じクラスになるというのだった。

俺は落ち着かなかった。
板垣との接点はこれまで一度もなかった。
同じクラスになったこともなければ、隣のクラスになったこともな
い。とにかく情報が不足していた。

情報を集めるにも、彼はいつも遠いところにいた。
そして光を放っていた。

中学2年で同じクラスになってから、俺は一波乱起きるのかもしれ
ないと覚悟を決めていたのだったが、平穏な日々が続いていた。
一波乱は俺だけでなくクラスの誰もが、いや学年中がそう思ってい
たことだったろう。

しかし、平穏な日々は延々とつづき、1学期の修了をむかえた。

板垣は存在感はあるが、けっして荒れることはなく、ようするに隙
というものを作らない男だった。
どちらもけん制し合っていたためか、様子見とでもいうのか、1学
期はそういう期間だった。

俺はクラスではおとなしくしていたが、クラスの外では相変わらず
殴り廻っていた。
学校の登下校のときなどは、あくたれのガキどもが寄ってきては、
「おれを仲間に入れてくれ」などと頼み込んで、勝手に俺のあと
をついてきた。その人数がいつの間にか20人くらいに膨れ上がっ
ていた。

俺もそんなやつらを手先につかって、生意気なやつらを校外に連れ
出し、人気のない河原や林の陰で殴りつけたりもしていた。が、

しかし、元来俺は群れるのが嫌いな人間だった。
また、子分が増えたからといって、親分然としていられる性分では
なかった。
子分連中を連れまわし、おごってやったり、おごらせたりというこ
とができない人間なのだった。
それになにより、そういう資金がなかった。だからといって、カツ
アゲなどをやり資金を調達する気もなかった。

しだいに俺は後をついてくるやつらや取り巻き連中がうっとうしく
なっていった。
やつらは俺の下校時を昇降口や校門近くで待っていた。そして頼み
もしないのに後ろをぞろぞろとついて来るのだった。
やつらは友達でもなんでもなかった。俺のそばにいた方が安心とい
う打算のやつらばかりだった。
そんなやつらの裏をかき、はぐらかすために俺は学校の裏口から出
ては一人で帰ったりもした。

そんな毎日を送っている俺にとって、板垣の存在は静かなものだっ
た。
それがかえって異彩で異質で特別な存在に思わせていた。
静かな雰囲気をただよわせながら、それでも強烈な光を放っている
存在、それが板垣だった。
板垣も取り巻きやら子分というものを持ってはいなかった。
いつも一人でありながら、孤独感というものもない。
不思議な男の存在だった。

そんな板垣の生き方を俺はうらやましく思いはじめていた。
(次号へつづく)
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回想-青春の雨音1-7

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2004-12-03 08:13:26
男が中学2年の冬、町中を震撼させる事件が起きた。
彼をこころよく思っていなかった中学3年の番長グループ4人によ
って、かれは刃物による重症の傷を負わされてしまったのである。
これは当時としては異例の大きさで地方新聞の記事をかざった。

約1ヶ月の入院の後、男はこの町から姿を消した。
男がこの町にやってきてから1年も経っていなかった。
小学6年になろうとしていた俺にとって、その男とのことは忘れら
れない時空間となった。
男が東京へ戻ったのか、また別の町へと越して行ったのかは分から
ないままに俺は小学6年生になった。

小学6年になった俺は、あの男の教えてくれた「けんかのやり方」
を手本どおりに実践に移していった。
あの男の残してくれた強い男の雰囲気というものが、いつしか俺に
も備わっていた。
中学に入る頃には、クラスの番長程度にはなっていた。

中学になると、よその地域からも当然入学してくる。
俺の強さを誇示するために、マンボズボンをはいて、中学1年の1
年間は手当たりしだいに殴り倒していった。
二つ年上の俺の次兄が中学3年にいるというのが俺には都合よく働
いていた。
普通中学に上がると、上級生に目をつけられて中学1年生は萎縮し
てしまい活発な行動はとれないものである。その点、あまり強くは
ない次兄ではあったが、それでも俺にとってはありがたい存在とな
っていた。

