パリ駐在ポンテヴェドロ大使のツェータ男爵は妻のヴァランシェンヌを寵愛していた。

若くて美しいヴァランシェンヌを見初め、妻として迎え入れるにあたって、その出自などはどうでも良かった。

一方でツェータ男爵は真の愛国者であり、仕事一筋の男であった。公私をきちんと分断し、そのどちらも彼にとってはかけがえのないものだ。

そんな姿にニェーグシュは尊敬の念すら持っていたが、妻ヴァランシェンヌにとっては寂しい時もあった。


…そんなツェータ役を飯田裕之は作ってきた。なるほど彼の演技力をもってすれば、その二面性を際立たせて、妻の寂しさをより明瞭にすることができた。


彼とは大学時代の同期同門。いつも一緒にいた。その演技力は群を抜いていた。飯田裕之の力を全て引き出したい!…これが今回の演出におけるテーマの1つでもあった。ところが、こちらがアクションをする前に彼に実力を見せつけられた。台本を自分の力で読み込み、こちらのイメージ通り…いや、それ以上のキャラクターを作ってきてくれたのだ。

素晴らしい役者だと改めて思った。



飯田裕之のツェータは「ヴァランシェンヌ」と「仕事」だけではなく、ニェーグシュに対する態度、ダニロに対する態度、そしてハンナに対する態度、つまり相手によって接し方を全て変えていた。

実は台本に仕掛けを仕込んでおいた。
…ツェータにとってダニロは自分の部下であるにも関わらず、ツェータはダニロに対して敬語で話すようにした。

実はダニロは伯爵。ツェータは男爵。つまり爵位の上ではダニロの方が上だ。それなのに男爵であるツェータの部下である。ツェータにとっては少々めんどくさい部下である。それで、役職の上では上司でありながらダニロに敬語で話す。


ダニロはハンナとの一件以来、自分の家柄を恨んだ。だから祖国ポンテヴェドロを飛び出し、自分の「家」から逃げてきた。その行く先がパリの大使館。自分より爵位の低い大使の下で、真面目に働きもせずに毎晩マキシムで飲んだくれていた。ツェータはそんなダニロに強く出れない…そんな環境がダニロには好都合だったのだ。


そんな背景を踏まえつつ、台本にはただツェータがダニロに敬語で話す、という情報しか載せていなかったが、飯田くんは稽古初日に全てを把握していた。他のキャストから「これ、何で敬語なの?」という質問が出た時に飯田くんは即座に「爵位がダニロの方が上だからってことでしょ?」と僕に確認した。流石。


その台本に仕込んだヒント1つで彼は、扱いにくい部下も上手く使い、態度を変えながら見事に職務をこなす切れ者のツェータを作り上げてきた。それは稽古中のこんな一言からも読み取れた。

ニェーグシュに「お前の顔なんか見て話をするものか」「あ、でもこの台詞の時だけお前の顔を見るのはいいかもしれない」きちんと計算して演じていることがよくわかる。



さてさて、そんなツェータに舞台を回してもらうことで、この物語の人間関係が綿密に表されることになり、他の人物はそれにどう合わせていけるか、という作業のみで芝居が組み立てられることになった。

(つづく)




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MF合同演奏指導①

テーマ:
混声合唱団樹の指揮者として
毎年10月末に出演していた秋の
上福岡ミュージックフェスタ


今年は光栄なことに合同演奏の指揮を仰せつかりました。


全4回の練習で仕上げていくのですが、昨夜はその第1回目。どのくらいの人数の方が集まってくださるか不安でしたが、樹の団員さんを中心に、たくさんの方が練習にいらしてくださいました。



初回は音取りを中心に、でも軽くジャブを入れる程度に表現や発声などにもこだわって指導しました。


とにかく3曲もありますから、それを2時間×4回で仕上げるのは至難の技。練習内容も初回は飽和状態ではありましたが、皆さんよくついてきてくださいました。


2日後の明日も練習がありますから、ここで一気に煮詰めていきたいです。発声も整えていこうかな…。

【演奏曲目】
・フィンランディア
・Ave verum Corpus
・翼をください
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文京シビックレクリエーションホールにて
「なつかしの歌をうたう会」
案内役を務めました。




