キリストの真実とは

イエスが伝えた本当の教えについて

 

内なる真実と共鳴する箇所を

「魂の法則」(ヴィセント ギリェム・プリモ)〜イエスの地上での使命、他 より抜粋し

ゆ)青文字にて補足を加え、

シェアさせていただきます。

※ピンクの文字は重要箇所

 

 

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*ナザレのイエスについて、聞きたいことを言います。彼が本当のところ誰だったのか、地上での使命があったのだとしたら、それが何だったのか知りたいのです。 

 

『良かろう。生まれてから二千年も経つのに、彼のメッセージはまだ正しく理解されてはいないのだ。 』

 

*どういう意味ですか。 

 

『彼の死後、あたかも彼のものであるかのように、無数の付け足しが盛り込まれていって、携えられた教えの本来の意味が徐々に歪めてられてしまったのだ。 

 

イエスの使命を理解するには、彼が言ったように、「麦粒」と「麦 殻」、つまり真実と偽りとを区別する必要があるのだ。 』

 

ゆ)キリスト教は、イエスの死後、イエスを神格化(英雄化)することによってつくられた宗教であり、聖書を含む、“キリスト教”の教えは、政治的都合による内容も含まれている。

 

*それなら、聖書自体を読んだり、聖典とされるもの全般を読むことに関しては、どんな姿勢でいるべきですか。

 

『 いいかね、全ての宗教には、神、または神の使者の手によるとされる 聖典があるのだ。そうしなければ、自分たちの神聖を正当化できないからだ。 だが、霊的に進化している者や高次の霊に感化されて書かれた可能性 があるものが存在していることは確かだが、現実的には、君たちと同じような人間によって書かれたものなのだ。

 

 いずれせよ、著者の名前には惑わされず、常に内容を吟味してみることが、騙されないための一番良い方法だ。メッセージの質を見れば、作者の霊的レベルが分かるであろう。 

 

また、一人の著者のものだとされていても、同じ書物が何人もの手によることもあるのだ。千余年にもわたって原本が偽造・改変されてきて、 聖なる仲介者だと勝手に名乗り挙げる者の利益となってきたのだ。

 

それゆえ、ある段落は霊的に進化した者によって書かれたが、その次のものは詐欺師の手によるということもあり、偉大な真実のすぐ脇に大嘘が書かれている可能性もある。

 

そして真実は、徹底的に中味を分析して、「麦殻」を捨て「麦粒」だけを集めることによってのみ、知る得ることができるのだ。』

 

ゆ)キリスト教における聖書も様々であるのと同様に、エメラルドタブレットについても、同じ『エメラルドタブレット』と名付けられていながら、トートの転生(ギリシャのヘルメス)や、その後の書籍によって内容が改ざんされており、同じではない。イエスやトート、という言葉によって信じるのではなく、中身や波動によって判断することが大切。

 

*なぜ世間では、霊との交信がこれほど反対されるのでしょうか。

 

それは、この世の宗教権威者やその他の権力者たちの多くが、人が自力で神や守護霊と交信することを阻むことによって、支配力を維持しているからだ。
 

ゆ)古代ケルト、ドルイドの弾圧についても同じ理由によるもので、一神教(や無宗教)にすることによって民衆を支配することは、歴史上いたるところで行われてきた。

 

*それで、彼の任務は何だったのですか。何をしに来たのですか。 

 

霊的進化の道を教えに来た。「魂の法則」を教えに来たのだ。 中でも「愛の法則」の伝道に力を注ぎ、「汝の隣人を自分のごとく愛しなさい、汝の敵を愛しなさい」という無条件の愛のメッセージをもたらした。 

 

*ナザレのイエスは、神自身の生まれ変わりだったのですか、それとも 神の子だったのですか。

 

ナザレのイエスは、非常に進化した魂が転生したものだった。

 

*では、神の生まれ変わりではなかったのですね。

 