中学1年も3学期になるころには、学年の番長格になっていた。

あの男の言ったとおり、ここはという派手なけんかを1、2度人前
でやっておくと、それを見たやつらが他のやつらに話して伝わり、
その後も噂となって広範囲に広まって、「あいつは強い、恐い男だ」
となって定着していくのである。
そのせいか、体格も大きく、実際は俺よりも確実に強そうなやつで
さえ、俺を恐れ、ぺこぺこし出した。闘わずして勝つというのは、
このことかもしれなかった。

そして迎えた、中学2年のクラス替え。
体育館に張り出された紙の同じクラス欄に、気になる男「板垣有」
の名前があった。
(次号へつづく)
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回想-青春の雨音1-6

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2004-12-02 11:11:27
俺のけんかの方法はある男の指導によるものだった。
俺自身はけっして強い男ではなかったのだ。
むしろ小学3年生頃まではいじめられて泣いてばかりいたのを覚えて
いる。
体力的に優れている板垣などは運動会で何の競技でも1等賞をもらっ
て目立っていたのに比べ、俺はこれまで一度も1等賞というのをもら
ったことがない。
俺はむしろ虚弱児童に近かった。
転機が訪れたのは、俺が小学4年生の冬、3月の中ごろに家の近所に
東京から中学2年のある男がK中学校に転校してきたことからはじま
る。

男がなぜ東京から東北の田舎町の中学校に転校して来たのかは謎だっ
たが、その男の存在が田舎町の静かな中学校に大きな波紋を広げてい
ったのである。

まず服装だった。当時まだ田舎町では見かけなかったマンボズボンを
持ち込んだ。マンボズボンとはズボンのすそが細くなった形のズボン
である。
男は上背もあり、体格もがっしりしていたから、学生服のマンボズボ
ン姿はかなり目立った。
そのマンボズボンはまたたく間にK中学校に広まっていった。
また、人なつっこい笑顔と話術で友達を増やすと、これもまたまたた
く間に中学2学年の番長的存在となって行ったのである。

小学5年生になった俺は、近所に越してきた異質なお兄ちゃんに興味
を抱き、いつの間にか男の家にたびたび遊びに行くようになった。
男は東京から家族で越して来ていたわけではなく、祖父母にあたる家
へ一人でやってきていたのだった。
なぜそうなのかなど、その辺の事情は子供の俺にはわからなかった。
男もまた、なぜこの町に来ることになったかなどの話をしてはくれな
かった。ただ近所に知り合いがいないせいか、俺をいつも快く迎え入
れてくれた。

あとで判ったことなのだが、男は4月から中学3年になるべきところ
もう1年間中学2年生を繰り返しているようであった。

男は時おり映画に連れて行ってくれたり、散歩や買い物などにも弟の
ように連れ回した。
男が町に出ると、いつもきまって同級生や不良学生たちが男に挨拶を
交わし、すぐに取り巻きができた。

彼はどこに行っても中学2年のリーダーであり、英雄のようだった。
その彼は俺を弟だといって取り巻きに紹介してくれた。
俺も悪い気がせず、その男といっしょにいることが気分よかった。
毎日学校から帰ると、その男のもとへと駆け出し、じゃまになるくら
いまとわり付いていた。
俺が小学5年の秋ころ、男が何を思ったか、けんかのやり方について
教えてくれたのである。

けんかは派手にやった方がいい。多勢の見ているところでやった方が
みんなに自分の存在と強さを印象づけられるから宣伝効果があるとい
うのだった。
また、けんかは自分から仕掛けた方が勝つ。
仕掛ける方は作戦を立てられるが、仕掛けられた方はどぎまぎするだ
けだから、よほどのことがない限り負けることはない、というのだっ
た。それから、けんかは自分より少し強いやつを相手にすること。
自分より弱い者をいくら相手にしたって上には行けないというのであ
る。教えられたのは、この3つだった。
(次号へつづく)
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回想-青春の雨音1-5

