☘️平成27年10月12日☘️
この日は忘れられない日となった。
お風呂の蓋を右手で持ち上げた瞬間、右半身に激痛が走った  ガーン
過去にギックリ腰になったことがあったため、ネットで調べると片側だけギックリ腰になる人がいることがわかり、片側ギックリ腰と自己判断して安静にした。
これが長い闘いの始まりになるとなんて思ってもいなかった。

☘️平成27年10月13日🍀
会社はデスクワーク中心というかデスクワークのみです。
足を引きずりながら仕事に行ってはみたものの右仙骨部の痛み、右足の痺れと肛門周りが右側だけ痛み座っていられず早退した。

☘️平成27年10月14日🍀
近所の整形外科を受診。
レントゲンを撮ったが、異常は見当たらず「おそらくギックリ腰」とのこと。湿布とロキソニン、メチコバールが処方された。
「痺れる」というと整形外科医はメチコバールを処方するが、これはただのビタミン剤であり、私には全く効果がなかった。

☘️平成27年10月21日🍀
一向に痛みが改善しないこと、過去のギックリ腰時にはなかった足の痺れと肛門周りの痛みがあるため、近所の別の整形外科でMRIを撮ったところヘルニアではなく異常なしとのこと。
むしろ年齢の割に椎間板は綺麗と褒められた。
リリカ15mgが処方され、1週間服用したが、1週間後に受診した際の前回と違うドクターは「リリカは精神安定剤みたいなものだから服用をやめよう」と言われ、リリカの服用は終わった。

☘️平成27年11月15日🍀
いっこうに痺れや痛みが軽くならないため、国立埼玉病院の整形外科へ紹介状を書いてもらい受診したところ、「持参したMRI画像では枚数が少なすぎて診断できない」との理由でMRIを撮り直すことになった。

☘️平成27年11月🍀
とにかく長い時間続けて座っていられないので、藁をもすがる思いでスタイルプレミアムを23,000円で買ってみた。
座り心地は最高だが、やっぱり長い時間続けて座れないのは変わりはなかったが、ただ、座っていられる時間は延びたので一定の成果はあったと思っている。



☘️平成28年12月☘️
職場の近くの整形外科を受診して、もちろん「異常なし。体が硬いことが原因だ」と言われ、理学療法を週一回受けることになった。
自分でネットで調べ、自分の症状にはリリカが良いのではと思い、すがる思いで1日リリカ75mg✖️3回服用で処方してもらったが、目に見えるような効果はなかった。
よく言われる眠気の副作用もなかったので、とりあえず服用し続けた。

☘️平成27年12月10日☘️
慢性腰痛の85%は原因不明と言われているが、最近はストレスから腰痛になる人がいることがテレビ等で取り上げられていて、それを知っていた職場の同僚から「心療内科に行ってみたら」と言われたため心療内科を受診し、精神安定剤の服用が始まった。
自己診断的には、思い当たるようなストレスは何もなかった。
また、精神安定剤を服用しても症状が改善することはなかった。日を追うごとに重くなる症状への不安に対してだけは効果があったように思う。

☘️平成27年12月20日☘️
国立埼玉病院の整形外科でMRIを撮り直し、やはり異常なしとの診断を受け、念のため頚椎までMRIを撮ることになった。

☘️平成28年1月23日☘️
国立埼玉病院で頚椎のMRIを撮り、やはり異常なしとの診断を受ける。埼玉病院の整形外科医から「整形外科でできることは何もない。神経内科へ繋いだ方がよいか」と聞かれたが、典型的な三分診療の病院だったので、大丈夫ですと断った。
今思えば神経内科へ行っていたら何か変わった展開になったかもと悔やまれる。

☘️平成28年1月27日☘️
妊娠中の妻が切迫早産で入院となり、毎日職後にお見舞いに行くために右半身の通院どことろでなくなった。

☘️平成28年3月初旬☘️
第一子が無事に誕生し、妻は1カ月間実家に帰ることとなった。妻は入院生活を乗り越えて本当によく頑張りました ラブ
本当は幸せの絶頂期なんだと思いますが、このころには右半身の症状も悪化し、15分くらいしか続けて座れなくなり、夜も眠れないし、寝ても痛みで夜中に起きるようになっていました。僕の体で何が起こっているんだろう❓
完全に精神的に疲弊していた えーん