『そう、神の生まれ変わりではなかった。

だが彼は、自分が神であるなどとは、一度も言ったことがなかった。そう断定したのは、イエスの後 にやって来た、別の者たちだ。 』

 

*少なくとも、神の子ではあったのですね。

 

『そう、君たちと同じように真の神の子だ。違いと言えば、彼はそれを自覚していたが、その他の人たちには自覚がない、ということだけだ。』

 

*それなら、イエスはそれほど超自然的でも神聖な存在でもなく、僕たちのようにただの人間だったのですか。 

 

『君たちのように正真正銘の人間だったが、もっと高度に進化していた。 

 

進化することで段々と神に近づけると理解するなら、イエスは君たちよりも神に近かったと言えよう。 』

 

*でしたら、僕たちも進化すれば、イエスが転生した時の進化レベルに到達できるのでしょうか。 

 

『そうだ。しかも、同じレベルに限らず、もっとずっと高いレベルに達することも可能だ。霊的進化の工程は、止まるところがないのだ。 

 

だが、それがただ一度の肉体生では無理なのは明らかだ。イエスと同じ域に至るには、君たちも多数の転生をして、無数の体験をする必要があろう。

 

それに、君たちがそこに達する頃には、イエスも他の全ての魂と同じように進化を続けているので、さらに高いレベルに進んでいるであろう。』

 

ゆ)神(と呼ばれる存在)と”人間”の違いは、どれだけ自身が神の分光(わけみたま)であるということに“自覚的であるか”(目覚めているか・認識しているか)の、違いである。

 

そして、霊性進化のプロセスは、一度切りの人生で完了することはなく、神々ですら、霊性進化(=意識の拡大・次元上昇・解脱)をし続けている。 

 

*イエスは、進化を続けるために、肉体に宿って十字架上で死ぬ必要があったのでしょうか。 

 

『いや、すでに何のカルマも負債も背負っていなかったので、その必要はなかった。あれほど酷な最期を迎える必要もなく、自己進化を継続できたであろう。だが、それがどんな影響をもたらすかを知っていたので、 好んでそうしたのだ。 イエスが偉大なのは、カトリック教会があれほど強調してきたように、 十字架にかかって死んだことではない。もしもそれがイエスの功績なのだとしたら、その時代にはそれが罪人の処刑法だったので、同じ形で死 んだ何十万人の人びとにも、功績を認めなければならないだろう。 イエスの最大の功績は、携えてきた愛のメッセージを布教した果敢さと勇気にあるのだ。そうすることで、多大な苦悩や死さえも被ることを 知っていたにも関わらず、誰の脅しにも屈せず、自分の考えを変えることがなかった。 』

 

*では、何のためにそうしたのですか。

 

 『後進の同胞への愛のためだ。イエスのように無条件の愛を知った魂は、 償いの必要性のためではなく、遂行せねばならぬ任務のために行動するのだ。通常それは、どのように愛をもって生きるかの手本を示すことと関係している。 

 

魂は、ある段階からは、愛だけを動機として行動する。多くの魂が、 発展の遅れた世界への転生を希望し、後輩を支援して愛に生きることで、もっと速く幸福に到達できるようにする。

 

この場合に遭遇するネガティブな状況は、贖罪のためではなく、霊的に劣った世界自体に元来備わっているものだ。だが彼らは、苦痛も死も 怖れていないので、そのような苦悩を味わうことや殺されることすらいとわない。

 

高次に進化しているので、死が存在しないことを知っており、 肉体の命は魂の命のほんの一瞬に過ぎない、と分かっているのだ。』

 

ゆ)ここで言う、償いの必要性=カルマ、であり、過去からのカルマ、を解脱すると、愛だけを動機(原動力)として生きるようになる。ただし、カルマ=悪、ではなく、霊性進化においては、(気付きや教えをもたらす)師でもある。

 

*それでは、神によって選ばれた民ということについてはどうですか。

 

