皆川達夫「キリシタン音楽入門」を読んで・・・! | マンボウのブログ

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こんな本が目に留まったので、図書館から借りてきた。チョキ

 

 

   キリシタン音楽入門

 

本皆川達夫「キリシタン音楽入門 ~洋楽渡来考への手引き~ 」(日本キリスト教団出版局 2017)

 

 

キリスト教弾圧で消えていった西洋音楽。幻の「キリシタン音楽」の姿を探り続けた西洋古楽研究の大家が書き下ろす、待望の入門書。

 

 

<内容>

メモ歴史の闇に埋もれたキリシタン期洋楽伝来の実態に西洋古楽研究の大家が光をあてる

キリスト教とともに戦国末期の日本に渡来し、徳川幕府のキリスト教弾圧により消えていったグレゴリオ聖歌とルネサンス音楽……。かくれキリシタンが歌い継いだ「歌オラショ」をはじめ、現代まで遺る貴重な史料を駆使して、幻の「キリシタン音楽」の姿を探り続けた西洋古楽研究の大家が書き下ろす、待望の入門書。

 

<目次>

第一部 洋楽の渡来
 洋楽の渡来
 天正遣欧少年使節
 関白秀吉御前演奏
 音楽史料の欠如

第二部 『サカラメンタ提要』
 その内容
 収録された聖歌
 キリスト教弾圧

第三部 『キリシタン・マリア典礼書写本』
 もう一つの史料
 聖歌旋律の復元
 音楽との関連
 成立期と収蔵の経緯

第四部 かくれキリシタンのオラショ
 生月島の「かくれキリシタン」
 生月のオラショ
 「歌オラショ」
 《ぐるりよざ》
 《ぐるりよざ》の原ラテン語聖歌を求めて

第五部 筝曲《六段》の成立について
 変奏曲の発想
 《クレド》とは
 《クレド》と《六段》との重ね合わせ
 キリシタン期の日本における《クレド》
 ヴィオラ・ダルコによる聖歌伴奏
 筝曲《六段》の作曲者

あとがき

 

<著者>

ジーンズ皆川達夫[ミナガワタツオ]
1927年東京生まれ。1951年東京大学文学部卒業。1953年同大学院修了。1955-58年、1962-64年の2回にわたってアメリカ、ヨーロッパ留学。1968年立教大学教授、1993年同大学定年退職、元東京大学講師、元慶応義塾大学講師。現在、立教大学名誉教授、全日本合唱センター名誉館長、国際音楽学会名誉会員Ehrenmitglied。中世音楽合唱団(1952年設立)主宰。著書『バロック音楽』『中世・ルネサンスの音楽』(講談社)、『オラシヨ紀行』(日本キリスト教団出版局)、『西洋音楽ふるさと行脚』『西洋音楽史? 中世・ルネサンス』(音楽之友社)他。NHKラジオ番組「音楽の泉」(AM第1放送、日曜朝)解説担当。1978年イタリア政府よりキリシタン音楽研究の功績によってイタリア共和国功労勲章を授けられる。2003年論文『洋楽渡来考』によって明治学院大学より芸術学博士号を授けられる。

 

 

   

 

               皆川達夫(1927-2020)

 

 

 

皆川達夫と言えば、「バロック音楽の楽しみ」などで、お馴染みの音楽評論家の第一人者であった!OK

 

 

 

画像

 

  サカラメンタ提要(1605年)より、聖歌のページ(日本で活版印刷された最古の楽譜)

 

 

 

この本に惹かれたのは、筝曲「六段」とキリシタン音楽との関係が気になったからである。右差し

 

 

 

 

 

「かくれキリシタン」などキリシタン弾圧・虐殺を潜り抜けてきた歴史を繙きながら、叙述をすすめてゆく著者の学識は、ここでは紹介するのは難しいので、敢えて止めておく。

 

「クレド」と「六段」の楽譜を比較したページは興味深々だけど、ここに紹介することは困難。えーん

 

 

ラテン語聖歌「クレド」と「六段」との関係を語る著者の意気込みが穏やかな筆致からも伝わってくるようだ。そのクレドは、ヴィオラ・ダルコ(ヴィオールに近い擦弦楽器)の伴奏で歌われていたようだ。

 

なお、筝曲「六段」の作曲者は、「諸田賢順」「八橋検校」「北島検校」など諸説あり、特定されていない。

 

   メモ・・・いずれにしても筝曲「六段」は純器楽音楽作品で、歌詞を一切もたないところから弾圧時代をかい潜り、この現代まで生命を保つことができました。筝曲「六段」は日本が誇る音楽文化遺産です。たとえもし、それがヨーロッパの宗教音楽の影響から出発したものであったとしても、この名曲の価値を傷つけることには毛頭ならず、かえってヨーロッパと日本との音楽文化融合の証しとしてますますその存在意義を高めることになるのではないでしょうか。・・・(p.172-3)

 

 

 

 

 

 

「あとがき」で、贖罪の意識が根底にあるという著者は、こう語る。

 

   メモ・・・日本伝統音楽と西洋音楽との出会い、日本伝統文化とキリスト教文化との出会い。そこには多くの未解決の問題が秘められています。われわれ東の国の人間が西の音楽を優先して聴き入っているのは、どういうことなのか。一方、本書の主要事項である「かくれキリシタン」信仰が失われつつある現実もあります。本書はそれらの難題に答えることなく問題提起するだけですが、お読みくださったお一人一人がしかるべき解答をご用意いただきたいと願っております。・・・(p.182)

 

 

 

 

             西洋音楽発祥記念碑(大分市)