今朝の藤井海岸。
今日は、快晴ですね。
沖合のこの船。
船首を、左方向に、旋回中です。
これから、どこに行くのでしょうね。
さて、また、日曜日、図書館に行き、宮武外骨「滑稽新聞」を、第19号まで、目を通しました。
相変わらず、伊藤博文の女性関係に関する記事が、しばらく続く。
また、星亨を殺害した、伊庭想太郎について、「なぜ、自害をしなかったのか」と、批判のような記事も。
そして、この頃、宮武外骨は、「滑稽新聞」で、「野口茂平」という人物を、激しく、攻撃しています。
この「野口茂平」とは、何者か。
ネットで調べて見ると、この野口茂平は、大阪、堺筋の薬主商「野口立志堂」の主人。
明治21年(1888)、天保山に「天保山遊園」を開園。
近代大阪の海浜リゾートの先駆けと評価をされるそうです。
この「天保山遊園」自体は、明治30年(1897)、築港工事のため、閉園。
野口茂平は、大阪市の議員としても活躍。
あの衣装デザイナー「ワダ・エミ」(黒澤明監督の映画「乱」で、衣装を担当)の、曾祖父に当たるそうです。
こうして見ると、一見、立派な人物のように見える野口茂平ですが、なぜ、「滑稽新聞」の攻撃対象になったのか。
それは、薬屋でもある野口茂平が、「肺労散」という薬を、大々的に宣伝し、販売していたため。
宮武外骨が、「滑稽新聞」で、「新聞は、広告料さえ払えば、どのような広告でも掲載する」ということを批判し、毎号「詐欺広告日誌」として、他の新聞に掲載されている「詐欺広告」と思われるものの一覧を掲載しているということは、前回も、話したところ。
宮武外骨は、野口茂平の薬屋が販売をしている「肺労散」という薬が、「インチキだ」として、猛烈に、攻撃をしている。
記事を読んで見ると、どうも、この「肺労散」とは、「肺結核」の特効薬ということで、売られていたよう。
当然、これは、「詐欺」ということになりますよね。
ネットで調べると、肺結核に効果のある薬が、初めて、開発されたのは、1944年ということ。
宮武外骨は、この「肺労散」に関する批判を、ある号で、列挙していましたが、その中に、「この『肺労散』に頼ったために、適切な治療を受ける時期が遅れて、亡くなった人も居る」と書かれたものがありました。
こういう人は、恐らく、今でも居ることでしょう。
例えば、ガン患者が、効果の不確かな民間療法に頼り、適切な治療を受けるのが遅れ、結果、亡くなってしまうというケースも、よくある話のようです。
また、「この『肺労散』を飲んで、肺結核が治った」という人を登場させた広告もあったようですね。
当然、これについても、厳しく、批判をしている。
この野口茂平は、「滑稽新聞」を、「名誉毀損」で、訴えます。
当然、宮武外骨は、これを受けて立つ訳ですが、どうも、野口茂平が、「滑稽新聞」を訴えたのは、「肺労散」の問題ではなく、何かの金銭を受け取ったという別の記事でのことのよう。
宮武外骨は、嫌いな人間は、徹底的に、攻撃を続けるのが信条。
野口茂平への攻撃は、しばらくの間、続いたようです。
改めて、「滑稽新聞」の「詐欺広告日誌」に目を通してみると、どうも、「薬」に関するものが多いようです。
この「肺労散」のような「結核」に効く薬や、「毛生え薬」「ワキガの薬」「ハンセン病に効く薬」などなど。
明治の時代、恐らく、どの薬も、全く、効果は無かったはず。
もっとも、宮武外骨が、純粋な正義感から、こういうことをしている訳ではないということは、彼の性格を知れば、察することが出来る。
そこが、面白いところでもあります。