『 神に優先される民族や人間など存在しない。神や高次の霊性は、他の者を虐げて特定の民族や人種と特別に結びつくことなどはせず、全ての人に進化の計画を推し進めるように呼びかけるのであり、それに協力したいかどうかを決めるのは、各魂である。もちろん、神の法則に従うようにと、誰にも強いられることはない。 望みとあれば、各人の意志と能力に応じて、個人や集団での人類の進化計画で、具体的な役割を果たす約束をすることが可能だ。これが、魂の選択なのである。 ゆえに「選ばれし者」とは、自分の内面を高次の霊性に開き、「愛の法則」に従った人生を送る約束をした者に過ぎず、それによって、自分を成長させるだけでなく、まだこの呼びかけに心を許していない者の手本となるのである。』

 

*キリスト教徒と信者のみが救われるという信心に関しては、イエス自身が「わたしを信じる者には永遠の命が与えられる」と言って、救済されるのは信奉者だという信仰のきっかけを作ったのではないですか。 

 

『イエスはそういう意味で言ったのではない。 彼は、各人に霊的な変革を起こさせる秘訣を教え、命は永遠であり、それぞれが自らの運命の創作家であることを自覚させたのだ。

 

現在の言葉に置き換えるのなら、「わたしの言うことと教えを信じる者は、命が永遠であることと、『救済』(進化)は本人次第で、その人自身が自らの運命の担い手であることを自覚できるだろう」となる。』

 

*イエスの真の教えの中で、最も大切なものを幾つか挙げていただけますか。※一部のみ抜粋

 

全ての人間は、人種を問わず、性別や宗教を問わず、同じ本質である。すなわち、皆、進化途上の魂であり、それゆえ、兄弟である。

 

人を裁くな。自分が裁かれないためである。あなたがたが裁く通り に、あなたがたも裁かれ、あなたがたが量る通りに、あなたがたも量られるからだ」(マタイ 7,1-2)

 

魂の生命は永遠であり、死は存在しない。

「 体を殺しても、魂を殺し得ぬ者どもを、恐れるな」(マタイ 10, 28)

 

地上の人間の務めは、無条件に愛すことを学び、我欲から解放されることだ。魂がどれだけ成長したかは、愛の力量だけで量られる。愛が我々を進化させる、つまり、神へと近づけるのである。

 

「わたしの戒めは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、 あなたがたも互いに愛し合いなさい」(ヨハネ 15,12)

 

『全ての魂は不死であり、魂の目標は、霊性進化のより高次の段階に達することだ。したがって、宗教的・政治的信心や人種やその他の資質を問わずどんな人間でも、進化の計画から締め出される者は一人もいない。すなわち、神やイエスや教会などを信じようが信じまいが、または人間的には大失敗であろうと、不死だという性質や、霊的に改善できる可能性 を失うことなど絶対にない。よって、誰にとっても死は存在しないし、 永遠に罰せられることもない。』

 

以上、引用と補足おわり。

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トラピスチヌ修道院のミカエル像(函館)

 

エメラルドタブレット講座を既に受講いただいた方は、今回の記事と併せてお読みいただくことで、講座でお伝えしていた内容、本質も、より深くご理解いただけるかと思いますおねがい

トートとイエスは、霊性進化の道について、(様々な角度から)同じ真理を伝えてくれています。

 

流行り廃れがないどころか これから(2022〜)が本番、と本気で思ってる講座です

 

 

〜終わりに〜

今回の引用に際して、著者(ヴィセント ギリェム・プリモ)より、『内容を変更せず営利を目的にしないという条件で、本書を 自由に頒布し、現在利用可能な全てのメディアによって、全体あるいは 一部を随意に複製することをこの場で許可し、その活動を後押しするものとする。』との記載があり、引用させていただいてます。

これほどの内容をシェア、引用掲載を許可して下さった御心に、心より感謝いたします。