秦氏が平安京遷都にこだわった真の目的とは? | 「秦氏」の謎ブログ

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失われたイスラエルの十部族(失われた原始キリスト教徒の謎に迫る。

平安京遷都における秦氏の尽力には目を見張るものがある。

ーー秦氏が平安京遷都にこれほどまでにこだわった理由とは何か?ーー


奇妙なことに、平安京遷都が実現したあと、秦氏が直接、天皇から褒美をもらった形跡がほとんどない。確かに、一部の人間は高い位を頂いた。だが、秦氏一族としての報酬はゼロであった。

時代が平安時代に入ると、秦氏は急速に勢力を縮小していく。それまでも、裏方に回っていたとはいえ、一部の人間は歴史の記録に顔を出していた。それが、平安京建都を境に、まったくといっていいほど秦氏は歴史の表面から消え去る。

考えてみれば、都を誘致するだけにしては、秦氏の協力はあまりにも度が過ぎていた。

振り返ってみると、もともと秦氏一族は、歴史に名を残すこと自体避けていた感がある。偉大な政治家の母親、または妻の父親など、本来なら歴史には残らない。

一般には、有力政治家に接近し、政略結婚をしたためだと説明されるが、果たしてそうだろうか?
その結果として、秦氏が政界でのし上がったわけではないし、むしろ、平安時代を境に、歴史から秦氏の名前は、ほとんど消える。

彼らは、政界の表舞台に出ることを極力、避けていたのではないか。常に歴史の裏に身を置き、政治を動かす。

そこには何か、「秦氏」には私たちの知らない、使命・宿命を感じさせる。

ますます、彼ら「秦氏一族」は・・・誰なのか?の秘密に迫ってみたくなるのである。