☘️平成28年4月1日☘️
仕事で昇進し、激務職場のリーダーになってしまった。
正直、毎日職場に行くだけで精一杯で部下のことなんか気にしている余裕のない中での昇進だったので、「本当にやばい」と思った。
これから残業続きの毎日が始まった。

☘️平成28年4月2日🍀
妻と赤ちゃんが妻の実家から戻ってきた。妻が一時的に産後鬱っぽくなってしまい、土日は僕が赤ちゃんをみて妻を遊びに行かせていた。
仕事は連日の残業で右半身の症状は悪化していた。
このころは症状も悪化していて右足をひきずって歩いているけど、病院に行っても「異常なし」と言われるので、「僕の体に何が起こっているのだろう」と不安で仕方なかった。残業が続き妻や子供と1日に一度も会わない日が続いた。妻にとってもストレスのたまる日々であったと思う。

☘️平成28年5月24日☘️
とうとうまったく座っていられなくなり、椅子がこわくて椅子を見ただけで気分が悪くなる状態であったため、上司に現状を報告するとともに「来年度は降格して、有給休暇を取りまくって徹底的に右半身の原因を調べたい」と伝えると、「今すぐに調べるべきだ」と言われて病休を取ることになった。今は上司の判断に感謝している。

☘️平成28年6月初旬☘️
医療系出版物を発刊している出版社に勤める友人に症状を話してオススメの病院を聞いて予約を入れるとともにネットで情報収集し、「とりあえず手当たり次第受診しよう」と決めた。

☘️平成28年6月21日☘️
腰痛や脊柱間狭窄症で有名な九段坂病院の整形外科部長の診察を異受け、「異常なし、肛門周りが痛くなるのはお尻のクッション性が人より弱いからだ」との診断であった。
お尻のクッション性なんて言われたってどうにもできないので、腰痛界のビックネームの病院だけに正直がっかりした。

☘️平成28年6月28日☘️
職場の産業医から「整形外科で行き詰まったら帝京大学神経内科で筋電図検査というのを受けてみるとよいかも」と言われたため受診したところ、先生が僕の足を片足ずつ抑えて、先生の腕と力比べをした結果、右足の筋肉が左に比べてかなり弱く、右足の小指と薬指にほとんど力が入っていないため、筋肉に針を刺して電流を流して痺れの程度を判断する筋電図検査を受けることになった。
また、MRI画像で気になる部分があるから造影剤を入れたMRIを撮り直すことになった。
やっと原因がわかるかもしれない」と久しぶりに気持ちが明るくなった。
この日は、イギリスのEU離脱が決まった歴史的な日だったことを覚えている。

☘️平成28年6月30日☘️
もう一つの腰痛界のビックネームである国際医療福祉大三田病院の脊髄脊椎センターを受診。ここは元自民党幹事長の谷垣さんが脊髄を痛め入院したり、石川遼くんがヘルニアの手術をした病院です。
持参した「MRI画像では念のため上司にも確認したが異常はない。最近、うつ病で腰痛になる人がいることがわかってきて、サインバルタといつ抗うつ剤が腰痛の保険適用になった。君の腰痛も精神的なものではないか」と言われ、精神的な治療をしたら腰痛が治った人の体験記の抜粋のコピーを渡された。その方の書いた本を読んだが、僕にはまったく効果がなかった。
30日に帝京大で造影剤入りのMRIを撮り直すことを伝えると「何にもでないと思うから期待はしないこと」と言われ、帝京大のMRIに期待を膨らませていた自分は崖から突き落とされたようなショックを受けた。
結局、この病院では傷つくことしか言われた記憶がない。
しかし、今になって思うのは原因不明の腰痛の原因がメンタルにあることがわかってきたという最近の治療のことを理解している意味では、これまで受診した医師とは違うとも感じた。
ちなみに僕が読んだ本は「腰痛は脳の勘違いだった」と有名作家の夏樹静子さんが自身の体験談をまとめた「椅子がこわい」です。夏樹静子さんは抗うつ剤のサインバルタを服用して完治したそうです。
脳で治す腰痛DVDブックは好評だったNHKスペシャルを書籍DVD化したもので、この本は読んで良かったと思ってます。
この本には、実際に治っているのに脳のDLPFCが痛みを覚えていて、実際にはない痛みを感じていることが書かれていた。

