こんにちは。

八王子ライフコーチングのオレーユです。

 

前回の「なぜコーチングを始めたか? (PART-1)」の続きとなりますので、まだお読みでない方はぜひそちらからどうぞ。

 

小学4年生の担任の影響で、海外を夢見始めた私の人生。

そして、その夢は高校時代に現実のものに。日本の高校に一度入学したものの、第一志望の高校には入れず、滑り止めで受けた学校に通うも、自分の心は満たされず。毎日、起きて、学校へ行って、友達とワイワイして、帰宅して、反抗期真っ只中だった私はろくに家族とも会話をせず自室に閉じこもっては、いつも通り夜空を見上げて自分は何者かを問う生活。

 

変わりたいと思っても10代の無力な自分には、何も変えられない。

でも、海外へいくという夢は1日も諦めたことはありませんでした。

そんなある日、知人の紹介で、非営利団体の留学財団の方と知り合う機会がありました。

海外がいかに危険かということをこれでもかというくらい叩き込まれ、夢や勢いだけで簡単に行くべきではないのか?と一瞬戸惑いましたが、10代から勢いを取ったら、何が残る?とより強く留学を夢見るようになりました。

 

そして、その団体が開催している留学希望者のためのオリエンテーションというものに参加させて頂き、海外の生活をより詳しく説明いただき、また海外では自分の意見を持つことがとても大切だと教えられ、実際に参加者がチーム戦でディベートをすることになりました。私にとって人生初のディベートでしたが、いかに自分が討論好きなのかということも改めて確認した日でした。ちなみにディベートのお題は、「学生の制服はあった方が良いか、ない方が良いか」だったと思います。

 

喧嘩ではなく、自分の意見や考えをはっきり言葉にしてぶつけ合う。 今まで他人に同調することに慣れていた私にとっては、そのディベートがなんだか、すごく気持ちよかったのを覚えています。(笑)

 

そして、それから数週間後のこと、そのオリエンテーションでますます海外への夢が盛り上がっている私のところへ、1本の電話がその財団から入りました。

 

まだ留学のご希望をお持ちですか?とのこと。もちろんですと伝えると、先日のオリエンテーションでのディベートの様子や態度を総合評価し、アメリカの日本人がまだいないエリアに学生親善大使として行ってくれないかとのこと。それも、返済不要の奨学金で!

 

それはもちろん行くでしょう!ということで、親もお金がかからないなら。。。と(渋々でしたが)、私のアメリカ行きが決まったのです!

 

そして、行き先は、カリフォルニア州にある田舎町アタスカデロという街。カリフォルニア州って、都会じゃん!と当時無知だった私はLAやNYのイメージを持ってアメリカに到着するのでした。

 

ます降り立った空港は、サンフランシスコ空港。免税店のお姉さんが、モデル並に美しく、辞書を片手に「お姉さんモデルですよね?」なんて話しかけに行ったことが今でも良い思い出です。笑

 

そして、空港からグレイハウンドという長距離バスに乗って、降り立ったアタスカデロの街。あれ?黄色いタクシーは?ローラースケートに乗って、海辺を颯爽と走り抜けるイカしたカリフォルニアンは?!

 

と、今となっては、カリフォルニア州は日本とほぼ同じ大きさの州なので、全部の街が都会なわけないんですが、高校生の私は、ちょっとイメージと違うけど、それでも、アメリカにいるというだけで、最高に気分が良かったです。

 

さて、ここから始まる私のアメリカ珍道中。なかなか「なぜコーチングを始めたか?」の回答に近づいていっていませんが、この過程も結構重要なので、しばしお付き合いを。。。

 

それでは、まだまだ本題に行きつかずダラダラとお申し訳ありませんが、続きはまた次回!

 

お楽しみに!!

 

↓懐かしき我が母校「アタスカデロ ハイスクール」。バスケ部に所属してました!