連日、世界中で様々な事件が起きている。
戦争は少し別として、犯罪として法に触れて、大事な一生を台無しにしまうような出来事が。
わたしは昔から悲惨なニュースを見ると、犯罪者を怖いではなく、哀れみの目で見ていた。
それは今も変わらない。
犯罪者が可哀想とはどういうことか。
それは被害者に対し失敬ではないかという声が飛んできそうだが、それはなぜ彼らが犯罪に手を染めてしまわなければならなかったかという背景を充分理解していないからです。
非常に表面的に受け止めると、誰かに対し危害を加えるというのは恐ろしいことである。
しかし、犯罪を犯した当人は望んで傷つけたいと思ったり、牢屋に入れられることを望んではいなかっただろう。
その犠牲を受けてでも、そうしなければならなかった何かがあるのである。
犯罪心理学を扱う人なら充分理解されていることだが、犯罪者の深層心理には、そうでない人が受けなかった壮絶なストレスにさらされてきている。
ずっとストレスを浴びせられてきた人がおかしくならないはずはない。
日常生活でちょっとあいつ性格に問題があるなと見られる人も、そういう性格にならざるを得なかった何かが必ずあるはずである。
逆に良い性格の人は、そうなる良い影響を受けていたのだろう。
これらのことから言うに
犯罪者=社会のひずみ
の現れであると考えている。
現象というのは相互的に作用しあって起こるものであり、隣り合っていない事からでも、そのまた隣から引き継いで影響が生じる。
一歩違えば自分が犯罪者になっていたケースも考えらえる。
それを前提に私が言いたいことが二つある。
ひとつ
犯罪者や性格に問題を抱えている人をみた時に、なにも考えずに非難するのはやめてもらいたい。
先述のように、彼らにはそうなった原因があり、それが何なのか考察した上で、非難すべきところはして欲しい。
ニュースでは犯行の動機は、と報道されるが、その動機も直接引き金になった極めて表面的なものである場合がほとんど。
ただしく知るには、犯罪心理学の本を読むなどして勉強をして欲しい。
ふたつ
自分が恵まれた存在であると自覚をしてほしい。
犯罪を犯すほどのストレスにさらされていないことに対して、感謝をしましょう。
もしあなたがストレスを感じているならば、それはまだ軽症かもしれない。
重度になると、ストレスを打ち消そうと、体が防御反応をした結果、ストレスの自覚が無いか、異常な高揚感に陥る可能性がある。
何事も、予防と発症した時の早期治療が大切なので、もしストレスを自覚しているなら、やってほしいことがある。
それは「赦す」ということ。
赦す?いったい何を赦すの?
全てです。
全てを赦しましょう。
あなたが自分でできないと思って自分を責めていること
あなたを過去に傷つけてきた人のこと
あなたが今やらなければならないことを思い詰めていること
人によって心の器も生まれながらに違います。
そこを無理に器の大きい人と並べるとしんどくなります。
赦すという行為は、ストレスでパンパンになって自分の器からはみ出しているものを、捨てていくという行為だと思います。
不必要に捨て切れなかったストレスを、赦して、余裕のある器にしていきましょう。
ストレスを取っ払うと自分をあまやかし努力をしなくなる人がでてくるいう意見が聞こえてきそうですが、ストレスの種類についてはまた次の記事で書きたいと思います。