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2004-12-01 16:45:18
3年生になってから、俺と板垣は教室での授業中よく詩を書いて過ご
した。
周りが高校入試に向けて本格的に勉強に取り組み始めているさなか、
就職組である俺と板垣は授業中詩作のための空想にふけっていた。
そうでもしてないと教室での長い時間を過ごすにはあまりにも退屈で
あった。

番長格の二人が、ノートに詩を書いているとは、あまり想像しがたい
ことかも知れないが、二人は放課後や、休日などに詩の書かれたノー
トなどを見せ合っては喜んでいた。
これも板垣の発案で始めたことであったが、退屈な授業時間をやり過
ごすための一種の遊びだった。

板垣という男のことを少しここに書いてみよう。
同学年500人ほどいる中で、板垣は群を抜いて体力的に強かった。
小学生時代からよく上級生と取っ組み合いのけんかをしては勝ってい
た。
それでいて性格は粗暴ではない。むしろどっしりとした雰囲気を持つ
親分肌の静かな男なのである。
笑うと人なつっこい顔になり、また、シャイでおしゃれな男でもあっ
た。雰囲気的には当時人気があった石原裕次郎に似ていた。
よく二人で映画を見ると、「似ている、似ている」と俺はいった。
名前も板垣有といい、漢字こそ違うが、ユウと読み、同級生の女から
は「ユウちゃん」と呼ばれていた。

俺の方はというと、気性はむしろ短気な方で手が早く、気が付けば相
手を殴りつけているといったタイプだった。
体も板垣に比べて細く、雰囲気的には自分でいうのもなんだが、裕次
郎のあとから出てきた痩せた小林明といったところであったろうか。

板垣とは過去に一戦交えそうになった経緯はあったが、いつの間にか
気が合い、気が付いた時には友情が芽生えていた。というより、板垣
とはやりたくないといった気持が俺の方にはあった。

詩作の他に、俺と板垣は時間があると実践的なけんかの方法などを研
究しあったりして過ごした。
しかし、板垣はもともと体力的に優れており、特別にけんかの方法な
どを研究しなくとも強い男だった。
それに比べれば、俺の方は体格的にも体力的にも劣っており、勉強そ
っちのけでけんかに勝つ方法ばかりを考えていた時期がある。

俺と板垣が現れると、学校のどこの場所でも空気が変わった。
体育館であろうと、廊下であろうと、教室であろうと、騒ぎまわって
いたやつらが急にシーンと騒ぎをやめた。
無視したり、騒ぎまわっていたやつらの一人が知らずに俺らの体に触
れたりしたものなら、俺の鉄拳のえじきになった。
俺らが歩くと、道先が潮のように引いて道が現れた、そんな感じだっ
た。
(次号につづく)
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回想-青春の雨音1-4

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2004-11-30 15:19:20
高校受験を決めたとはいっても、受験日まで3、4ヶ月を残すだけと
なった日々を、いまさらどのように対策を講じてよいのかもわからず
俺は相変わらずだらだらとした日々を送っていた。

そんな中、担任の阿部悟郎は俺を職員室へ呼んだ。
「桜木、お前、高校受験するって言ったんじゃないのか?」
「そんなら、なんで補習受けないんだ? とりあえず受けろ、なっ?
頼むよ…。時間がないんだよ、時間が」
阿部悟郎は安っぽい腕時計を指先で叩きながら懇願するように言った。

中学では、3年生を受験組と就職組とに分け、受験組は補習授業対策
がとられていた。
俺は就職組のはずだったが、「受験組にいても就職試験は受けられる
から」という担任の勧めで名前だけは一応受験組に名を連ねていた。
板垣は完全に就職組に入っていた。
俺は受験組に入っていたといっても、これまで1度も補習授業に顔を
出したことはなかった。

