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青春の雨音-2-17

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2004-12-30 10:47:49
「昨日もここでバイク事故があったのよ、同じ場所で」
店のおばさんが言った。
「昨日のはひどかったわよ、バイクの人は死んだんだもの」
「まだ二十歳とかっていっていたわよね、亡くなった人」
別の女性店員が言った。

まだヘルメットが義務付けられる以前の話である。
昨日の事故のバイクの男は、頭を強く打ちつけて亡くなったと
いうのだった。

俺は運が良かったとでもいうのか、左足の大腿部を強く打ちつけて
いたものの、骨折しているふうでもなく、その他の場所を点検して
みたが、擦り傷はあるがこれといった怪我はなかった。
ただ靴を脱いでみると、左足の親指の爪がはがれて血がにじんでい
た。
店のおばさんが奥から消毒液を持ってくると、剥がれている親指に
消毒液をたらして消毒してくれた。

立てることを確認すると、俺は店の人にお礼をいってから足を引き
ずって表へ出た。

黒だかりの人の山はさらに増え、俺のバイクがどうなったかが全く
見えないのだった。
俺は「すみません」といいながら、人の脇をすり抜け、前に出て行
った。

「どうしたんだろう、このバイクの人。死んじゃったのかしら」
などという話し声が人の輪の中から聞こえてきた。

横倒しになった俺のバイクが見えた。

思わず涙が溢れ出してきた。

ハンドル部分がちぎれて、バイクの横に落ちている。
その他にも、割れて壊れたヘッドライト。
グニャリと曲がった車体。
漏れ出したガソリンとオイル。
まだ新しかったバイクは、見るも無残にスクラップと化していた。

これまで苦労を共にしてきた相棒のバイクが、
血を流して倒れている人間のように見えてきたのだった。

警察の一人が見物の人の輪を押しのけながら道路に事故状況の白線
を描いている。
もう一人の警官はタクシーの運転手とおぼしき人から事故の様子を
メモを取りながら聞いていた。
俺は、止まっているタクシーに眼を向けた。
タクシーはバンパーとボンネットの前部がへっこみ、ヘッドライト
の片方は割れ、ナンバープレートは裂けて落ちていた。

店に事故のもようを聞きにでも行っていたのか、別の警官が人ごみ
の後ろの方から現れて、
「バイクの方はいませんか?」
と大きな声で叫んでいる。

俺は思わず「わたしです」と言って、手で合図をした。
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青春の雨音-2-16

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2004-12-29 11:21:30
昨夜は久しぶりに入った風呂と、遠い波の音を聞きながらぐっすり
眠れたせいか体力は回復してきたのだったが、財布の中身を考える
と、暗い気持になるのだった。

もう財布の中には、500円もないのである。

「ここまでか…」
と俺は観念した。

悔しかった。
しかし、資金がなければしかたないのだった。

俺は伊豆半島一周巡りを取り止めるばかりか、ここで小旅行を打ち
切り、折り返す決心をした。
帰りのバイクの燃料費くらいしか残金がないのである。
もしかしたら、それすら足りなかった。

ただ、俺はどうしても富士山をあきらめられずにいた。
富士山は今回の小旅行の目玉であり、主人公である。
その富士山を抜きにしたんでは、この旅行はいったい何だったんだ
ということになってしまう。
失敗ということになってしまう。

そこで俺は、せめて富士山の中腹までは行ってみようと考えた。
金も心配ではあるが、富士山はすぐ近くにあった。
ここまで来て富士山も見ずに引き返したなら、後々悔しい思いを
することは分かっていた。

