2006-10-31 08:12:44

【青春の轍-1-6】

テーマ:ブログ

私は終戦直後に生まれた、いわゆる団塊の世代である。


同世代の芸能人には、北野たけしや、吉田拓郎などがいる。
タモリは私の次兄と同じ年齢で、終戦の年の生まれだ。


戦後もだいぶ遠くなってしまった。

終戦などという言葉も一般的でなくなってきている。
太平洋戦争。


そういえば先日、アメリカで制作されたばかりの映画「父親たち
の硫黄島」というのがテレビで紹介されていた。
あのダーティーハリーのクリントイーストウッド監督で76歳だと
いう。


私の父が今書いている「青春の轍」に登場しているが、私の父も
三回も戦争に狩り出されて(召集されて)中国大陸を歩兵として
歩き回っている。
父らの世代は、青春時代は戦争とともにあったのだ。


私は不思議と父から戦争の話を聞くのが好きだった。


でも戦争が好きなわけではない。
父の思い出話を聞くのが好きなだけなのだ。


---------------------------------------------------------
【青春の轍-1-6】


父の紙芝居の話には後日談がある。


どうしても腑に落ちない俺は、前作「青春の雨音」にも登場した
例のコンニャク屋の和哉さんにもその件で確認してみた。

すると和哉さんは父の紙芝居を見たことがあるといった。
「そうだよね?やっていたよね?」
と俺はやはり幻ではなかったことを心の中で小躍りしながら喜ん
だ。


和哉さんに、母や長男はそのことを知らないんだよ、と俺は不思
議そうにいうと、
「伯父さんの紙芝居は半年くらいしかやらなかったからなぁ」
といった。
その他にも和哉さんはこんなこともいった。

「伯父さんはあの紙芝居で町のテキヤともめたらしいよ。紙芝居
にも縄張りがあるらしく、それを知らずに伯父さんはやったもん
だから、多分上前を取られたか痛めつけられたんじゃないかな」


さすがの俺もそこまでは知らなかった。
「へぇー、そんなことがあったんだ…」
と相槌を打ちながらも、母や長男も知らないことを知ってる和哉
さんをすごいと思った。
しかし、何故そんなことを和哉さんが知っているのか?…
俺はそんな疑問もわいてきたが、それよりも父の紙芝居が幻想で
はなかったことだけでも嬉しくて、和哉さんへの疑問は封印して
しまった。
ただ和哉さんは俺の父が好きで、よく二人で話している姿を思い
浮かべることができる。
そんなことから、俺たちの知らないことを和哉さんが知ってても
不思議ではないのである。


ちょっとここで、俺たちと和哉さんの関係を話しておきたい。
父は兄弟姉妹が8人いて、俺の父は男兄弟5人の中の三男で和哉
さんの父が四男だから俺の父の弟にあたる。


男兄弟5人いる中で、桜木家の本家を継いでいるのが四男の和哉
さんの父なのである。

時代は大正時代。
長男は東京へ出て都電の運転手をしているハイカラだった。


桜木家は俺の父が小学生の頃に現在M市の田舎から一家総出で今
のK市へ引っ越してきたのだという。


その原因を父から聞いたことがあるが、俺の祖父、いわゆる父の
父親が博打で田畑を全て失い、残った山だけでは生活できないの
で、その山を二束三文で売り払い、逃げ出すようにしてK市に移
り住んだのだという。


その金を元手にK市でコンニャク屋を始めたのだというのである。
そのコンニャク屋の商売が当たり、俺が物心がついた頃には和哉
さんの家は町内でも金持ちの部類に入っていた。
(次号へ)

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2006-10-30 08:34:54

【青春の轍-1-5】

テーマ:ブログ

思い出は、いい思い出の方がいい


いい思い出の数が、その人の人生の豊かさを物語るからだ


でも、


人生、いい思い出ばかりでないのが普通である


---------------------------------------------------------
【青春の轍-1-5】

そんな貧しい中で、父親はいつも俺らを食わせる為に働いていた。
今振り返ってみても、俺は父親と遊んだという記憶が無い。
一時はそんな父親を責めた時期もあったが、可哀そうな父親だっ
たんだ…と気づいたのは、既に父は他界し、俺は大人になってか
らのことである。


父親はとにかく一日も休まず年間を通して働いていた。

父は製糸工場でトラック運転手をして働いていたが、残業は当た
り前で、一緒に夕飯を食べるのは珍しかった。
そんな父は会社勤めの傍ら、夏場は休日を利用して自転車でアイ
スキャンデーを売るアルバイトをしていた。