学校での補習授業は連日放課後の2時間と、最近では日曜日も4時間
の補習授業が行われていた。

進学組は学力ごとにAからEまでの5クラスに分類されており、俺は
悪い方から2番目のDクラスに分類されていた。
まだ開いたこともない補習用の真新しいテキストを携えて、その日か
ら俺は受験組の補習授業を受けることになった。

勉強という生活スタイルをこれまでとってこなかったせいか、俺の体
のあらゆる部分が拒否反応を起こした。
黒板に先生が書く内容が理解できなかったばかりでなく、先生の声が
俺の耳にも脳みそにも届いてこなかった。
(次号へつづく)
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回想-青春の雨音1-3

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2004-11-29 12:04:16
高校を受験することに決めた俺の胸に、ある理想がよみがえってきた。
Y県の山深い内陸部に育った俺は、幼い頃から海というものに強く惹
きつけられていた。
商売をやっているために、親に海へ連れて行ってもらったという記憶
はないが、親戚の子供らに混ぜてもらって、毎年の夏、日帰りの海へ
海水浴に行っていた。
よく幼心に、海の近くの町に生まれていればよかったのに…、と幾度
となく思ったか知れない。

高校を受験するかどうか迷っていた頃、町の書店で立ち読みした受験
雑誌の中で眼に飛び込んできた文字「商船高校」。
海、海原、太平洋、外国航路、港町、国際港、船、商船、2等航海士
船員、船長、などなど、何という響きのよい言葉だろう。
もしなれるのであれば、こういう職業の人間になってみたい。
子供心にそう思ってきた心のわだかまりが、「商船高校」という文字
を眼にしたとき、現実味を帯びて俺の前に現れたのだった。
そういう道もあったのか…と。
「商船高校」という言葉の存在もそれまでは知らなかった。

翌日学校に行くと、職員室の担任のところへ行くなり、
「俺、どうせなら、商船高校を受けてみたいんだけど」
と言った。
担任の阿部悟郎は、眼を丸くして、「こいつ何言ってるんだ」という
ふうな顔をしてから、
「何で?」
と驚いたふるえる声で言った。
俺は、昔から言い出したら引かないようなところがある。
担任もその性格を知っていたから、
「そんなこと、今頃言われても…」
とぶつぶついいながらも、受験校資料を棚から持ち出してきて、
ぱらぱらとめくって探しはじめた。
資料が見つかったらしく「え~と、願書締め切り日はと、」と開いた
ページを指先で追っている。
「あった。まだ間に合うが、大変だぞこれから」
と俺をメガネの奥から迷惑そうににらんだ。
受験校は「富山商船高校」に決め、早速願書を取り寄せることになっ
た。

願書を送ってから、商船高校というのはかなり学力がないと入れない
ことが判った。
担任の阿部悟郎もそのあたりを心配して「大変だぞこれから」といっ
たのだろうが、頭をこすりつけて高校受験を頼んだ以上「お前の学力
では無理だ」とは言うにいえなかったのかもしれない。
俺も願書は出したものの、受かるという自信はほとんどなかった。

結局、俺の高校受験は、富山商船高校の外に、滑り止め用のI私立高
校と、兄も通っている地元の県立K高校の3校と決まったのだった。
(次号へつづく)
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回想-青春の雨音1-2

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2004-11-28 16:24:19
マツダ自動車Y営業所の就職試験は板垣が受かって俺は落ちた。

それからしばらくして、トヨタ自動車の就職試験もあり、そこも
板垣と共に受験したが、そこも板垣は合格して俺は落ちた。
その後2ヶ所の就職試験を受けたが、結果は板垣の一人勝ちだった。
4ヶ所ほどの結果をみて、俺はかなり落ち込んでしまった。
そしてあせった。
俺にとっては中卒は金の卵でもなんでもなかった。
1クラス55人、1学年で9クラスもあり、高校進学率は60%程度
の時代、クラスの約半数が就職組であった。
団塊の世代といわれた俺らの学生時代は、進学も就職も大変な時代
の中にあった。

