回想-青春の雨音1-4

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2004-11-30 15:19:20
高校受験を決めたとはいっても、受験日まで3、4ヶ月を残すだけと
なった日々を、いまさらどのように対策を講じてよいのかもわからず
俺は相変わらずだらだらとした日々を送っていた。

そんな中、担任の阿部悟郎は俺を職員室へ呼んだ。
「桜木、お前、高校受験するって言ったんじゃないのか?」
「そんなら、なんで補習受けないんだ? とりあえず受けろ、なっ?
頼むよ…。時間がないんだよ、時間が」
阿部悟郎は安っぽい腕時計を指先で叩きながら懇願するように言った。

中学では、3年生を受験組と就職組とに分け、受験組は補習授業対策
がとられていた。
俺は就職組のはずだったが、「受験組にいても就職試験は受けられる
から」という担任の勧めで名前だけは一応受験組に名を連ねていた。
板垣は完全に就職組に入っていた。
俺は受験組に入っていたといっても、これまで1度も補習授業に顔を
出したことはなかった。

学校での補習授業は連日放課後の2時間と、最近では日曜日も4時間
の補習授業が行われていた。

進学組は学力ごとにAからEまでの5クラスに分類されており、俺は
悪い方から2番目のDクラスに分類されていた。
まだ開いたこともない補習用の真新しいテキストを携えて、その日か
ら俺は受験組の補習授業を受けることになった。

勉強という生活スタイルをこれまでとってこなかったせいか、俺の体
のあらゆる部分が拒否反応を起こした。
黒板に先生が書く内容が理解できなかったばかりでなく、先生の声が
俺の耳にも脳みそにも届いてこなかった。
(次号へつづく)
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回想-青春の雨音1-3

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2004-11-29 12:04:16
高校を受験することに決めた俺の胸に、ある理想がよみがえってきた。
Y県の山深い内陸部に育った俺は、幼い頃から海というものに強く惹
きつけられていた。
商売をやっているために、親に海へ連れて行ってもらったという記憶
はないが、親戚の子供らに混ぜてもらって、毎年の夏、日帰りの海へ
海水浴に行っていた。
よく幼心に、海の近くの町に生まれていればよかったのに…、と幾度
となく思ったか知れない。

高校を受験するかどうか迷っていた頃、町の書店で立ち読みした受験
雑誌の中で眼に飛び込んできた文字「商船高校」。
海、海原、太平洋、外国航路、港町、国際港、船、商船、2等航海士
船員、船長、などなど、何という響きのよい言葉だろう。
もしなれるのであれば、こういう職業の人間になってみたい。
子供心にそう思ってきた心のわだかまりが、「商船高校」という文字
を眼にしたとき、現実味を帯びて俺の前に現れたのだった。
そういう道もあったのか…と。
「商船高校」という言葉の存在もそれまでは知らなかった。

翌日学校に行くと、職員室の担任のところへ行くなり、
「俺、どうせなら、商船高校を受けてみたいんだけど」
と言った。
担任の阿部悟郎は、眼を丸くして、「こいつ何言ってるんだ」という
ふうな顔をしてから、
「何で?」
と驚いたふるえる声で言った。
俺は、昔から言い出したら引かないようなところがある。
担任もその性格を知っていたから、
「そんなこと、今頃言われても…」
とぶつぶついいながらも、受験校資料を棚から持ち出してきて、
ぱらぱらとめくって探しはじめた。
資料が見つかったらしく「え~と、願書締め切り日はと、」と開いた
ページを指先で追っている。
「あった。まだ間に合うが、大変だぞこれから」
と俺をメガネの奥から迷惑そうににらんだ。
受験校は「富山商船高校」に決め、早速願書を取り寄せることになっ
た。

願書を送ってから、商船高校というのはかなり学力がないと入れない
ことが判った。
担任の阿部悟郎もそのあたりを心配して「大変だぞこれから」といっ
たのだろうが、頭をこすりつけて高校受験を頼んだ以上「お前の学力
では無理だ」とは言うにいえなかったのかもしれない。
俺も願書は出したものの、受かるという自信はほとんどなかった。

結局、俺の高校受験は、富山商船高校の外に、滑り止め用のI私立高
校と、兄も通っている地元の県立K高校の3校と決まったのだった。
(次号へつづく)
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回想-青春の雨音1-2

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2004-11-28 16:24:19
マツダ自動車Y営業所の就職試験は板垣が受かって俺は落ちた。