☘️平成28年7月☘️
西洋医学でダメなら東洋医学だと思い、すがる思いで10回ほど整体に通ったが全く効果はなかった 💦💦

☘️平成28年7月25日☘️
帝京大学神経内科で筋電図検査を受けるとともに7月23日に撮った造影剤入りのMRIの結果を聞いた。
筋電図検査の結果、やはり僕の右足は痺れているとの診断を受け、MRIに仙骨部の右半身に嚢胞がみられ、神経根嚢胞との診断を受けた。
そして「帝京大学病院には、この病気を治療できる医師がいない」との理由で都立神経病院の脳神経外科部長への紹介状を渡された。

大学病院で治療できない病気って・・・」と不安になった びっくり

また、帝京大学の医師より「とても珍しい病気です」と言われた。

家への帰り道で神経根嚢胞でググってもまともな情報を発見することはできなかった。
筋電図検査は地味に痛かったです。

☘️平成28年8月2日☘️
神経病院も1ヶ月先くらいしか予約がとれないかなぁと覚悟していたが、あっさり1週間後に取ることができた。谷口先生の外来は火曜、木曜の午前中のみです。
都立神経病院は入院専門の病院のため、帝京大学で撮った造影剤入りのMRI画像と紹介状を持参し、隣接する多摩総合医療センターの脳神経外科の外来で部長の診察を受けた。
先生は僕のMRI画像を見るなり、「段坂も三田病院もだらしがねえなぁ」と言いました。九段坂も三田病院も交友があるらしく「あなたを診察したのは誰だ」と聞かれたが、名誉のため名前は伝えなかった。
先生が言うには100人のMRIを取れば3人くらい嚢胞がある患者がいるけど、殆どの人が無症状だから僕を診断した整形外科医は嚢胞があるMRIを見慣れていて、僕も無症状だと決めつけて診断し、無症状の嚢胞のことを説明して不安をあおるのもよくないと思って嚢胞の存在すら教えなかったんだと思うと言われました。
知識のある脳神経外科は検査入院してミエログラフィーという脊髄造影検査をすると神経症状を引き起こす嚢胞かどうかわかるとのことで、すぐに検査入院することになりました。
人生初の入院によって原因がわかりそうな期待と「難病だったらどうしよう」という不安が交錯した。

帰り道に「ミエログラフィー」とググったら、ビックリするくらい「痛い」、「二度とやりたくない」という記事ばかりで暗い気持ちになった ガーン

ただ、初めて私の右半身の症状について理論的に説明してくれる医師に出会えて嬉しいというか安心した 照れ


☘️平成28年8月9日〜13日☘️
世間はリオオリンピックで盛り上がっている中、4泊5日の検査入院をしました。


初めての入院と初めての脳神経外科病棟でした。
神経病院の脳神経外科は入院している方のほとんどが脊髄系又はてんかんの手術の方で、脊髄系の術後の方は頭が装具で固定され、鎧をまとったような感じで首をまったく動かせないような状態の方々でした。そんな方々があちらこちらにいるので、すぐに僕は雰囲気にのまれて自分もあんな風になるのかなぁと不安になった ガーン

検査で一番嫌だったのがミエログラフィーと言われる脊髄造影検査です。
脊髄へ造影剤を注射する1時間前に点滴が始まり、ストレッチャーで寝たまま手術台のような上に腰を丸めて横向になり、腰に麻酔を打った後に脊髄に造影剤を注入されました えーん
ネットにミエロの激痛について書かれたものがたくさん書かれていたため恐れていましたが、麻酔がしっかり効いてくれたので歯医者の方が痛いくらいでした。
ミエロをやるまではかなりびびってましたが、正直拍子抜けするくらい痛みはありませんでしたびっくり
造影剤注入直後、3時間後、6時間後、12時間後にCTを撮りました。
注射後1時間は寝たままで安静にするよう言われましたが、心配していた髄液もれもありませんでした。

4人部屋で22時消灯、6時起床、7時半に朝ごはんという生活でしたが、周りの人のいびきで眠れないし、寝ても周囲の患者さんの点滴のアラーム音で起こされ、眠れない入院生活でした えーん
この入院中に多発性硬化症とてんかんのおじちゃんとお友達になりました。
都立神経病院で知り合った入院患者は、遠くは大分県、静岡県、長野県など、全国各地から入院をしていて都立病院なのに都内在住者の方が少ない印象を受けました。
かくいう僕も隣県在住者です。
後で知ったのだが神経病院は四年連続てんかんの手術数日本一の病院だそうです。
同じ日に入院した方は神経病院に何度も入院されている方で「ここのご飯は醤油をかければ何でもうまい」と言っていて、その方は僕より早く退院したので、余った醤油をくれました。
確かに醤油をかけると美味しくなった 照れ
神経病院は将来的に建て替え予定があるほど建物は古いけど、トイレはリフォームされ、中は掃除が行き届いていて快適でした。
とりあえず談話室にある漫画は読破しました。
検査した内容は下記の通りで、最短一泊2日で充分だと感じました。
現に私のネットへの書き込みを見て神経病院で手術した僕以外の患者さんはみんな一泊二日の入院で退院しています。
入院費 約5万円
生命保険25,000円(日額5,000円加入)

