テレ朝の連続ドラマ「ちょっとだけエスパー」。
なかなか、面白いですが、今のところ、謎が多い展開ですね。
しかし、このようなテイストのドラマは、ゴールデンタイムよりも、深夜ドラマといった感じ。
超能力をテーマにしたドラマというのは、世間に、どれほど、受け入れられるものでしょうか。
主人公の大泉洋さんは、謎のカプセルを飲むことで、「手を触れた相手の心を読むことが出来る」という超能力を手に入れます。
今のところ、登場人物の中で、本格的な「超能力」と呼べるものを持っているのは、大泉さんだけ。
恐らく、今後、他の人たちの能力も、大いに、役に立つことになるのでしょう。
今回は、宮崎あおいさんが、この謎のカプセルを飲んだところで終わりましたが、どんな超能力を持ち、どのような活躍をすることになるのか。
さて、「相手の心を読む」という超能力は、「精神感応」「テレパシー」ということになる訳ですが、実際に、存在するのでしょうかね。
しかし、リアルな社会を舞台にした超能力SFでは、この「テレパシー」を持つ人は、決して、幸せにはなれない。
なぜなら、他人の心、本心を知ったところで、良いことはないから。
藤子F不二雄さんのSF短編短編に、この「テレパシー」をテーマにした作品が、二つ。
それが、「テレパ椎」と「耳太郎」です。
まず、「テレパ椎」から。
主人公は「鳥留梨男」という青年で、イラストレーターをしている。
この梨男は、何となく、憎めない人徳のある青年で、周囲の好意の中で、生きているようなところがある。
そして、ある日、林の中で、「椎の実」を拾って、ポケットに入れた。
すると、周囲の人の考えていることが、分かる能力を持ってしまう。
自分に、いつも好意的に接してくれていた人たちが、心の中で、何を考えているのか。
相手の本心を知り、梨男は、愕然とする。
自分のことを好意的に接してくれていた人たちは、心の中では、「嫌々ながら」、自分に接していたこと。
口では、決して、自分のことを避けるようなことを言わないのは、相手の優しさなのだろうと察するが、もはや、これまでのように、相手の好意に甘えることは出来なくなってしまう。
「あの、善意に包まれていた生活は、もう、戻って来ない」
と、「椎の実」を捨てた梨男は、思う。
次に、「耳太郎」の話。
主人公は、漫画家志望の少年「宇崎耳太郎」。
学校の成績は、あまり良くない。
放課後は、仲間たちと集まって、漫画を描く。
ある日、耳太郎は、突然、他人の心の声が、聞こえるようになる。
成績優秀な同級生の心の声を聞き、テストも、好成績。
最初は、他人の心を読み、それを得意げに、他の人に話したりもしていたが、そのうち、誰も知らないはずのことを知っている耳太郎のことを、周囲は、恐れるようになって行く。
そして、耳太郎は、自分の能力を、制御できなくなって行く。
勝手に、聞こえて来る他人の声に、耳太郎は、怯えるようになる。
が、ある事をきっかけに、耳太郎は、その能力を失うことに。
そして、いつもの日常が戻り、耳太郎は、満足する。
この二つの話。
並べてみると、面白いことが、分かりますよね。
青年、鳥留梨男。
少年、宇崎耳太郎。
二人とも、「他人の心の中を知る」という経験をする訳ですが、その能力を失った後、鳥留梨男は、もう、二度と、元の生活には戻れない。しかし、宇崎耳太郎は、何事も無かったかのように、元の生活に戻る。
やはり、同じような経験をしても、大人になれば、人生、なかなか、取り返しがつかない。
しかし、子供ならば、まだ、取り返しがつく、と、言ったところでしょうか。
そして、子供の世界は、単純で、大人の世界は、複雑、と、言うことも出来る。
心の中もまた、子供は単純で、大人は複雑。
つまり、子供は、裏も表も、あまり差がない。
しかし、大人は、裏と表の差が、かなり大きい。
それだけに、相手の心の中を知るということは、大人にとっては、かなり危険、と、言うことになるのでしょう。
例えば、自分の恋人(と、自分が思っている相手)、自分の親友(と、自分が思っている相手)、自分がとても信頼している人の「心の内」を知ってしまったとしたら。
とても、失望をすることになるのかも知れない。
そして、鳥留梨男のように、全ての人が、信用できなくなるかも知れない。
さて、「耳太郎」の中に、謎の老人が、登場します。
この老人。
他人の心の声が聞こえるようになった耳太郎に、アドバイスを送ることになる訳ですが、この老人もまた、超能力者だった。
なぜ、この老人が、超能力を持つようになったのか。
その点は、さておき、この老人。
かつて、未来が見えたんですよね。
それは、超能力ではなく、冷静な分析によるもの。
つまり、日本が、戦争に負けることが見えていた。
そして、老人は、それを主張したために、迫害を受けることになる。
そのために、聴力、視力を失い、身体も不自由になってしまったのですが、そのために、逆に、本当の超能力を使えるようになってしまった。
そして、本当の意味で、あらゆることが「見える」ようになった訳ですが、そのために、一人で、ひっそりと生活をしていた。
やはり、何事も、「見えすぎる」ということは、社会で生きて行く上で、必ずしも、プラスにはならない、と、言うことなのでしょう。
自分の身を守るためには、あまり、「見えすぎる」のは、困りもの、と、言うことです。