俺は有料キャンプ場を出ると、昨日来た道を熱海まで引き返した。
熱海からは十国峠を越え、箱根へと向かうことにした。
天気は快晴で、気分もよかった。

箱根峠へ出たところで、富士山が見えた。
下の方へは芦ノ湖が広がり、まるで絵葉書でみる風景だった。

箱根峠から芦ノ湖の湖畔にある元箱根へ下りると、
多くの観光バスが連なって走り、また多勢の人が町中を歩き、
日本の名だたる観光地へ来たという感じだった。

芦ノ湖では水上スキーの大会が開かれており、
多勢の観客の間からは、水しぶきをあげて走るモーターボートと
その後ろに引かれて滑るスキーヤーが眼に入った。

大音量のスピーカーからは、音楽のほかに選手の紹介やら大会の進
行状況が実況放送されており、その近くを通る人たちは、いやがお
うにも胸は高鳴ってくるのだった。

俺も高揚した気分で元箱根の町を走り抜け、箱根神社の前にさしか
かろうとした時、予期せぬ交通事故に遭ってしまったのである。

道の左側に駐車している大型観光バスの間から、突然タクシーが
飛び出してきたのだった。

俺はよけきれずに、タクシーの正面左側に勢いよく突っ込んでしま
った。ブレーキをかける余裕すらなかったのだ。

俺は一瞬何が起こったのかも判らないのだった。

ただ、俺は当たる瞬間バイクから立ち上がり、タクシーの上を飛び
越えたらしく、体には特別な異常を感じなかった。
タクシーの上を飛び越え、道路に着地する時に柔道の受身が働いて
一回転して背中から落ち、体だけはタクシーに体当たりすることは
免れたらしかった。

それでも俺は左足の大腿部を強く打ったらしく、起き上がれないで
いると、道路脇の店の人が出てきて、俺を起こしてくれたあと、
その店の中まで肩車で運び入れ、椅子に座らせてくれたのだった。

「本当に救急車を呼ばなくってもいいの」
と店の人は何度も聞いた。
俺は「いいです。たいしたことありませんから」
と救急車の要請を拒んだ。

いつの間にか警察にも連絡をしてくれたようで、まもなくパトカー
がやって来たようであった。

水上スキー大会の見物客が交通事故のほうへなだれ込んできて、
いつしか事故現場は黒山の人だかりになっていた。
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青春の雨音-2-15

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2004-12-28 11:05:15
小田原へ着いたのは午後4時を廻った頃だった。
今日の宿泊予定地は伊豆半島先端の下田付近を計画していたのだっ
たが、とても予定時間内にたどり着けるとは思えなかった。

出発してから3日目、小旅行を開始してから分かったことなのであ
るが、旅行前に地図帳を相手に計画を立てた今回の小旅行の行程は
かなりあいまいな、またハードなスケジュールなのであった。

それに、昨夜もテントに砂をかけられ、バイクを盗まれるのではな
いかなどと心配事も重なって、よくよく眠れなかった。
そんなことから、体の疲れも感じていた。

下田まではとても行けないと思った俺は、熱海へ入った辺りで、
計画を変更することに決めた。

熱海を過ぎた辺りから、俺はテントの張れるような場所を探しなが
ら走った。
しかし、伊豆の海岸は切り立った岸壁が多く、テントを張れるよう
な砂浜は見当たらないのだった。

伊東市へ向かう途中で、有料キャンプ場なる看板が眼に入った。
有料というのが気にかかったが、体がもう一刻も早く休息を要求
していた。
また、この先テントを張れる場所が果たして見つかるのだろうか
という不安もあり、俺はその有料キャンプ場のゲートをくぐった
のだった。

有料キャンプ場はテントを張る場所のみで1張り500円、テント
付きで1000円という料金だった。
俺はテントを持っているので、500円を支払って場所を借りた。

岸壁の岩場に、段々畑状にテントの区割りがされており、ガス付
の炊事場や風呂、さらに露天風呂までが完備されているのだった。

俺は急に嬉しくなり、喜び勇んで案内された場所にテントを建てた。

昨日の千葉県富津キャンプ場のあの騒音はなく、遠くで波の音が聞
こえる静かな趣のあるキャンプ場なのである。
昨日とは雲泥の差があり、俺は気分的にかなり嬉しかった。

炊事場でご飯を炊き、夕食の準備を整えると、俺は夕食前に露天風
呂へと急いだ。
露天風呂には他に誰もなく、俺は一人で、夕日に染まる薄暮の太平
洋を眺めながら露天風呂に浸かるのだった。

