東京45年【18】八甲田山 | 東京45年

東京45年

好きな事、好きな人

【18】

 

 

 

秋から冬、日本東京~青森~秋田
 


アンデスから日本に帰って来たのは9月になっていた。
 

帰っ来て、すぐ病院に再入院した。

 

足に入っている金具を取り除く手術だった。

医者には金具を入れっぱなしで激しい運動はするなと言われていた。

 

また冷やすなとも言われていた。

 

登山は激しく動いて、寒かった。

 

走らない様にはしていたので医者には『走っていません』と言った。


山に登った後は足首がパンパンに腫れたので、キンキンに冷たい沢の水で冷やした。

 

冷やさないと腫れが引かず、靴がはけなかった。

 

そんな山登りを繰り返していると腫れる度合いは少しずつ小さくなっていた。


その入院はあまり長く掛からなかった。

 

10日で退院した。

 

何度、同じ箇所を切り刻まれた。

 

何度縫われたか良く覚えていないが、5、6回はあったと思う。


入院の度に茂子を思い出した。

 

その時は不思議と思い出さなかったが、知り合いが見舞いに来る度に別れたのかと聞かれた。

 

それには閉口辟易した。

 

勝手にさせてくれよと思った。
 

退屈な入院生活が終わる頃に病室のおじさん達や看護婦さん達と仲良くなっていた。

 

医者には後はリハビリに通いなさいと言われた。

 

身体障害者認定は半年後に判断しましょうと言われた。
 

 

 

 

仲良くなった人の中にその病院で働いている准看護婦学校に通っている女の子がいた。

 

綺麗な子では無かったが、心根の優しい子だった。

 

看護婦にもなっていないので『安い強制バイト』と本人が言っていた。

 

雑用ばかりをせっせとこなしていた。

 

退院の時に何かプレゼントをくれた。

 

それが何だったかよく覚えていないが、優しさを感じた。

 

16才だった。
 

同時に『こいつと付き合ったらどうなるかな?』と不埒な考えがふっと湧いた。

 

しかし俺はガキの頃から考えるとロクな事が無い。

 

特に女に対して、口説く戦略を練ったりすると結果はロクな事が無い。

 

あるがままに衝動に突き動かされる様にしていると良い恋愛をする様だ。
 

 

 


退院して上井草寮で寮母さんを手伝い、大学に通った。


卒論の実験も順調に進み、6年で卒業出来る見込みも立っていた。

 

卒論の標題は『頚椎損傷における術式改善を目的とした補助器具装着時の適正化を行う為の金属歪み利用した電気的定量化を行えるレンチの開発』だったと思う。

 

概要は頚椎捻挫とか骨折をして、軽度であれば首にサポーターを巻くだけだが、ひどい場合は首を切開して首の骨に補助金具を直接取り付ける術式である。

 

その補助器具はねじを回して適度な締め付けで骨を安定化させるのだが、このねじを回し過ぎると骨が砕けてしまうし、緩いと骨がズレたり外れたりする。

 

するとそのショックで神経を痛めて半身不随になったり、最悪の場合は死に至った。

 

当時はこの『適度な締め付け』がくせ者で、適度にねじを回せる医者が日本に3人しかいなかった。

 

このねじを回す道具は六角レンチだったが、医者は微妙な手の感覚だけで締め付けを決めていた。

 

一方でその術式を必要とする患者は日本だけで年間3000人を越えていた。

 

それをたった3人の医者がさばける訳はなかった。
 

だからどんな医者でも適度な締め付けが出来る道具があれば良かった。
 

その道具の開発が研究テーマだった。
 

3人の医者の締め付け度合いを基準として、その締め付け度合いを電気的信号で読み取れる様にすれば、どんな医者も手術が出来る。


試作品のレンチは100本を越えた。
 

被検体は動物の骨だった。

 

いよいよ卒論提出期限の11月になって、俺達だけの提出期限が翌1月に延びた。

 

理由は順天堂大学病院で臨床試験を行うとの事だった。

 

つまり俺達が作った器具やら道具で人の首を手術するということだった。
 

卒論のメンバーは俺を含めて4人。
 

それから御茶ノ水の病院に何度か通い、打ち合わせをして、臨床。メンバーの二人は手術室の外でサポートに回り、俺と三谷が手術に立ち会った。

 

俺がデータ取り、三谷が道具の管理をした。
 

午前中に始まった手術は4時間程で終わったが、三谷は最初の20分で血を見てぶっ倒れて、最後まで手術を見ていたのは俺だけだった。


手術は上手くいった。

 

そして卒論も12月末には上手く書けた。
 

 