<検査した内容>
①レントゲン
②MRI
③血液検査
④肺活量検査
⑤心電図検査
⑥ミエログラフィ検査

☘️平成28年8月18日☘️
検査入院の結果を聞きに多摩総合医療センターを受診。ミエログラフィー検査の結果、手術が必要な仙骨くも膜嚢胞であるとの診断を受けた。正直、手術と言われて嬉しかったです 照れ
病気と言われて喜んだのは、発症から10ヶ月間、8箇所目の病院まで原因がわからず闇の中をさまよっていたからだと思います。
自分の体がどうなってしまうんだろうと不安だったし、病院に行けば医師から傷つくことばかり言われていたからかもしれません。
また、妻でさえ僕のことを病気と思っていなかったですし、家族よりも長い時間を共にし苦痛に耐えながら仕事をしていたのに職場の上司から「痛い痛いというけど信じられないんだよね」と言われたり、傷つくことばかりだったからです。

先生から「嚢胞のある右側の仙骨が嚢胞に浸潤されかなり薄くなっている」と言われたので、「先生はミエログラフィーをやる前から仙骨が薄くなっているから手術が必要な嚢胞だとわかっていたのですか?」と質問したところ「もちろん」と言われた。

ミエログラフィーの画像をみせてもらったところ、造影剤が残っているところはCTで黒く写るのですが、造影剤注入直後と3時間後では嚢胞以外の脊髄が真っ黒(造影剤が残った状態)で、12時間後には嚢胞だけが真っ黒(造影剤が残っている状態)であることがわかりました。
嚢胞には出入り口があり、出入り口が小さいと固い神経を圧迫する嚢胞で、出入り口が大きいと柔らかい神経を圧迫しない嚢胞になります。
ミエログラフィーの結果から僕の嚢胞は出入り口が小さな固い嚢胞であることがわかり谷口先生から手術を提案されました。
前述したとおり仙骨嚢胞は100人のMRI画像をとれば3人くらいは仙骨嚢胞の人がいて、そのほとんどの人は無症状です。
そのためこの手のMRI画像を見慣れてる整形外科医の多くは仙骨嚢胞を病気と思っていない医師がほとんどです。
なぜ仙骨嚢胞があっても無症状かというと嚢胞が柔らかいものだからです。 
柔らかい嚢胞だと、嚢胞が神経を圧迫することがありません。それは嚢胞が柔らかいからです。 
それでは、なぜ僕のように仙骨嚢胞で手術をする人がいるかというと稀に硬い嚢胞で神経を圧迫したり、骨をえぐってしまう場合があるからです。
では、どうやって嚢胞の硬さを調べるかというとミエログラフィーという造影剤を使った検査があります。 
嚢胞には出入り口があります。
その出入口が広ければ広いほど柔らかい嚢胞になります。無症状の嚢胞はこのタイプになります。
次に硬い嚢胞は出入口が非常に狭いものになります。このタイプが神経を圧迫したり、骨をえぐってしまうタイプです。 
ミエログラフィーという検査は、腰に局所麻酔後に造影剤を注入し、私の場合だと注入直後、2時間、6時間後、12時間後にCTを撮りました。
造影剤が残っている場所はCTで白く写ります。
注入直後のCTでは嚢胞を除く部分が全て白く写り、嚢胞に造影剤が入ってませんでした。12時間後では、嚢胞だけが白く写っていました。嚢胞にだけ造影剤が残っているとういう状態です。
このことから私の場合、嚢胞の出入口が小さく、なかなか嚢胞に造影剤が入らないけど、一度入った造影剤が中々ぬけない、つまり出入口が狭い硬い嚢胞ということが立証されました。
このことにより、僕は手術により症状の改善が見込める患者と判断され手術を受けることになりました。
症状のある仙骨嚢胞の方はだいぶ珍しいようです。
あらかじめ妻に先生から手術の提案をされたら「お願いします」と答えることを確認していたので、即答でお願いした。
先生から「完治はしないけど、楽になると思う」と言われました。
家に帰ってから「仙骨くも膜嚢胞」でググってもほとんど有益な情報を得ることができず、「本当に珍しい病気なんだ」と痛感した。
この頃は、右足が思ったほど上がってないのかつまずくことが増えていたので「難病だったらどうしよう」と不安で仕方なかったので、手術で進行を止められるし改善もするとの説明を受けて安心しました。