小旅行に出発してから、初めて味わうゆったりとした時間だった。
適度な露天風呂の温度は、じわりじわりと俺の疲れを取り去ってい
くようであった。

ただ、裸になってみて、かなり痩せてしまった自分の体に驚いた。
そういえば、頬の肉も薄くなり、顔に手をやると、頬骨が出っ張ってきた感じがする。

キャンプ場には静かに音楽が流されており、キャンプ場の下の方か
らは遠く波の音が届いてくるのである。
そんな中、露天風呂に浸かりながら、暮れていく夕焼け雲を見てい
ると、俺はふと何か物悲しさに襲われてきて、涙が流れ落ちるのを
感じた。

何の涙なのか分からなかった。
こんな気持になったことは、俺のこれまでの人生にはなかった。

その後テントに戻り、一人夕食を食べていると、先ほどの物悲しさ
が再び襲ってきて、俺は食事もそこそこに、大声を上げて泣いた。
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青春の雨音-2-14

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2004-12-27 08:17:03
衣類を干すために張ったロープの1本をバイクの荷台に結んでいた
のがよかったのか、バイクは無事であった。
タイヤやその他の場所も点検したが異常はなかった。
ようやく俺は安心した。

今日も快晴は続いており、昨日干した衣類はほぼ乾いていた。

俺は一刻も早くこのキャンプ場を発ちたかった。
朝食を昨夜の残り物で済ますと、俺はテントをたたみ、リュックに
しまい込んだ。
夜遅くまで騒いでいた多くのキャンプ者たちはまだ寝ているのか、静かなキャンプ場のたたずまいがそこにはあった。
食器やその他の道具を洗い場で洗い、しまい込むと、
俺は不愉快なキャンプ場を後にしたのだった。

走って1時間もしない内に、フェリー乗り場の金谷に着いた。
ここから対岸の神奈川県久里浜まではフェリーに乗って渡るのであ
る。
まだ乗船まで時間があるのか、入り口にはすでに長いトラックや自
家用車の列が出来ていた。
俺は時刻表と料金表を探しあて、見てみると、バイクの料金は60
0円とある。
俺は再び心細い財布の中味で胸が痛む思いをするのだった。
やはり東京をバイクで走り抜けるべきであったろうかと、思ったり
もした。

間もなく乗船の合図があり、俺も意を決して切符を買い、バイクと
ともにフェリーボートに乗り込んだ。

船が出てからは、俺は船室に入ることなく、甲板に出て海の潮風に
頬をさらした。
まかり間違えば、俺はいまごろ海の男として身を立てるべく、富山
商船高校で鍛え抜かれていることであったろう。
そんな事を思いながら、太平洋のはるかかなたへ視線を走らせた。

俺は船の舳先よりも、後部からの眺めの方が好きで、スクリューで
かき混ぜられた水流のあわ立つ流れと、船の航跡が描く波頭の広が
りを見るのがたまらなく好きだった。

俺はフェリーの後部に立ちながら、しだいに遠のく千葉県の陸地を
眺めたり、また、バイクのある場所へ偵察に下りたりと、行ったり来たりを繰り返していた。
バイクの荷台にくくりつけているリュックが心配なのだった。
昨夜のテント砂かけ事件に遭遇してからというもの、
安心という訳には行かないのだった。
リュックが無くなりでもしたら、それこそ万事休すとなるのである。

そのような動作をしているうちに、対岸の神奈川県久里浜港へフェ
リーは着いた。

久里浜からは鎌倉へ向けてバイクを走らせた。
鎌倉で方々見学した後、湘南海岸線を南へ走り、小田原目指して走
った。
湘南海岸を走る辺りで、快晴だった天気が一面雲ばかりの空に変わ
っていた。

