本日LDHが上昇、もう治る見込みはない... 週明けからいつどうなるかわからなくなった。

なので最期をどこで迎えるかという話になった。薄々感じていたとはいえ、現実となると言葉が出ない。

 

妻本人は帰宅できるなら帰宅して、ということだがそれは大変大掛かりなことで、何よりもそういった体制を確保する必要がある。それができるか、それを整えるまで妻が保つかどうかという問題もある模様。

 

妻は息子のことを心配して僕に泣きながら言った、僕が息子が生活面で不出来な際にわりと強く怒るし無関心になるからいつか僕が息子をどこかで捨てるのではないかと心配だと。なので息子はなんとか面倒見てやって欲しいとお願いされた。考えて一番悲しくなり不安になるのはそれだと。

 

なので僕は妻と約束した、ある程度妻の分身みたいなものだから捨てたりしないから、途中で放置したりしないからその心配は忘れてくれと。確かにいろいろと出来は悪いし、今この状況でさえ正直どこまで理解しているかも不明、これからの僕のリスクになるということもある程度正しいが、わかったと、息子が大人になるまでは捨てたりしないから、って。

 

 

そのあとは楽しくない話題と話さなければならない、相談しなければならない事柄を病院で話した。

妻のそばにいたいだけだったけど、全然楽しくない時間、辛い時間。でも息子のことに触れるとやはりまだ心配なのか涙ぐむ妻。でも息子は息子でいろいろとわかっていないのか家に帰るとゲームしている。明日はマミーに会いに行かないのかと聞いたら明後日にすると。正直たまにあとどれくらい時間が残されてるのかわからないんだけどなといいたいところ、明後日か… 

 

なんでこんなことになったのだろう... 最悪な年だ、これから5月が嫌いになりそう。何をどうしていいかわからない気持ち、どう行動していいのかわからないこの感じ、でも僕は僕でいろいろとやらなければならないことがあるので動くしかない、何がどうなっても。

 

たくさんお参りにも行った、たくさん願った、でも神も仏もいない、いたところでそれは人の生命に全く無関係の無い位置に存在するもの。現実が全てである... それがリアル... そして努力や頑張りは報われない、どれだけ頑張ってもどうしようもないことはどうにもならない。それを僕は改めて強く、深く、学んだ。やはりこれまで自分が通してきたその考えは間違っていない。どれだけ良い言葉を掲げたところでそれは無意味となる、それが現実。でもその現雑主義な僕のそれを覆してくれるとしたら今だったはずなのに、僕はまた自分が正しいと証明されてしまった。


本当は今晩も妻のそばで過ごしたい、あんな1人であまりもう何もできなくなってしまった妻を1人病室に置いていくのは辛い。でも、息子が家で1人はダメだった… なので行けない。介護休暇まで取ってるけど、妻のそばに行けない。


明日はまた朝から妻のそばに行こうと思う。あと何回妻の顔を見ることができるのか、あとどれくらい話せるのか… 


最低の年、最低の月、最悪の状況、全てが最悪である。


力も入らない、今から夕食の用意とか全然やる気にならない。見事に何もできないな。そして妻にも何もしてやれなかった自分… 情けない、落ち込んで泣いてることしかできない、こんなに自分は使えないもんかね