高校受験か、就職か?
就職試験が全敗の俺は、どのようにすべきか迷っていた。
悪たれ仲間の石田は大工見習いの道を選んでいた。
そんな時、担任の阿部悟郎が家にやってきた。
「桜木君この通りだ、たのむ、進学組に入って高校を受験してくれ」
そういって、親の前で頭を畳にこすりつけて俺に頼み込んだ。
高校受験の申込期間が1週間後に迫っているというのだった。
いや、受験申請の期間だったかどうかは余りにも昔のことなので
定かではない。
だが、何かそのようなことを言われたように記憶しているのだ。
「先生、そんなやめて下さい、正座なんかして」
母は、かしこまって受験をすすめる先生の態度におどおどしていた。
「先生がそこまでいうんだから、覚悟を決めろ」
父の眼もここは逃がすものかといった力の入った眼をしてそう言った。
「わかった、受験するよ」
俺はそれだけいうと、茶の間を後にした。
もう就職試験に自信を失っていた俺は、逃げ場を完全に失っていた。
「いや~、桜木くんには…」
担任の阿部悟郎の笑い声が、玄関口の俺の背中まで届いた。
父の笑い声も聞こえた。

俺は板垣への義理は果たしたという思いもあった。
就職試験全敗の俺の姿を見て、板垣もばつが悪そうな感じになってい
た。自分は受けるところ全てに受かっていたから、俺にかける言葉に
も気を使いはじめていた。
考えてみれば、中学卒業後の就職活動とは、板垣に歩調を合わせた結
果にも思えていた。
俺は最初から進学でも就職でもどっちでもよかったような気がする。
ただ、俺は板垣が好きだった。だから同じ道を歩んでもいいという
思いがあったのだ。
(次号につづく)
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回想-青春の雨音1

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2004-11-27 20:41:34
「中学卒業だけで就職するなんて、もうそんな時代じゃないんだよ。
なに考えているんだお前は」
父の怒りは最高潮に達していた。
男だけ三人兄弟の末っ子。上の兄は二人とも高校へ行っていた。
5歳離れた長男は、すでに高校を卒業し家業の牛乳販売店を継いでいるが、
2歳年上の次男はまだ地元の県立高校へ通っていた。
俺はうっすらと目を閉じ、板垣のことを思った。
俺と板垣は高校へ行かないことを暗黙のうちに約束していたのだ。
同じクラスの板垣はK中学の番長格で、すでに高校へは行かないことを決めていた。
板垣とは2年のクラス替えで一緒のクラスになってから、
番長格同士ということもあってこの2年間ともに行動を一緒にしてきたのだった。
そんなことから、俺の腹は板垣同様、就職組であった。
ただ、父や母に向かって、まだその決心を口にはしていなかった。

何日かおきに、父は高校進学を口にしたが、しだいに口うるさく言うことはなくなった。
戦後樺太から引き揚げてきた父は苦労人である。
裸同然で3人の腹をすかしたガキどもを引き連れて、
命からがら故郷であるK市へ引き揚げ、苦労に苦労を重ねたあげく、
牛乳販売店を開き、それを発展させて軌道にのせたのである。
牛乳販売店の開設は俺が小学校へ入学した年であった。
その姿をみて育った俺は、父をある意味で尊敬していた。
その父が、末っ子の俺を大学まで行かせることを夢み、
そのための学費を貯蓄していることは家族の誰もが知っていた。
その父の夢を打ち砕く辛さを身にしみて感じてはいたが、仕方のないことだった。
そんな気持だったから、俺は当然受験勉強などもやらなかった。
また、高校へ行く意味も見出せなかった。

それから数日後の10月のなかば、
隣町の県庁所在地であるY市にあるマツダ自動車Y営業所の就職試験があり、
板垣と共に俺も就職試験を受けに行った。
まだ中学卒業での就職組を「金の卵」と呼ぶ名称が残っている時代だった。
(次号につづく)
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RAG FAIR Yosuke Hikichi

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