父は時折自転車を止め、アイスキャンデー売りの鐘を鳴らす。


俺らは家の近くを通る父を追いかけ、アイスキャンデーをねだる。
父は仕方ないといった表情を見せながらも、俺ら3人にアイスキ
ャンデーをくれるのだった。

俺は箱の中がどうなっているのかが気になり、よく父に抱き上げ
てもらいアイスキャンデーの詰まった中を覗かせてもらったが、
冷たい冷気とともに流れてくるあの甘い木の香りが好きで、あの
香りは今も脳裏に強く残っている。


春や秋はリヤカーを引いての味噌や醤油の商い。


冬は、字の上手な父は、町の小学校を巡回しながらのゴム長靴へ
の金色のエナメルによる名前書きもしていた。


寒い学校の廊下に並べられた長靴の中で、時折凍える指先に息を
吹きかけながら、黙々と正座して様々な長靴に名前を書き入れて
いる父の姿は印象深いものがある。

小学生時代、俺はそんな父が恥ずかしくって、アイスキャンデー
の時のように近づくことはしなかった。
時折トイレに行く俺を見つけた父は声を掛けることもあったが、
友達に気づかれまいとする俺は、そんな父を無視して小走りに走
りすぎるのだった。


また父はあるときは神社の境内などで紙芝居をしている姿を見か
けたこともあるが、先日まだ生存している母にそのことを確認す
ると、85歳になる母は、そんな話は知らないといった。

俺は母がボケていると思い、65歳になる長男にも確認したとこ
ろ、長男までもが同じくそんな話は聞いたことが無いといった。


ということは、あれは俺の幻か、それとも幻想ということになっ
てしまう。
次兄にも聞いて確かめてみたいところだが、次兄は20年も前に
38歳の若さで亡くなっているので確認のしようがない。
(次号へ)

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2006-10-29 11:22:01

【青春の轍-1-4】

テーマ:ブログ

ジェネリック医薬品という名前がようやく知れ渡ってきたよう
ですね。


テレビのCMの力は大きいです。ただまだよく分からない人の
為に解説すると、いわゆる特許の切れたどこの製薬会社でも自
由に作ることができる医薬品のことです。

そのために特許料が無い分安く市場に出回ることが可能になり、
患者の皆さんも医療費の負担が軽く済むのだそうです。


それはいい話でめでたしめでたしなのでしょうが、実は私の妻
がある病気で定期的に病院通いしていてある程度の薬ももらっ
て帰るのですが、ある日急にこれまでの薬がジェネリック薬品
に変更になったのです。

ジェネリック薬品の割にはそんなに安くはないわね、などと話
してたのはいいのですが、飲んでみたら全身に発疹が出て体調
もさらに悪くなってしまったのです。


私も三日目にはジェネリック薬品を止めさせ、病院へ相談に行
かせました。
病院ではその薬はジェネリックに全面的に変えてしまったので
以前の薬の処方は出せないというのです。
その病院は町でも大きな市立の総合病院です。


妻はやむなく以前の薬のために病院を変えざるをえなくなりま
した。
今は紹介された町の個人医院へ通ってますが、診察料はじめ

余計な薬も処方されて何もかもが高額になったのです。
そんな訳で妻の医療費はジェネリックのせいで、我が家の経済

を圧迫するようになってしまいました。

これって、少し変ですよね?


---------------------------------------------------------
【青春の轍-1-4】

それからというもの、俺は気持ちの中で勉強と決別した。


俺はいつ死んでもいいように生きることを決意し、それにはどの
ように毎日を過ごすべきかを考えた。
しかし、小学生のガキが学校に行く以外にやることなど何もない
のだった。

今の時代のようにテレビゲームやパソコンなど無い時代だったし、
テレビは白黒放送がようやく3年ほど前にY県でもNHK放映が
開始されてはいたが、俺の家にはまだ無かった。


話を5年ばかり前の6歳当時まで戻すと、俺の家にはラジオも無
かった。
父親は樺太から3人の幼子を連れて裸同然で引き揚げて来たので
家の生活はとても貧しく、厳しいものがあった。


安長屋に住む俺ら家族は、隣の家から聞こえてくるラジオを聴い
て娯楽の時間を過ごしていた。

今思えば嘘のようだが、中でも連日放送されていた人気番組「笛
吹き童子」が始まると、俺ら兄弟3人は隣の家のラジオを聴くた
めに壁に耳を押し当てたものである。


当時の思い出の中でも、飛び切りの強烈な思い出をひとつご披露
しよう。

貧しい我が家では一匹のウサギを木の箱に入れて飼っていた。
動物好きの俺は餌係を引き受けて可愛がっていた。
一年もしないうちにウサギは大きく育った。

ある日学校から帰ると、いつもいるはずのウサギが木の箱にいな
かった。
俺は母親に聞くと、母親はよそにくれてやったという。
「何で俺に内緒で…」
と小学2年生だった俺は涙を流しながら母親を責めた。


