伝説のジャズギタリスト
パット・マルティノは音楽を通して
世界を魅了してきました。
しかし、彼の音楽の才能と成功の
裏側には素晴らしい人生のストーリ
があります。。。。。
1944年にアメリカのペンシルバニア州
に生まれたマルティノさんは12歳で
ギターを弾き始めました。15歳で
ギタリストとして生きていくと決めた
マルティノさんは学校を中退し
ニューヨークに引っ越しました。
その後彼の独自のスタイルと
ずば抜けた音楽のセンスで
音楽界で認められ順調に
キャリアが成長しました。
1967年に初リーダ作の
アルバムをきっかけに
次々とアルバムが
リリースされ充実した、
まさにアーティストとして
夢のような生活を送っていました。
そんな充実した生活の
中、数年に渡って
ひどい頭痛に悩まされていた
マルティノさんはコンサート中に
意識を失い一時公の場で
演奏することを辞めました。
その後MRI検査により脳に
腫瘍がある事が分かり
実家に戻って手術を受ける
決意をしました。
手術は成功しましたが
マルティノさんはほとんど
の記憶をなくしました。
ギターの演奏の仕方まで
記憶をなくしたマルティノさんは
引退同然の生活をしなければ
いけなくなりました。
両親がリハビリのために流していた
マルティノさんのレコードを
マルティノさん自信が自分の
演奏だと分からないほど
記憶を無くしていたのです。
一からギターの弾き方を
学ばなければいけない
過酷なリハビリ生活を
乗り越え、マルティノさんは
奇跡的なカムバックを
果たしました。
このリハビリ生活の間に
心の支えになったのは
ギターだったそうです。
再びギターをマスターする
のが楽しかったと本人は
インタービューで答えていました。
奇跡的なカムバックを
果たしたマルティノさんは
1996年に日本に初来日
し、その間に出会った
日本人女性と翌年結婚しました。
活発に活動をしていたマルティノさん
に再び試練が訪れます。
今度は重い肺炎にかかり、
医者には肺と心臓の移植
をしないと命はないと宣告
されました。しかし、この時
マルティノさんを救ったのは
奥さんでした。食事療法と
指圧で献身的な看病を
してくださった奥様のお陰で
マルティノさんの病気が完治し
またまた奇跡的なカムバックを
果たしました。
健康を取り戻したマルティノさんは
その後精力的に音楽活動を
続けています。
自分の生きがいで
あり、生活のすべてだった
ギターの記憶を無くすと
言う考えられないような
試練を乗り越えたマルティノさんは
素晴らしい精神力の持ち主です。
なんどでも彼はあきらめる事が
出来たでしょう。あきらめる方が
簡単だったでしょう。でも彼は
決してあきらめませんでした。
どんな試練が訪れてもマルティノさんは
自分のパッションである音楽を決して
あきらめる事なく続けてきました。
だからなんども奇跡が起きたのです。
ギターマガジンのインタービューで
日本へのファンのメッセージを
聞かれたマルティノさんは次のように
答えました:
自分が自分である事を幸せに思う。。。
それに勝る成功はない。つまり、自分の
人生そのものをもっと楽しもうと私は
言いたいね。
波乱万丈な人生を生きてきた
マルティノさんから素晴らしい
アドバイスです!
実は来週マルティノさんはまた
日本にきます
10/08-10/10東京のコットンクラブで
ライブをやります。
伝説のジャズギタリストを見に行く