【朝霞市】東圓寺(4) | ぼっちあるき

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歩きながら考えてみた

東圓寺の奥之院へと続く参道を歩いています。

 

 

参道脇の竹林にかぐや姫がいました。このお寺センスいいですね。随所で優しさも伝わってきます。「お寺なんてつまんない」と思って墓参りに来た子も、こういうのを見たら記憶に残るでしょう。彩色していない石像なのが、お寺っぽいし、伝説的でいいと思うのです。

 

 

しあわせ地蔵です。癒されます。これを初めて見たのが長谷寺(鎌倉)で、その時は「こういうお地蔵さんもアリか」と思ったのでした。でもこうして見ていると、笑顔って慈しみに通じるんだなぁとつくづく感じます。

 

「穏やかでいよう」というのが最近の僕の座右の銘ですが、常にこんな表情でいたいですよね。たとえそれが職場で、周りがピリピリしていようとも、あるいは「笑ってんじゃねぇ」と言われようとも、動じず、微笑みを絶やさずに生きていきたいと思っています。

 

 

参道が分岐しました。右が男坂で、左が女坂です。段差は変わらず、階段の有無で分かれています。ここまでの道中にもずっとあったのですが、分岐点に見えている仏像は、四国八十八ヶ所巡りを模して建てられたものです。

 

全部で八十八体ある訳ですが、今日は先の予定が心配なのでスルーしています。割とよく見かけますしね。今までで一番見応えがあったのは、高幡不動(日野市)でしょうか。不謹慎かもしれないけど、こういうのもスタンプラリーみたいで、子ども達は喜ぶと思いますよ。きっかけって大事ですからね。

 

 

男坂を下りて来ました。不動堂の前にある「不動の滝」です。流れ出る水は霊泉で、弘法大師が杖で掘ったと伝わっています。弘法大師の伝説は全国各地にありますが、杖で掘った霊泉という話は初めて聞きます。今もそれが流れているのって、ホントだとしたらちょっと不思議な感じがしますね。

 

 

おぉ~!水が流れている手水鉢を久しぶりに見ました。当たり前が当たり前じゃなくなってしまったコロナ騒動も、いい加減終息しそうですね。ワクチン接種も有料になりましたしね。今回踊らされた人々が学習して、次は多勢に無勢とならないことを祈ります。

 

 

不動堂の下には弁天堂があります。霊泉が流れる弁天池では、錦鯉が優雅に泳いでいます。生命の原点は水にあり、これは植物も生物も同じです。鉱物だけの惑星は多々あれど、水の有無こそが生命誕生の鍵なのです。人間も半分以上(50%~60%)が水分で出来ていますもんね。

 

さて、見所満載で、もっとじっくり探索したかった東圓寺ですが、なんとかポイントは抑えることが出来たので、今回の最終目的地へと向かいます。続きは次回に。それではまた!