その夜のこと、父親が風呂敷に包まれた大鍋を飯台の上で開き蓋
をとって中を見せた。
鍋の中にはピンク色の肉の塊が鍋いっぱいに入っていた。

俺にはその肉があのウサギの肉だと直感で分かり、声を上げて泣
きだしたのだった。

子供の前で見せたことを母に咎められた父は、
「違う違う」といったが、あんなピンク色の肉はこれまで見たこ
とが無かったから、俺はウサギの肉以外に考えられないのだった。


その事件以後、俺は今でもウサギの肉は口にできない。
(次号へ)

AD
いいね!した人  |  リブログ(0)
2006-10-28 11:09:06

【青春の轍-1-3】

テーマ:ブログ

今回の再スタート「青春の轍」では、物語の前に自分のコメント
を入れるようにしてみました。


前作の「青春の雨音」ではいきなりストーリーから開始して、自
分のコメントはその部の最終章の後に一文だけ気持ちを解説して
入れたに過ぎなかった。

でも、それではブログというよりも小説になってしまう。


ジャンルが違うという忠告があった訳でもないのだが、今回再開
するにあたって、少しだけ解説も交えたコメントを入れてみるの
もいいかもしれないと思い至ったのです。

一種のファンサービスと思っていただきたい。
などとファンがいるのかいないのか分からないちっぽけな一ブロ
グ作者が、そんな思い上がった気持ちでもないのだが、少しでも
作品を理解してもらう上での一助になればという思いですので、
煩わしいときはコメント部をジャンプして、読み飛ばして下さい。

---------------------------------------------------------
【青春の轍-1-3】

そのような訳で健康診断を受けてない俺だったから、その後の夏
休み前の水泳禁止者の発表で、俺の名前が呼ばれることはなくな
った。


丁度うまい具合に4年生になる時にクラス替えがあり、担任が変
わったことも幸いした。


だけど、健康診断から逃避しているだけで、俺の気持ちに整理が
付いた訳ではなかったから、俺の頭の中ではあの命の哲理が常に
渦を巻いていることに変わりはなかった。

そんな俺は、いつ死ぬのか?いつ死ぬのか?…と、びくびくしな
がら小学生時代を過ごしていたのである。


特に小学校6年のとき、俺のクラスに俺と同じように心臓病リス
トに載っているT君が、学校で授業時間中に眠るように死んだ事
件があってからというもの、次は俺の番だと真剣に死との恐怖に
向き合わされてしまった。

「先生、T君が眠りながらおしっこしてる!」
と叫んだ羽島妙子の教室中に響き渡った声が、数日間俺の頭から
消えなかった。

最後尾に座らされていたT君の方から、一条の黄色い液体が、俺
の座る中間の辺りまで流れてきたときの情景を、今もしっかりと
俺の記憶に残っている。


いつもと違う先生の対応に、突然ざわめき出した教室の皆に、
「皆は自習していなさいね!」
といい残し、慌しく教室を出ると、しばらくして教頭先生を筆頭
に4人の男の先生が駆けつけてきて、T君は一旦床に寝かされて
から体を横にされたまま教室から運び出されたのだった。

しばらくしてからバケツを手にした先生が戻ってきて、T君の流
した小便を雑巾で拭き取った。
「T君はどうしたの?」
と数人の生徒はそんな先生に詰め寄ると、
眼を赤くした先生は、
「今病院へ運んだから、皆は勉強を続けましょう」
と下を向いたままいった。

T君の死は翌日になってから教室の皆に知らされたのだった。
死因は心臓麻痺と先生はいった。


心臓が悪い人は、水泳をしなくとも死ぬことを知った俺は、
T君の死後、命のはかなさを知ると同時に、ますます命の摂理と
死の恐怖を抱え込んでしまうのである。


そんな日常を送る俺だったから、もう勉強どころではなかった。
勉学の存在は俺にとってたわいもなく小さく、意味のないもので
しかなかった。

まったく、死んでしまったら勉学なんて何の意味もなさないのだ
った。
(次号へ)