今年の4月に初めてこちらにお邪魔して、今回は2回目でしたが、参加者の皆さんに温かく迎えていただきました。


最初に「ドレミのうた」で声慣らし。
続いて季節に合わせて
「ちいさい秋みつけた」
「赤とんぼ」
を歌ってから、いよいよ本編。


前半は「坂本九」特集。
…だって九月ですから…(笑)

「上を向いて歩こう」
「涙くんさよなら」
「幸せなら手を叩こう」
「明日があるさ」
「見上げてごらん夜の星を」
「レッツキス」
まで…

歌いまくりました。
「レッツキス」では受付スタッフの皆さんも巻き込んで踊ったりしました。


休憩を挟んで独唱コーナー
「Caro mio ben」
「黒い瞳のナタリー」
どちらも後半のテーマに沿った選曲でしたが、自分の原点と新しい表現をどちらも見つめ直すことができる2曲でした。


「黒い瞳のナタリー」動画


後半は「別れ」をテーマに進行。
前回4月のテーマが「恋」でしたから、その続編ということで、このテーマになりました。

企画・構成の桜庭緑さんの発想力、とても面白い。今日の選曲も見事にはまりました。

「木綿のハンカチーフ」
「別れの朝」
「手紙」
「悲しい酒」
「好きになった人」
「星影のワルツ」
「サントワマミー」
「さよならはダンスの後で」
「また逢う日まで」
「あの素晴らしい愛をもう一度」


実は歌ったことはもちろん、聞いたこともなかった昭和歌謡や演歌、シャンソン等。
とても楽しく歌いました。



途中、都はるみさんのモノマネをして歌ったら、参加者の皆さんが爆笑してしまって歌えなくなる、という事件発生(笑)


うーむ、何だか新しい自分を発見してしまった…。
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カミーユは彼女の寂しさを知っていた。
人妻との恋は、決して「お遊び」ではなく、彼女を「救い出す」為の愛情だった。


カミーユは決して「旦那さんと別れて欲しい」とは言わないし、将来的にも言うことはなかっただろう。




「パリ随一の伊達男」と呼ばれる男の原動力は、「優しさ」だ。彼はドン・ファンよろしく、どの男よりも「愛」を中心に生きている。そこに彼自身のメリット/デメリット、損得勘定は存在しない。ハンナではなく、ヴァランシェンヌに愛を注ぐのは、公使夫人(ヴァランシェンヌ)の心の寂しさを埋めてあげたい、という善意からに他ならない。

そこが、同じくパリの伊達男であるサンブリオッシュとの大きな違いだ。サンブリオッシュは他の人妻との恋を楽しみながらも、ハンナのお金に目をくらませて、金持ちの未亡人に群がる他の男と共に行動をする。

カミーユはただ、今この瞬間、寂しい人妻の心を癒すことだけの為に行動している。それは一時の情愛かもしれないが、その想いはピュアである。




ヴァランシェンヌは、そんなカミーユのピュアさに心を揺さぶられる。
踊り子として生き、いつか成り上がれるチャンスを掴むべく逞しく生き抜いてきた日々。人生が好転したのはポンテヴェドロからやってきたパリ駐在公使のツェータ男爵に見初められた瞬間からだった。踊り子である(あった)ことを知らない公使は、ヴァランシェンヌの出自も問わず、彼女を妻として迎える。

踊り子時代に出会ったパリの男たちとは違い、純朴で真っ直ぐな想いを持つポンテヴェドロの男が魅力的に感じたかどうかはわからないが、少なくとも結婚生活に不満があった訳ではなかった。

しかし、慣れない貴族生活の中で、踊り子であった過去をさらけ出すことも出来ず、ひたすら夫からの寵愛を受ける日々は、彼女の心にポッカリと空いた空白の部分を形成していった。そこにカミーユ・ド・ロシオンが現れる。


