ずっと 人間関係の不思議について考えていたんだけれど、


そのなかで、またふと思ったことがあった。




子供を持つ前と後の自分の感覚の変化というか。


早い話が、自分の浅はかさを目の当たりにするってことでしたが。





結婚前、いや、してから、相手のお母さんの横暴さいうか、乱暴さにちょっと違和感いうか、嫌悪感に近いものを感じ

なんで子供にあんなにキツくて、ものを扱うような言い方をするんだろうってよく思っていて。

聞いていて正直不快な想いをよくしていた。



まあ自分もそういうひどい扱いをされたという、
それもあったけど、


でもね、
ここ最近思うのは、
自分も同じようなことをしてるってことで。



だから、とても当時不快だったんだろうなあと。

それは、自分の中にもある natureだったからだろうなあって。


今は亡き親父に対してもそうだった。


生きてる時は、本当に嫌いだったけど、
自分が大人になって、親になり、ドンドン親父そっくりになっている事に気づく。



そこで、親を許せたりもするんだけど、
なんだろう、


若くて経験もなく、
すべてちゃんとこなす、完璧が全てだったあの頃の自分にとって、

親を見て、批難するのは、とても軽率いうか
まあ、実際 批難されるべきような事でもあったけど、



今のこの情けない自分をみて、
反省もするわけで。






母親として、正直自信が無くなる時もあるし、
迷うこともある。

それを包み隠さず、ブログに綴り、
批難されたこともあった。

未だに、人間として、母親として、自分はダメなんだという感覚は、不調に陥ると、ドツボにはまるように、抜けないことがある。


ある先輩ママに、相談した時、

私も子供を産んで育てていなかったら、
母という立場を本当には理解出来ず、
そういう母親を、ダメな母親だとレッテルをはっていたと思う

ということをいっていた。


親になっても、なれなくても、
そういう立場を理解出来る人とそうじゃない人がいる。


なりたくてもなれない人にとっては、
私のような立場の人間を羨ましく思うだろう。


子供の相手が結構上手なうちの旦那にも聞いてみた。

子供を持つ前と、持ってからの現実と、
結構違うことってあったでしょう?って

答えはyes



私も、子供の扱い、世話は もっと出来ると、
子供を持つ前は思っていた。

私の場合は、多少 健康面の障害もあって、
思うように、子供のことをあげられない
プラス その歯がゆさと苛立ちなんかも、最初はあったけど、


正直、昔の自分がみたら、
相当の幻滅。

まあ今でもそういうところあるけど。




だからね、
結果なりたくても、お母さんになれなかった人が
実際には、素晴らしい理想があって、
じゃあ、現実にこれが実現した時、

私は やっぱり思うような母親になれてるわ!
私ってスゴい!って なるのかな って

ふと思ったり。



とても責められた事を うまく消化できなかったり。

出来ない、なれない現実があるから、
その人には、その道をたどって、
また新たな自分に出会うってこともないのだけれど、


かなしみと、せつなさと、不甲斐なさと、若干の怒りとに
揉まれて、

それに、結果、自分が他の人に抱いていた感情を
違う人から、ぶつけられたような、


あーーそうだよね、
私が浅はかさでした、と反省したり、した訳です。



すべてには意味がある

この事に関して、少し出口が見えて来たかな~と
何となく思いました。



人を簡単に判断してはいけないけど、
愚かなので、こうやって、痛い目にあって、
経験して、消化していくもんなんだよな。


人を、責めてきた、張ったおしてきた人を
責めたくもなるけど、


こういう結果を見て、
あーーーそうじゃないよね、って改めて思わせてもらった感、満載。



そんで、いつもこの、キチガイじみた切れ具合等々に
逃げることなく付き合ってくれる、旦那と子供たちに本当に感謝だなあって思います。


ほんと疎遠になっちゃう人 ドドドーーっと増えて
ほんとに友達減ったし笑

でも、その分、本当の友達がはっきりと見えて、残ったけどね。



寂しがりやな部分のある私なので、
それも結構辛いのだけど

本当に愛情を持って、心からわかってくれる人って
いるし、何人かそういう人がいたら、
きっとそれで十分幸せだよね。

と思い直す次第です。


来週日本じゃ
無事につけますように。。。