いいね!した人  |  リブログ(0)
2006-10-27 18:14:18

【青春の轍-1-2】

テーマ:ブログ

今回「青春の轍」を書くに当たって、気分を一新する意味からも
背景(スキン)を変えてみた。
何事もそうだが、節目や区切り目にどこかを変えてみるのはいい
ことだと思う。


でも一箇所を変えてみると、あそこも、ここもと、ついにタイトル
までも変更してしまった。
タイトルと背景が変わったのでこれまでのイメージとだいぶ変わ
ってしまった。


私がアメーバブログに登録したのが2004年の11月だから、
あれから約2年になる。
2年前のあの当時、アメブロの会員数は約2万5千人だった。
私の「青春の雨音」は書き出しランキングは1万1700位から
のスタートである。


最初の頃は連日書いては投稿していて、翌12月には1600位
くらいまでにランキングを上げた。
しかし翌年に入ってからすぐに体調を崩し、ピタッと投稿の数も
減った。


あれからもうすぐ2年である。
今年も2月からこのブログをホッタラカシにしていて、ようやく
昨日から再開したが、ランキングは総合で8万9000位まで落
ちてしまった。

一時はランキング上位を目指したが、今はマイペースで楽しんで
書いて行きたいと思っている。

---------------------------------------------------------
【青春の轍-1-2】

幼い幼児はともかく、小学生くらいになると世の中のことが少し
は理解し始めてくる。


それも障害を持っている子供や、病気を持っている子供は、他の
健常者と違って、世の中の矛盾を幼くして肌で感じてしまう訳だ
から、一般の子供よりは大人の感性を持つ。

それは触覚といってもよい。

感性のするどい触覚だ。

特に命に支障を来たすような病気の子供は、世の中の矛盾の他に
命というとてつもなく捕らえどころの無い哲学の世界を背負う。


俺も小学生低学年にして、命の哲理というものを考えるようにな
っていた。


生命の謎…死んだら一体どうなるのだろう?…


人間はどうして存在するのだろう?…


世の中って一体何のために存在するんだろう?…


それよりも人間はどうして生まれてくるの?…


俺は夏休み前のあの屈辱的な水泳禁止者発表という舞台から逃避
したいと考えるようになった。

そのために考えたのが、学校全体で行われる定期的な健康診断を
受けないことにしようということだった。

健康診断のある月をすっかり頭に入れた俺は、その日が来ると学
校を休むのだった。

親に咎められると、学校を早退して帰ってしまう作戦に出た。


担任からは決まって後日再検査の日時を知らされるのだったが、
俺はその日も同じように学校を休むか早退して健康診断を受けな
かった。

だから俺の小学校の健康診断は4年生からの記録が無い。
今では考えられないことかもしれないが、当時一学級が56人も
いる時代だったから、気にもとめられずにすり抜けることが出来
たのかもしれないと今思っている。
(次号へ)

いいね!した人  |  リブログ(0)
2006-10-26 15:53:03

【青春の轍-1-1】

テーマ:ブログ

自分の物語を書くということは、思っている以上にかなりしんどい
作業であると私は前回の「青春の雨音」を書き終えた段階でも書
いた。
それは人生は一人で生きているわけではないところから来ている。


自分の物語を書いたつもりでも、登場人物が必ずいる。
それらの人達のことをどう書けばいいのか?…
一言でいうならば、迷惑を掛けてはならないということである。


自分では迷惑を掛けているつもりはなくとも、その人にとってみれ
ば迷惑かも知れないのだ。
真実を書けば書くほどその悩みというか壁に突き当たる。
でも、人のことばかり考えていたら何も書けなくなってしまう…。