湘南道路を走っていると、後ろから来たトラックの助手席の男が、
「お~い、山形から来たのか?」
と開けた窓から呼びかけるのだった。
「はい」
と応えると、
「こんなバイクでかい? たいしたもんだな、それじゃ気をつけて
な」
などと言って追い越していくのだった。
ナンバープレートに山形の文字が入っていたことから、分かったの
だった。
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青春の雨音-2-13

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2004-12-26 14:22:59
富津海水浴場は、首都圏の東京から近いせいか大変混んでいた。
キャンプ場も整備され、トイレや炊事用の水場までが完備され、
多勢のキャンプ利用者でにぎわっていた。

俺は濡れた衣類を干した後、早めに夕食の準備にとりかかり、
持参した米をはじめてハンゴーで炊いたりした。

これまで何度かはキャンプを体験していたため、ハンゴーの
水加減もまあまあで、うまく炊けた。
それを持参した魚の缶詰をおかずにして、早目の夕食を済ませた。

一人でテントの中で寝るのははじめての体験だった。

体力的には回復していたが、まだどこかにけだるさが残る俺は、
夕食を終えると、早めに横になった。

テントを建てた場所が炊事場に近いせいか、多勢の人たちが俺の
テントの脇道を通る。
その足音や話声がうるさく、なかなか眠れない。
それでもテントの場所を建て替える気力は俺にはなかった。
昨夜あまりにも長時間眠ったせいもあるのかもしれないのだった。

俺は上半身を起こすと、テント内でローソクを灯し、今後の日程や
残った財布の中味などについて思いを巡らせた。
地図をリュックから取り出し、計画した行程を指でなぞった。

そんなことをして時間を過ごしていると、
表に人の気配がしていた。
その数も一人や二人ではなさそうだった。

「おい、見てみろ、山形県○○市○○町…だってよ」
「からかってやろうか」

耳を澄ます俺に、外の奴らがひそひそと話す声が聞こえてきた。

そう思っているまに、砂が大粒の雨のようにテント目がけて降り
注いできた。

俺は何事かと思い、立ち上がると、その影がテントの外にも映る
のか、外の奴らはシーンと静まり返る。
俺が腰を落とすと、再び砂の雨がテントを襲うのだった。

時間は夜10時を廻っていた。
外にはおそらく5、6人はいるはずだった。
俺はどうしようか迷った。

田舎町では中学の番長格ではあったが、外へ出て多数を相手に
するのはあまりにも無謀としかいいようがない。
しかも俺はまだ16歳の小僧っ子である。
強がりは命取りになりかねないのだった。

俺はローソクを消して、ただじっとしていた。
やはりテントに父が住所や名前を書いたのが間違いなのだと思った。

砂の雨はしばらく続いていたが、俺が相手にならないとみたのか、
その後は収まった。
しかし何度かは様子を見に来ているのが気配でわかった。
俺はテントの外に停めているバイクが心配であった。
鍵は掛けていたが、外の奴らのひそひそ声の中に、
「バイク、…バイク」
と言っているのを聞いていたからである。

俺はときどき、テントのすそをめくっては、バイクがなくなってい
ないかを夜通し確認しなければならなかった。

都会の人間はいったい何を考えているのか?
俺は生まれてはじめて世間の恐ろしさを味わったのだった。
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青春の雨音-2-12

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2004-12-25 10:28:20
出発の計画を1日ずらしていたなら、こんなにも気持ちのいい
天候に恵まれたのかと思うと、過酷な走りと大きな出費を強いら
れた今回の旅立ちに、ちょと悔しい気がした。