彼の真っ直ぐで優しい愛情の前で、ヴァランシェンヌは一種の居心地のよさを感じていた。まるで友達のように、姉弟のように気楽に接することができた。しかしそのことがむしろ彼女の心に一つの不安を呼び起こす。

夫と離婚をして今の生活を手放すことは考えられない。当時の社会では離婚→再婚による幸せという構造はなかなか見出だしにくい。ましてや、カミーユ自身がそれを望んでいるわけではない。


自分と過ごす時間を無駄にするのなら、もっと他に幸せを求める時間を彼に費やして欲しい。それはヴァランシェンヌの嘘偽りのない気持ちだった。しかし「じゃあハンナさんと結婚します」と宣言をされると、心が騒いで強い気持ちをぶつけてしまう裏腹な心。矛盾する二つの気持ちを持つのは、女性のリアルな姿でもある。

「女女女のマーチ」がこの作品のテーマソング的な扱いでもあるのは、この物語が女性というものを、実にリアルに描いていることからも必然である。



ヴァランシェンヌとカミーユには3つのデュエットが用意されている。

一つめは
…「別れよう」と説得する人妻と、「それでも愛しています」と想いをぶつけるカミーユのポップで明るいデュエット。

二つめは
…理想の家庭を夢見る二人。しかし、その二人の描く理想はこの世にはなく、実現するものではない。

三つめは
…「別れの思い出にキスを…」と迫るカミーユに「罪を重ねないで」と拒否する人妻。その言葉に我に返るカミーユは、一節の詩を送る。その美しく純粋な言葉の音色にヴァランシェンヌはいつしか陥落し、二人は最後の誓いとしてキスを交わすことを決意する。


「不倫」の行き着く先は「別れ」であるのは不可避な結末。その別れをどのような形で、どのようなプロセスで迎えるのか。まるで「死」というゴールに向かって命を燃やす「人生」に似ているのかもしれない。だからこそ不倫は切なく、そして燃え上がるのだろうか。

僕は不倫を肯定しようとは全く思わない。許されざる行為だと考えている。しかし、それを演出家として描くにあたって、決して軽はずみな「火遊び」として描きたくはない。もっと人はピュアに行動しているものであり、そこに美意識がなければ舞台の上に乗せるべきではない、というのが僕の演出家としての信条だからだ。


今回、ヴァランシェンヌ役の鈴木沙久良さん、カミーユ役の青地英幸さんと共に、幕開き冒頭から2幕フィナーレに至るまで、一つ一つそれぞれの役の心情変化を確認しながら、互いに共有し合って作っていきました。


特に楽譜上は沈黙をしている2幕フィナーレ後半は、目線のやり取りまで細かく細かく練り込んで作っていきました。すべてのお客様には伝わらないであろうけど、このシーンがダニロとハンナの攻防戦なだけではなく、その脇でもう一つのドラマを進行させることで、より濃密な緊張感を舞台上に作り上げていけたと思います。


最終的に2幕フィナーレは、ヴァランシェンヌがその場にいることに耐えられなくなり泣きながら立ち去り、それをカミーユは追おうとするが、ハンナとの婚約を祝福する人々に妨げられてカットアウト、というエンディングにしました。

その後、カミーユは3幕には登場せず。ヴァランシェンヌは意を決して夫ツェータの前で昔の踊り子姿を披露するのでした。



稽古の初日にお二人には前もって宣言してありましたが、本当に苦しく、難解な作業だったと思います。背徳ともされる「不倫」というものと真っ直ぐに向き合い、共感し、追体験していかなければならなかったからです。


でもお二人とも大いに悩み、考えながら、決して妥協することなくチャレンジ精神でカミーユとヴァランシェンヌを演じてくださいました。

本当に素晴らしかったです!