☘️平成28年9月2日☘️
海外旅行用のスーツケースにパジャマ等を入れて、9月7日に手術するため入院となった。手術までにしたことといえば血液検査だけだったので、金曜に入院して土曜は外泊し、日曜日に病院に戻った。

☘️平成28年9月5日☘️
先生から40分くらいかけて手術についての詳細な説明を受けた。
手術は長いと全身麻酔で8時間くらいで、仙骨に穴を開け、穴の先にある嚢胞を小さくした上で嚢胞の出入り口を大きくし、穴を開けた仙骨をチタンで固定して終了とのことでした。
脳神経外科医が執刀する手術としては平易なものとの説明を受けた。
実際に詳細の説明を受けると「いよいよだな」と緊張してきた。
その際にも「完治はしないが楽になると思う」と再度言われた。
一度傷ついた神経は100%元どおりにはならない」とのことでした。
また、末梢神経は術後どこまで回復するかは人によって違うとのことでした。

☘️平成28年9月6日☘️
検査入院で知り合ったてんかんのおじちゃんがお見舞いに来てくれた。
連絡先も交換してなかったので、「おそらく手術入院しているだろうという勘で来た」とのことでした。たわいもない話をして時間が過ぎて楽しいひと時だった。
検査入院のミエログラフィにビビりまくってた自分だが、いざ手術となると「全身麻酔だから寝てる間に終わってしまう」と完全に開き直っていた。
眠れないか心配だったが寝つきは悪くなかった。

☘️平成28年9月7日☘️
6時に目覚め、9時からの手術に合わせ8時に両親が立会人として病室にきてくれた。
両親の家から1時間半かかる病院だけに申し訳なかった。
8時45分にT字体(ふんどしみたいなもの)をはき手術着に着替え、よくドラマであるような感じで両親が両脇にいる中でストレッチャーで手術室に運ばれて行った。
手術室ではいつもの白衣ではない紫色の手術着の谷口先生などのスタッフが待ち構えていた。
麻酔科医から名前の確認をされた後、「麻酔をかけます。1から10まで数を数えてください」と言われたが3までしか記憶がなかった。
両親が僕を呼ぶ声で起こされ手術が無事に終わったことを知った。
手術時間は5時間ちょっとで終わり、先生から両親に「確かに嚢胞があり、きちんと処置できた」との説明があったとのこと。
両親はしばらくして帰っていった。
神経病院では術後、手術日当日はICUに入ることになっている。
ICUには他に手術した人が入っており、「痛いよ〜」だとか唸っている人がいて気が休まらなかった。
というか麻酔が切れるとともに傷口の痛みとお尻の割れ目の少し上からベルトラインくらいまでを切っているのでずっと横向きで寝返りがうてないので、関節痛で30分に一回は看護師さん2人がかりで体の向きを変えてもらった。
体の向きを変えてもらうときは傷口も傷んだ。
結局、傷口の痛みと関節痛で一睡もできずに朝を迎えた。
また、術後6時間は水分を取れないので、喉が乾くと看護師さんかウェットティッシュで口の中を拭いてくれた。
ICUの看護師の方は足を揉んでくれたり本当によく面倒をみてくれたと思う。

☘️平成28年9月8日☘️
ICUの看護師さんにパジャマに着替えさせてもらって病棟に戻る前にCTを撮った。
傷口からは髄液漏れの量を測るための管が入っている状態で仰向けに寝なければならず「痛い、痛い」と叫びながらの撮影であった。
一般病棟のナースステーションに一番近い部屋になったが、相変わらず30分に一回体の向きを変えてもらわないと発狂しそうなくらいしんどかった。
この手術において関節痛が一番つらかった。
午後に母がお見舞いに来てくれたが、母の顔を見るなり涙が出た。
それぐらい異常な精神状態だったのだと思う。
入院中に友達になった手術経験者の方から「ICUは地獄だよ。手術翌日は誰かにお見舞いに来てもらった方がよい」と言われていたので、母に無理して来てもらってよかったと思っている。
確かにICUは地獄だった
しかし、一般病棟に戻っても関節痛で結局一睡もできなかった。
この日の午後に傷口から管が外された。