俺は大洗海岸にバイクを乗り入れて、長くどこまでも続く波打ち際
を走った。

ところどころに海水浴の人たちがいて、バイクの俺を侵入者のよう
な眼でにらみつける男たちもいたが、俺は人をよけながら走った。

売店やパラソルがある海水浴場では、さすがにバイクでは走れない
ので、俺は道路に戻ったが、誰もいないところではまた海岸線を走
ったりした。

海は俺の大好きな場所だった。

大きな波、小さな波、いくら見ていても飽きないのだった。

雨さえ降っていなければ、俺はこの海岸線のどこかで一人キャンプ
をしているはずだったのである。
それを思うと、やはり少し悔しかった。

しばらく海岸線を走り、楽しんだ後、俺は今日の目的地、千葉県の
木更津市の先にある富津海水浴場を目指した。

大洋村から海岸線と分かれて、潮来まで、今度は霞ヶ浦を見ながら
走り、佐原市へ出て、再び国道51号線に出て、成田市へ向かい、
成田市では成田さん新勝寺にお参りして、千葉市へと向かった。

どこまで走っても、昨日と違い、気持ちよい走りだった。
千葉市へ出ると、国道16号線を木更津市へと向かった。

この小旅行の計画の段階で、東京を越す方策でなんども悩んだ。
富士山を目指すには、必ず東京を越す必要があったからである。

東京へは、中学の修学旅行で1度だけ来ていたが、それは列車での
移動であり、都内を走るのとは訳が違う。

俺は東京で迷子になることを恐れた。

そこで、東京を避ける行程を考えたのであった。
それが、千葉県から東京湾フェリーに乗って、対岸の神奈川県に
入るというものだった。

木更津市から東京湾に突き出した形の富津岬を目指して走り、
目的の海水浴場へは午後の3時に着いた。
2日目の走行キロは161キロであった。

俺は練習してきた成果を見せるべく、なんなくテントを張り終え
た。
テントの支柱と松ノ木にロープを2本張り、さっそく濡れている
衣服を干した。
濡れた衣服の重みで、テントは大きく傾いた。
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青春の雨音-2-11

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2004-12-24 10:50:31
翌日、朝の8時半ごろに朝食を運んできた女中さんに起こされた。
気がつけば、14時間も眠っていたのだった。
「さっきも来たんだけど、起こして悪いと思って、この時間まで寝
かせてあげたのよ。死んでるんじゃないかと思って心配したわ。夕
食もそのままだったから。本当にぜんぜん食べなかったのね」

「服も洗濯して今日着る分だけは乾かしてあげたから」
といって、女中さんは折りたたんだ衣服を差し出した。

「あとの物は洗濯だけしておいてビニール袋に入れておいたから、
どこかで干したらいいわ、天気も最高だし」

本当に、昨日の天気がウソのように晴れ渡った青空が窓の外に広が
っていた。

若いって本当に得をするのかもしれない。
頼んだ覚えもなかったのに、女中さんは母親がわりになって何もか
もしてくれていたのだった。

「でも良かったね。熱も下がったようだし、一時は病院に連れて行
ったほうがいいのかって心配したのよ」

俺はお礼を言ったあと、フトンから抜け出して洗面所に向かったが
少し足元がふらつく程度で、元気が回復しているのを感じた。

朝食はご飯の入ったおひつを全部平らげて、それを見た女中さんは
おひつのお代わりを持ってくる程だった。
本当に温かい炊きたてのご飯はおいしく、また何もかもがうまかっ
た。

旅館のおかみさんや女中さんにていねいにお礼をいい、俺は世話に
なった旅館を後にした。

宿泊料は、夕食に手をつけなかったからと400円を割り引いてく
れて、1600円にしてくれた。
本当にありがたかった。

他の旅館では断られたずぶ濡れで現れた男を、泊めてくれただけで
も感謝ものだったのに、すべての洗濯までしてくれて、本当にあり
がたいと思った。

でも、心配事は軽くなった財布の中味だった。
有料宿泊所に泊ることなど想定していなかった俺の小旅行は、
最初から予定が狂い、大ピンチ状態を招いてしまったのだった。

財布の中には、残額が1700円しかないのだった。

これで、今回計画したすべての行程を消化できるのだろうか?