実は夏のリリカふじみ野「メリー・ウィドゥ」でも同じプロセスでヴァランシェンヌとカミーユのシーンを作っていきました。
ヴァランシェンヌ役の栗田真希子さんは苦渋の別れとそれに抗えない女の切なさを。カミーユ役の東海林尚文さんは直情的な愛を表現してくれました。




今回の鈴木沙久良さんはピュアでキュートなヴァランシェンヌ故に真っ直ぐにカミーユの気持ちを受け止め悩んでは揺らぐ恋心を。青地英幸さんのカミーユは、とてもとても優しく愛らしくもあり、それを拒否しなければならないヴァランシェンヌの苦悩がとても共感できました。



同じ演出で、出来上がるシーンは同じなのに、演じる方によって(また、組み合わせにもよって)それぞれの演者さんの魅力が違った形で引き出されるのが面白いなぁと思いました。(※これは他の役も同様)

どちらの公演も素晴らしかっただけに、舞台の奥深さを改めて知ることができ、演出家としては大きな収穫を得ました。


ヴァランシェンヌが小悪魔的な描かれ方をすることが多いのですが、僕はそれが嫌でした。




「不倫」というものを「お遊び」のように扱うのではなく、リアルなものとして描こうとするにあたって、妻には妻なりの言い分がある、ということを全幕を通して表現していき、カミーユとツェータの間で揺れ動く心を演じてもらいました。


そして、そのヒントをレハールはきちんと2幕フィナーレに描いています。それを見落とすわけにはいかない。




元々マキシムの踊り子であった彼女は、その過去を知られずに公使夫人にまで成り上がったこの生活を捨てることは絶対にできない。しかし、その夫である公使ツェータ男爵は彼女を寵愛しながらも、愛国心と仕事一筋のために妻の心を満たすことができていなかった。そんな心の隙間にカミーユという情熱が注ぎ込まれ、彼女も一線を越えはしないものの心をときめかせている。

よくデュエットの1つがカットされてしまうのですが、3つとも必要だ、という必然性をレハールの想いを代弁して作りこみました。



今回、ヴァランシェンヌ役の鈴木沙久良さんに、切なくも芯の通った妻の苦悩を演じてもらうことで、ラストシーンでのツェータとヴァランシェンヌがハッピーエンドを観客の全員が「よかったー」と思っていただけたのではないでしょうか。


また、そういったヴァランシェンヌ像を本読みの段階で読み込んできて、彼女を寵愛しながらも公私に一線を引き、妻の寂しさに気づかない夫役を作り上げてきたツェータ役の飯田裕之くんの感性の鋭さと、その演技力にも感嘆しました。ラストシーンでの見事な大芝居には鳥肌が立つほどでした。とても深い人物設計を演じ上げる技術は超一流。学生時代からその才能を知ってはいましたが、改めて「さすが!」と感じました。




3幕終わりのグランド・フィナーレ「女女女のマーチ」はハンナとダニロの為のフィナーレではなく、ヴァランシェンヌとツェータの夫妻の為のエンディングだと思います。


「男にゃ女は理解できない
 でも、そこが魅力的なんだ」

と歌い上げるこの曲は、ただのドタバタコントのイメージソングではないのです。

「女は男ほど単純ではなく
 とても神秘的な存在だ」


カミーユと別れ、過去を全てさらけ出したヴァランシェンヌ。彼女の過去を知り、それでも全てを受け入れるツェータ。不倫の疑惑があがりながらも元の鞘に戻る二人。


この先、この夫婦がどうなるのかはわかりませんが、この時点での二人のピュアさに人は心打たれることでしょう。



理想の夫婦像、という意味では、夏にリリカふじみ野で「メリー・ウィドゥ」を演出させていただいた時には、ツェータ夫妻との対比で老年夫婦のプリチッチとプラシコヴィア夫妻のデュエットを3幕頭に挿入しました。(曲は「ルクセンブルク伯爵」のものを転用)


スピンオフ・ストーリーとしての挿入でしたが、あのシーンは本当に美しかった…ツェータ夫妻も、あんな夫婦になって欲しい、という僕の願いをこめた演出でした。