それからしばらくして、トヨタ自動車の就職試験もあり、そこも
板垣と共に受験したが、そこも板垣は合格して俺は落ちた。
その後2ヶ所の就職試験を受けたが、結果は板垣の一人勝ちだった。
4ヶ所ほどの結果をみて、俺はかなり落ち込んでしまった。
そしてあせった。
俺にとっては中卒は金の卵でもなんでもなかった。
1クラス55人、1学年で9クラスもあり、高校進学率は60%程度
の時代、クラスの約半数が就職組であった。
団塊の世代といわれた俺らの学生時代は、進学も就職も大変な時代
の中にあった。

高校受験か、就職か?
就職試験が全敗の俺は、どのようにすべきか迷っていた。
悪たれ仲間の石田は大工見習いの道を選んでいた。
そんな時、担任の阿部悟郎が家にやってきた。
「桜木君この通りだ、たのむ、進学組に入って高校を受験してくれ」
そういって、親の前で頭を畳にこすりつけて俺に頼み込んだ。
高校受験の申込期間が1週間後に迫っているというのだった。
いや、受験申請の期間だったかどうかは余りにも昔のことなので
定かではない。
だが、何かそのようなことを言われたように記憶しているのだ。
「先生、そんなやめて下さい、正座なんかして」
母は、かしこまって受験をすすめる先生の態度におどおどしていた。
「先生がそこまでいうんだから、覚悟を決めろ」
父の眼もここは逃がすものかといった力の入った眼をしてそう言った。
「わかった、受験するよ」
俺はそれだけいうと、茶の間を後にした。
もう就職試験に自信を失っていた俺は、逃げ場を完全に失っていた。
「いや~、桜木くんには…」
担任の阿部悟郎の笑い声が、玄関口の俺の背中まで届いた。
父の笑い声も聞こえた。

俺は板垣への義理は果たしたという思いもあった。
就職試験全敗の俺の姿を見て、板垣もばつが悪そうな感じになってい
た。自分は受けるところ全てに受かっていたから、俺にかける言葉に
も気を使いはじめていた。
考えてみれば、中学卒業後の就職活動とは、板垣に歩調を合わせた結
果にも思えていた。
俺は最初から進学でも就職でもどっちでもよかったような気がする。
ただ、俺は板垣が好きだった。だから同じ道を歩んでもいいという
思いがあったのだ。
(次号につづく)
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回想-青春の雨音1

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2004-11-27 20:41:34
「中学卒業だけで就職するなんて、もうそんな時代じゃないんだよ。
なに考えているんだお前は」
父の怒りは最高潮に達していた。
男だけ三人兄弟の末っ子。上の兄は二人とも高校へ行っていた。
5歳離れた長男は、すでに高校を卒業し家業の牛乳販売店を継いでいるが、
2歳年上の次男はまだ地元の県立高校へ通っていた。
俺はうっすらと目を閉じ、板垣のことを思った。
俺と板垣は高校へ行かないことを暗黙のうちに約束していたのだ。
同じクラスの板垣はK中学の番長格で、すでに高校へは行かないことを決めていた。
板垣とは2年のクラス替えで一緒のクラスになってから、
番長格同士ということもあってこの2年間ともに行動を一緒にしてきたのだった。
そんなことから、俺の腹は板垣同様、就職組であった。
ただ、父や母に向かって、まだその決心を口にはしていなかった。

何日かおきに、父は高校進学を口にしたが、しだいに口うるさく言うことはなくなった。
戦後樺太から引き揚げてきた父は苦労人である。
裸同然で3人の腹をすかしたガキどもを引き連れて、
命からがら故郷であるK市へ引き揚げ、苦労に苦労を重ねたあげく、
牛乳販売店を開き、それを発展させて軌道にのせたのである。
牛乳販売店の開設は俺が小学校へ入学した年であった。
その姿をみて育った俺は、父をある意味で尊敬していた。
その父が、末っ子の俺を大学まで行かせることを夢み、
そのための学費を貯蓄していることは家族の誰もが知っていた。
その父の夢を打ち砕く辛さを身にしみて感じてはいたが、仕方のないことだった。
そんな気持だったから、俺は当然受験勉強などもやらなかった。
また、高校へ行く意味も見出せなかった。

それから数日後の10月のなかば、
隣町の県庁所在地であるY市にあるマツダ自動車Y営業所の就職試験があり、
板垣と共に俺も就職試験を受けに行った。
まだ中学卒業での就職組を「金の卵」と呼ぶ名称が残っている時代だった。
(次号につづく)
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