妻が亡くなって27日目


今朝も息子と一緒に家を出た。この時間に出ると僕にはめちゃくちゃ早い出勤になるけど最近はそうすることが多い。なるべく少しでもぼうずとコミュニケーションをはかりたい。どんなくだらないやり取りでもいい。


昨日はまた1人、妻の古いお友達が妻を弔いに家まで来てくれた。妻の遺影と遺骨を見るなりすぐ泣き崩れていた。こうやって妻に会いに来てくれるのは僕はすごく嬉しい。そしてその人も実のところ僕の妻が亡くなる2週間前に乳がんで奥さんを亡くしたところだったようだ。彼にしたら自身の奥さんが亡くなり、そして良く知る友達の死と立て続けに不幸。


僕らはほとんど同じ境遇の残された配偶者。お互いの気持ちがものすごく分かり合える立場。こんなに早く同じ不幸を、しかもほとんど同じタイミングで体験した人に会うとは思わなかった。なんだかんだでお互いの話を3時間ほどした。


その人は僕はこれまで会ったことがなく、話は聞いていたり年賀状が来ていたりしたので古い友達がいるのは知っていた。息子がすごく小さい時に妻とどこかでランチをしたことがあるらしくぼうずのことを知っていた。大きくなったねって。ぼうずは小さすぎて当然覚えていない。


やはり話をするのはいい、それで全てが解消されるわけではないが理解者との会話はものすごく意味があるような気がする。


たくさん話した後、最後にもう一度妻に話かけていた。カジュアルに来てくれと言ったけど後で気づいたら御霊前もいつの間にか置かれていたし名刺も置かれていた。花も持ってきてくれていた。名刺にはなんか国連、UNとあって国連関係の人のようだ。ちゃんとした人だ。


あちらも僕を理解者だと認識してくれたらしく今度は僕らお互いの連絡先を交換した、お互いにまだ不安定かもだけどなんとか頑張ろうって。


これから細かい付き合いができるかどうかは知らないけど今回をきっかけに新しいちゃんとした人、そして同じ悲しいライブイベントを経験した人と出会えるのは嬉しい。



奥さん、会いたいよ、お話ししたいよ。寂しいよ… 

少し思い出話をしたせいかまた妻にさらに会いたくなってしまった。


新式の50日祭とかいう日に本当に会いに来てくれるのだろうか。それまでは魂は自由にどこにでも行けるから家にはおらず、という話。妻のことだから遠くまで1人で旅行とかに行ってると考えると少し微笑ましく思える。


これまで大事な人を亡くした人の話だとみんな絶対に来るという。みんな本当に会ったって、話をしたって。それは昨日の人も言っていた、絶対に来ると。なので僕は本気で会える事を期待している。そろそろ一度話をしないと僕は壊れてしまいそうだよ。なのでほんと期待している。その日を楽しみに… 心からその日を待っている。早く話したい、会いたい、本当に会えたら僕は嬉しくて泣き崩れてしまいそうだよ。わんわん泣きそう…