---------------------------------------------------------
【青春の轍-1-1】


小学生時代、夏休みが終わると2学期の始業式の体育館で、夏休み
中に事故で亡くなった生徒の名前が発表され、壇上の先生の合図で
全生徒が黙とうを捧げる。


亡くなった者の殆どは水死である。
毎年2、3人は必ずいた。


プールも無い時代だったから、水泳をするには河原や沼へ行くしか
ない。
水泳という言葉すら使った記憶が無い。
ほとんどの者は「水浴び」といった。そんな時代だった。


「水浴びは沼では絶対にしないように…」
夏休み前の先生は必ずそういった。また、絶対に一人では行かない
ように、ともいった。

沼は表面の水温は温かいが、足の方に向かうにしたがって水温が下
がり冷たい。その温度差によって心臓麻痺が引き起こされるのだと
いう。


それでも沼へ出かけるのは、河原の泳ぎ場にはその地区のガキども
の縄張りがあり、よそ者は近寄りがたい雰囲気があったからである。

早く泳いだ者の勝ちという図式もあったが、大抵はその人数で決ま
った。

隣地区の学校も異なる奴らとの水浴び場の縄張り争いは、時には両
岸を挟んでの石合戦にもなった。

大小の石の塊がビューんビューんと飛び交った。
俺は敵の礫を頭に受け、見る見るうちにボール大に膨らんだタンコ
ブに驚いたこともある。


ただ俺は、自由に泳げる奴らがうらやましかった。


小学生の俺の夏は憂鬱な季節の始まりだった。


俺は小学校に入ってからずっと毎年のように水泳禁止者のリストに
載っていて担任の夏休み前の発表では必ず俺の名前が読み上げら

れた。

水泳禁止者は眼の病気で当時流行っていたトラホームの者が主だっ
たが、俺は心臓病でリストに載っているのだった。


だから、俺の小学校時代の思い出は暗い。

人間は心臓が動いて生きているのだから、その心臓が病気で、そし
てその心臓が止まったら死ぬ。

小学生の頭でもその程度は考えられたから、心臓病というのは生き
ていく上で致命的な病気として俺の中にインプットされてしまった。


だから、俺は、いつも死を意識していた。


でも、死とは無縁の元気な小学校のクラスの中で、夏休みをとてつ
もなく待ち焦がれてはしゃぎ回る仲間の中で、先生の口から発表さ
れる水泳禁止者に俺の名前が毎年のようにきまって読み上げられる
のは、当人にしか分からないであろう…、プライドを傷つけられ、
ひどく惨めで虐げられる思いだった。
(次号へ)

いいね!した人  |  リブログ(0)
2006-10-17 11:15:48

青春の雨音を書き終えて…

テーマ:ブログ

【青春の雨音-三部作を書き終えて】
随分と間が開いてしまいました。気が付けばもう今年も終盤です。
青春の雨音を読んでいただいた皆さんどうもありがとう。
私はこの三部作で「もういいや」と思っていたのです。
でも、時間が経つと、やはり続編も書いてみようかな…という気持ちも
出てきました。

それはさておき、青春の雨音第三話はサヨさんによって思わず童貞を
喪失する機会を得たところまでの話です。
私は高校2年の17歳。サヨさんは10歳年上の27歳でした。
サヨさんとはその後数十年後に一度だけ和哉さんの家の法事の席で出逢
ったことがあるのですが、お互い会釈するだけですれ違った程度の時間
でした。

それぞれの人生の中で、男は童貞を失うということ、女性なら処女喪失
ということになるのでしょうが、やはりそれは人生の中では大きな出来
事といえると思います。

私は自分の人生を振り返ってみて、いい童貞喪失の機会を得たと思って
おります。そういう意味ではサヨさんに感謝の気持ちを今でも持ってお
ります。

私は自分のことを書くということは大変な作業である、ということをこ
の青春の雨音の冒頭に書きました。それは自分だけならいいのですが、
相手のことを書く必要のあるとき、それによって相手の立場を危うくし
たり、また被害を及ぼすことにならないだろうか?…と考えるからです。

事実をそのまま書くということは本当に大変な作業であるのです。
だからほとんどの方はこの壁で書くことを諦めてしまうのです。

よく暴露本なるものが芸能界などで出版されることがありますが、それ
がグループ活動をしていた中の一人が書いたものの場合などはよくそれ
が原因で仲たがいしたり、問題を引き起こしたり、ニュースになるほど
の大きな波紋を広げることを眼にすることがあります。
それほど大きな作業なのです。

私もそれを思い、まだ生存している方のことを書く場合などは極力匿名
を用い、内容も迷惑のかからない範囲内に納めるよう努めて書いており
ます。
それでも事実は曲げたくはないので、読む人が読めば察しが付くだろう
し、芸能界ほどではないにしても気まずい間柄になる場合などが皆無と
はいえないかも知れません。
そういう意味では年数を経たとはいえ、私の身近な人には読んで欲しく
ないという気持ちは今も持っておりますし、私はここにブログを書いて
いることは家族にも知らせていないのです。

はてさて、そんな中で、私は青春の雨音の続編を書くことを決めました。
どこから書くかはまだ決めてませんが、大きな区切りでもあるので、こ
の際題名を変えようと思っています。
この次も三部作程度になる見込みですが、どこら辺りまでの内容になる
のかは当の本人にも分かりません。
それほど人生には出来事が詰まっているのです。

最後に、第一話に負けないような面白い内容になるはずですので、この
次もよろしくお願いします。

いいね!した人  |  リブログ(0)

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。