光のお仲間のみなさん、今晩は
「私も幸せになれるって信じたい」
でも、
過去に深く傷ついたトラウマがあり、
どうしてもそれが引っ掛かってしまう。
そういう気持ちも
よくわかります。
でも、
トラウマって、あったら幸せになれないのかな?
たとえばひどく人に傷つけられ、
いじめられたトラウマがあったとします。
だからなかなか人に自分が愛されるとは思えないし、
人が自分に好意をもってくれることにさえ
恐怖を感じる。
なぜなら、
きっとこの人も私と付き合ううちに私を拒絶し
また私は傷つくにに違いない。
それが怖いから、愛を遠ざけてしまう。
ねえ、ねえ、ねえ、
そこまでわかってるなら、
大丈夫なんですけど。
どういうトラウマがあるのか
そして、どこでつまずくのか
わかっているなら、
もうあなたは
そこから抜け出せる準備が
できているということ。
たとえばね、
いつも自分は曲がり角を曲がるとき、
角の石につまづきそうになる
って分かっているとするじゃないですか。
そしたら、どうします?
角を曲がるときに、
その石をよく見て、
それにつまづかないように、
よけるでしょ。
何につまづいているのか分からないうちは、
よけようがないし、
またつまづいてしまいますよね。
でも
何につまづいているか
分かっているということは、
もうすでに、
それをよく見て確認しさえすれば、
そこから自由になれる
っていうことなんですよ。
つまづかないようにするためには、
石がどこにあるのかちゃんと目で確認して、
よければいいわけでしょ。
それと同じように、
自分がいつもつまづく石をよく見ればいいの。
いつも人から愛されないと思い込んでしまう。
何かあると、すぐに拒絶されたと早合点し、
勝手に傷つく。
それが「石」なんですよ。
それをよく見るの。
反射的に、
「ああまた愛されなかった」と思い込む前に、
「あっ、またこの石につまづきそうになってるな」
って気づいて止まればいいの。
そして落ち着いて、石をよける。
「ああ、そうじゃなかった」
「私はこのままで愛されていいんだ、
こっちだったな」ってよけるの。
止まらずに、
よく石を見ないでで、
反射的に動くから、
またつまづいてしまうだけ。
止まって、
指差し確認すればいい。
ここに石がある。
はい、それをよけます
って意識すればいい。
何度も石をよけているうちに、
脳に新しい回路ができる。
もうその石にはつまづかなくなる。
石を回避するルートを無意識に歩けるようになる。
「私はありのままで愛されていい」
という回路が優位になるんですよ。
生きていればいろんなことがあって当たり前。
誰もがトラウマになるようなことを
一度は経験しています。
だけど、
同じ轍を踏まなきゃいいだけ。
気づいて止まって、選択し直す。
それだけでトラウマから
自由になれる。
もっと言うとね、
魂ってそもそも無傷なんですよ。
過去に何があったとしても、
本当はどこも傷ついていない。
傷つきようがない完全なる至福の中に、
本質的にはいつも私たちは在る。
それを忘れて、
傷つくってこんな感覚なのか
って体験してみたくて、
そういう幻想を楽しんでいるだけなんですよ。
それが分かるようになると、
トラウマさえも歓迎するようになる。
ああ、そういう経験もしてみたくてしてたんだなあって妙に愛おしく思えたりして(笑)
そして、
石をよけるんじゃなくて、
抱きしめるようになる。
するとね、石は溶けてなくなってしまうんです。
それを別な言い方で言うと、
「統合」って言うんですけどね。
他のこともそうであるように、
トラウマもあっていいんだって受け入れたとき、
そこから本当に自由になれるんですよ。
この境地に至るには、
「幸せ、幸せ、……」って繰り返しながら眠り、
幸せの周波数に
意図的に同調するようにすればいいと思いますよ。
ということで、何が言いたいかというと、
トラウマがあっても、
幸せにはなれるってこと。
「トラウマがあるから幸せになれっこない」
この価値観を自分が採用しているから、
それが実現しているともいえる。
そんな価値観、採用しなくていいでしょ。
あなたはどういう価値観でも
選べる存在なんですから。
それではまた
今夜も素敵な夜を