重い複雑な心境になりながらも、俺の心は軽やかだった。
昨日と打って変わってこの気持ちのいい快晴。
昨日の地獄から、今日は本当に天国へ来たと思わせるに十分な
心地よさだった。

水戸からすぐに、昨日の宿泊予定地だった大洗海岸へ出た。
快晴の中、太平洋の海原がまぶしく俺を迎えてくれていた。
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青春の雨音-2-10

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2004-12-23 13:11:01
それを見ていた女中さんの一人が、俺の方へ歩み寄ってきた。
「まあ、どこから来たの? 大変ね、濡れちゃって」
やさしそうな声だった。

そう言うと、この近くに木賃宿があり、そこに行ってみたら?
といって場所をささっとメモ用紙に書いて渡してくれたのだった。

「ここは高いしね、大変でしょ?」
と耳元で姉のように言うのだった。

俺は教えられたとおり、雨の中、重い体を引きずって再びバイクに
またがるしかなかった。
もうまっすぐ走ることすら困難だった。
信号なども見えなくなっていた。

やっとの思いでその小さな旅館に着くなり、玄関先でがくっと膝を
ついてしまった。
もう体がいうことをきかないのだった。

「泊めてもらえますか?」
ふりしぼるように出した声に、出てきた女の人がなんと応えたか
耳に入ってこなかった。

気がつけば、部屋に通されていた。

「はやく着替えないと風邪引くわよ」
部屋に通すなり、女中さんは脱ぐのを手伝ってくれた。

どこから来たのか?年は何歳か?何しに来たのか?
など、質問されているのはわかったが、どう答えていたのか、

「すぐ風呂に入った方がいいわね」
といいながら、浴衣を出すのだった。

畳が濡れていくのがわかった。

やっとの思いで、濡れた衣服を脱ぎ、浴衣に着替えると、
もう動けなかった。

「これ洗濯しておくからね。まだ他にある?」
などといい、部屋を出て行った。

気がつくと、俺はフトンの中にいて寝ているのだった。
風呂には入らなかった。
温かいお茶を飲んだのだけは覚えている。
部屋の隅に、ビニールシートが敷かれ、その上に
運ばれたリュックが置いてあるのがぼや~と目の端に映った。

まだ体はバイクの振動に揺れつづけていた。
そして部屋の情景はときどき開く目の中でスローモーション映像
のように回転していた。

ときどき、部屋に入ってきた女中さんの気配と声が聞こえたが、
まったく反応できる状態ではなかった。
「夕食をここに置いていくからね」
という言葉だけは聞き取れた。

熱はどうの、夕食がどうしたの、薬はどうのという声が
どこかで聞こえていたが、もう体が動かなかった。
夕食もまったく食べられなかった。というより、起き上がれない
のだった。
ただ、乾いた部屋と、乾いたフトンがありがたかった。
そして俺は、どっぷりと深い眠りの淵に落ちていった。
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青春の雨音-2-9

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2004-12-22 19:01:54
宇都宮市から水戸市まではずいぶんと遠かった。
また、地図を見ても道が交差していたり、入り組んでいたりで、
何度か引き返して道をさがすようなこともあった。

そして、この区間はずっと雨が降りっぱなしだった。
もう着替えもなく、我慢して走るしかなかった。

水戸市に入ったのは午後5時ごろであった。

考えてみれば、もう15時間も原付バイクで走っていることになる
のだった。
雨の中を濡れたまま走ったためか、体が寒さで震え、
熱が出はじめているようだった。
頭も割れんばかりに痛かった。
大洗海岸めざして、もう走ることはできなかった。
意識も、もうろうとしだしていた。

水戸市まで行ったら雨は上がっているのでは、という期待を胸に
走り続けてきたのであったが、その期待は裏切られた。

予定表では、今日の宿泊地は大洗海岸で、しかもテントである。

どうする?