 

 

だから山岳部の正月合宿に心おきなく参加出来た。

 

合宿は八甲田山の交差縦走だった。
 

八甲田山は、明治陸軍がロシアとの戦争の前に実施した訓練で199人という世界で最大の遭難・死亡者を出した山としてあまりにも有名な山である。

青森歩兵連隊と弘前歩兵連隊が予定したルートではなく、山頂をたどるルートを選択した。

 

合宿の参加人数は60人程度で二つに分けて青森側と弘前側からの交差縦走を予定した。


その年は雪が多く、ラッセルに時間がかかったが、全員無事に合宿は終了した。
 

 

 


山を降りて、緒方漣の実家に行った。
 

住所は、秋田県なんとか郡『陣場毛馬内』、変わった地名だった。

 

秋田の大館から十和田湖に向かう途中にあった。

 

いや、ほとんど十和田湖と言ってもいい程に十和田湖に近かった。

 

ど田舎にある集落だった。

 

弘前に比べて雪は少なかったが、とにかく寒かった。

 

集落と言ってもあまり家はなく、とにかく原始の森が果てしなく広がっていた。


暖房には薪や練炭を使っていた。

 

練炭のコタツ、湯たんぽの様に布団の中で使う練炭暖房器具、薪の暖炉等々があった。
 

着いたその日に緒方漣の両親と妹に会った。

 

全員が美男美女だった。

 

特に妹は非の打ち所が無い程、容姿端麗だった。

 

高校3年生で、東大に行くらしい。

 

『行くらしい』とは誰も受験を失敗する事は有り得ないと言っているとの事だった。


その晩は5人で緒方漣の幼い頃の事や両親の馴れ初め、親父さんの仕事、登山の話等をした。


夜も更けて、緒方漣とお互いに飲めない酒をチビチビやりながらいろんな話をした。

 

緒方漣は大学入学の目的だった『オナゴと感性磨き』の話をした。
 

『いったい何人の女と付き合った?』俺が聞くと
『真剣に付き合ったのは5人、その他30人くらいかな!?』


『6年で5人は多いが、その゛その他゛ってのは何だよ?』


『好きでセックスをしたけど付き合わなかった女とか、セックスだけの女とかだ。それ以上かも知れない』


『よくもまぁ、食い散らかしたなぁ!?罪悪感は無いのか?』
 

『罪悪感は無いが、後味が悪いのがほとんどだな』
 

『お前にちゃんとした精神が有って良かったよ。原宿の店に怒鳴り込んだ女はどうした?』
 

『ああ、アッタマのおかしいオナゴな。俺の他に2人男がいて、そいつらに任せた』
 

『その時お前には何人いたんだ?』
 

『4人かな!?』
 

『その娘もおかしいけど…、お前のいる世界がわからないよ』
 

『俺は男の煩悩を尽くしてるだけダゼ。お前もしてみたいだろう?』
 

『それは分かる。でもハーレム状態は俺には出来ないな。』
 

『島谷にはちゃんとした精神は無いか幼いかだよな』
 

『何だ、そりゃ?』
 

『一人の女と5年ちょい付き合う神経が俺には異常に思えるよ。まぁ心が病んだ時期のペルー女との1発はともかく、茂ちゃん一途は凄いよ。そのペルー女も結局、茂ちゃんを見つける為だったもんな!』
 

『それは結果だよ。その時は茂子は消えていた。全くどっちが異常なんだか?』
 

『おっ、お前も入口は覗いたみたいだな。俺も他の女を思い出しながら別の女は口説けないぜ。だいたい正常と異常は、紙の表裏で近いものダゼ!どっちが正常で、どっちが異常かは感性次第だよ。それに俺だって結果ダゼ。お前だって茂ちゃん口説いた時に後先考えてないだろう?』


『そりゃそうだけど…』
 

『それに山に登るお前は、好きだから登る。そして感性を磨いた。俺は女が好きだから女を通して感性を磨いた。何が違う?』
 

俺は確信を持って語る緒方漣に言葉が返せなかった。
 

『お前は山を通して人生を学んだ。俺は女を通して男を学んだ。それだけだよ』
 

『将来、お互いに山や女以外に学ぶものが沢山あるだろうな?』
 

『島谷の方が楽だろうな!』


『何故だよ?』
 

『お前の方が生きる術を知ってるからさ』
 

『お前だってオナゴから勉強したじゃないか?』
 

『俺は自分の弱さを未だ知らない。だけどお前は知った。これは大きいゼ』
 

6年間、親友と呼べる奴は岳友以外には緒方漣だけだったが、怯えている緒方漣を見たのは初めてだった。
 

『そんな事は無い。みんな弱いさ。俺が一番弱いよ』と俺。
 

『ところで、智子から連絡があったが、お前茂ちゃんを振り続けているらしいな?』
 

『そんな事になっているのか?』
 

『そうじゃないのか?』
 

『あいつが山に嫉妬するのは申し訳ないと思うが、あいつも情熱が傾けられるものを見つけたいんだよ。それが欲しいんだよ。俺も高校生の頃そうだった。何でも良かった。だから別れる時、あいつが理解出来た』
 

『お前みたいに見つけられる人間は滅多にいないんだよ。それを理解して茂ちゃんとやり直せよ』
 

『それはもう出来ない。そうしたいが出来ない。多分、俺も茂子も両方ダメになる』
 

『お前の方が強いからそんな事はないだろう?』
 

『何を言っている!?俺が弱い事を知ってるだろう?』
 

『普通に弱いお前を知ってる。だけどお前は自分の弱さを熟知して認めた奴なんだよ。それを認める事は普通は出来ないんだよ。弱い事を受け入れる奴は殆どいない。それを周りに見せる奴はもっといない。そんなお前は絶対強いよ』
 

『デカントだったか?どっかの哲学者みたいだな』
 

『はぐらかすなよ。お前は茂ちゃんと一緒にいるべきだよ。』
 

『さてはお前、茂子に会ったろう?』
 

『ノーコメント!』
 

『だからそうしたいけど、出来ないんだよ。あいつもそれは分かっている事だよ』
 

『そう言っていた』
 

『ほら、ボロを出したな。やっぱり会ったんだな!』
 

『そんな事より何だよ、それ?』
 

『5年も付き合ったんだ。それくらい分かるさ。あいつも俺を分かっているんだよ。お互いに戻れない事も分かっているんだ。あいつも前に進むしかない事を分かっているんだ』
 

『それも茂ちゃんは言っていた!』
 

『全く外野がうるさいんだよ。俺はあいつの幸せを誰よりも願っている。絶対にあいつには幸せになって貰いたい。でもそれは俺じゃあないんだ。それはあいつが誰よりも分かっている事だ』
 

『何でだよ?これだけお互いに想っているのに、何故戻れないんだ?物凄く残念だよ』
 

『お前がオナゴと過ごして成長した分、俺はあいつを見つめて成長した。あいつも俺を見つめて成長した。それで分かり合えてるんだ。俺はあいつを学んで、あいつは俺を学んだ。そして一緒にいた年月はお互いを成長させた。二人が一緒にいられない程にお互いが成長したんだ。それも分かり合えてるんだ。智子やお前の気持ちは嬉しい。泣きたいほど茂子が恋しい。でもお互いの心が零に限りなく近く一致していて、限りなく分かり合えているんだ。それでいて無限に離れているんだ』
 

『二人にだけ分かるんだな!茂ちゃんも同じ様な事を言っていたよ。本当に残念だ』と緒方漣は弱く言った。
 

『お前等以上に一番残念なのは、俺達二人なんだよ』と今度は俺が弱く言った。
 

どんなに茂子を思っているか。

 

どんなに茂子を抱き締めたいか。

 

失恋から立ち直ったつもりでも、いつも心を突きさす痛みがあると言った。


緒方漣は泣いていた。

 

俺も泣いていた。
 

 

 

 

『散歩しないか?』と俺。
 

『バカ!表は零下15度くらいダゼ!』
 

『いいじゃん!』

真夜中2時頃だったと思う。

 

十和田湖近くまで歩いたと思う。

 

星が綺麗で瞬いていた。

 

明かりは無く、たまに寒さで森の木々が割れる音がした。
 

『俺はこんな綺麗な所で産まれたんだ。知らなかった』と緒方漣。
 

『カッペがシティーボーイにはなれないんだよ!』と俺はしみじみ言った。
 

『そうだな!』
 

『俺は海で育って、お前は山で育った。幸せな事だよ』
 

『ああ、感じるよ』
 

『だったら少しは女に優しくしろよ。自然にあるがままに生きろよ。お前は無理をし過ぎる。だから付き合う女が沢山になるんだよ。まあ、それもお前の優しさだけどな。いい奴だからな』と俺は言った。
 

緒方漣は本当に良い奴だった。
 

それから1時間くらいして家にたどり着いた。

翌日は緒方漣の親父さんが職場の車を取って来て、十和田湖まで連れて行ってくれた。
 

その車はジープの形をしていたが、ブルドーザの様にキャタピラを履いていた。
 

親父さんは営林署の署長をしていた。