もうろうとする痛む頭で考えた。

雨の中、どこにもキャンプをする場所などなかった。
財布にあるわずか3,300円の金も心配であった。
持ち出した出発時の3,800円は、途中2度の燃料給油で500円が消え
ていた。

しかし、このままでは病気になって死んでしまうのではないか、と
思われた。
もう金のことなどはどうでもよかった。
いますぐにでも、温かい布団にくるまって眠りたかった。
食欲などもまったくなかった。

泊る旅館を選んでいる余裕などなかった。
そんなことしている間にも、倒れそうな感じだった。

雨に濡れた姿のまま、眼に入った大きな旅館の玄関に入った。
「すみません、泊めていただけますか?」

フロントにいた女性が「きゃー」と悲鳴らしき声をあげたのを
遠い脳みその奥のほうで聞いたようだった。

玄関から敷かれた高価そうなジュータンの上に、
俺の着ている服からしたたり落ちる水滴で、
小さな湖ができていっているのだった。

あわてて遠くの方から駆け寄ってくる男の姿が眼に入った。
「きみ、きみ、ちょっと、ちょっと」
男は来るなり、俺の服を指先でつまんで引っぱり、玄関の外へ
連れ出した。

「だめだよ。こんな姿で玄関から入っては…」
男は俺を客扱いなどしなかった。

「だめ、だめ、泊れないから」
しっ、しっ、とまでは言わなかったが、そういう感じだった。

俺は、男の口先をただ見つめているしかなかった。
体をささえているだけで、精一杯だった。
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青春の雨音-2-8

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2004-12-21 10:18:33
福島を出たのは8時半ころであった。
ここから宇都宮までは国道4号線である。
福島を出てすぐに、心配していた雨がぽつりぽつりと降りだした。

郡山市あたりから本格的な雨となり、冷えた体に追い討ちをかけて
きた。
持参したポンチョ型雨具の頭部から、顔に受けた雨水が首筋に垂れ
それが胸元を川となって下へ流れ、全身を水浸しにしていくのであ
る。

矢吹町あたりからこぶりになり、白河に入ると雨は完全にやんだ。
白河市を過ぎた辺りで公園の空き地を見つけ、着替えをトイレに持
ち込んで下着からすべてを着替えた。

ズック靴は代わりがないので足はすぐ濡れてしまったが、それでも
乾いた衣服は気持がよく、俺は元気を取り戻したのだった。

それからしばらく走ると、嫌な雨がまた降りだした。

雨水が眼に当たり、その痛みでスピードを上げて走ることは困難だ
った。
スピードを上げて走るといっても55ccの原付バイクである。
俺はスピードを上げて横を追い抜いていく大型トラックの恐怖に
おびえながら、眼に当たる雨水の痛みに耐えて走らなければならな
いのだった。

雨は上がったり、また降ったり。
宇都宮へ着くまでに、俺はさらに2度着替えをして、もう着替えは
なくなってしまっていた。
最後の着替えは宇都宮市の手前の町、氏家町の道路沿いのとある家
の軒端を借りてやったのだが、家から出てきたおばあちゃんが、
そんなところでは風邪引くからと、納屋の中へ通してくれた。
「なんだったら、泊っていってもいいんだよ」
とまで言ってくれた。

自分が一人きりで、辛い思いをしている時、
人の優しさは骨まで突き刺さる。

あのおばあさんは死んでもういないだろうが、数十年も経つ今、
あの時そう言ってくれたおばあさんの顔はいまでも覚えている。

それだけでも、この小旅行の意味はあったといえるだろう。

俺はいったん決めたことはその通りにしないと気がすまない性格
なので、おばあさんの申し出を断り、またバイクを走らせたのに
違いないのだ。

また降りだした雨に打たれながら、俺は宇都宮から東へ進路をとり
国道123号線を大洗海岸めざして突っ走ったのである。
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RAG FAIR Yosuke Hikichi

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