☘️平成28年9月9日☘️
おしっこをする際に尿瓶を使っていたのだが、失敗してシーツを汚してしまったので、シーツを変えるために車椅子に座らなければいけなくなった。
担当看護師さんから「僕の手術部位から言って座っても痛くないのは保証する。勇気を持って座りな」と励ましてもらって車椅子に座った。
座ることによって血流が流れ出したのか関節痛が一気になくなった。
もっと早く車椅子に座るべきだったと後悔した。
ただ感じたのは2日間寝たきりになっただけで支えなしでは歩けない状態になっていたので、「歩けなくなるのって簡単なんだな」というのがショックであった。
お昼ご飯の介助をしてくれた看護師さんは僕の誕生日が翌日の10日であることを知っていて「誕生日までには歩けるように頑張りましょうね」と声をかけてくれた。
誕生日を知ってくれている人がいることが嬉しかった。
また、車椅子を使ってトイレに自力で行くことができ、汚い話しですが便をする際、いきんでも傷口が痛むことはなかったので安心した。
ネットで知り合った手術経験者の方は、手術の翌日から座ったそうなので、やはり手術翌日には勇気を出して座ることをオススメする。

☘️平成28年9月10日☘️
誕生日によちよち歩きながら歩けるようになった。嬉しくて涙が出そうなのをこらえた。
谷口先生の朝の回診時に「術前より足の指が痺れている」と伝えると、「嚢胞に圧迫されていた神経の表面が剥がれていた脱髄によって一時的に痺れが強くなっている」とのこと。
脱髄が治るのは早くて3ヶ月、遅いと2、3年と言われた。
今のところ一番辛かった肛門周りの痺れはあまり感じないが、長時間座っていないため確認できない。
夕食時のデザートに誕生日限定の特別デザートとメッセージカードがついていた。
40歳の誕生日が寂しい誕生日にならずに済んでよかったと病院の心遣いに感謝した。


☘️平成28年9月11日☘️
病院内を歩く練習した。
10分ほど歩くと傷口が痛むので休憩しては歩くの繰り返しをしていた。
足の痺れは改善せず。

☘️平成28年9月12日☘️
術後初めてシャワーを浴びた。
正直髪の毛が麩菓子のように固まっていたので、すっきりした。
傷口がしみるか心配であったが、介助のお姉さんに撫で洗いしてもらい、しみることなく気持ちよかった。
明日から毎日シャワーを浴びで、ポテトチップス食べながらコカコーラゼロを飲む生活が始まった。

☘️平成28年9月13日☘️
職場の同僚からお見舞いを受けた。
帰る場所があること、待っていてくれる人がいることがいかに幸せかを感じた。
10ヶ月間原因が分からず苦しんでいたどん底の自分を知る同僚であったため、同僚が帰ると泣きそうになった。

☘️平成28年9月14日☘️
この日から4人部屋へ移動した。
抜糸をした。傷口はひっついていた。もうやることは歩行練習のリハビリ以外ないらしく、入院患者と和気藹々と過ごした。
驚いたことに同部屋に我が家から200mくらいの近所に住む方がいて仲良しになった。
退院の日まで和気藹々と過ごした。

☘️平成28年9月21日☘️
前日に確認のMRIを撮り退院となった。
母に応援に来てもらって駅から家まではタクシーを使い家までたどり着くことができた。
外の世界には病院にはなかった段差があり、少しの傾斜も坂に感じるほとであった。
家に戻ると子供と妻がRSウィルスにかかり壊滅的な状態であった。
神奈川から2時間半かけて毎日母が助けてくれ乗り切ることができた。
入院生活を振り返ると、主治医の先生だけでなく、術後の地獄のような時期に夜中でも嫌な顔ひとつしないで体位交換してくれ、精神的にも支えてくれた看護師の皆さんなど最高の医療スタッフのお陰で乗り切ることができたと感謝の気持ちしかありません。
僕は変わり者なので、入院中にスマホで感謝状を書き、退院後に印刷して郵送しました。
入院費 約10万円(高額療養費利用)
生命保険で重大手術に該当し、入院日額の40倍の保険金が出たため、保険金が30万円も出た。
退院後しばらくは傷口の痛みが出るまで歩いて、痛くなったら休むを繰り返していました。


☘️平成28年9月☘️
ネットの掲示板に仙骨嚢胞の手術をしたことを投稿したら「主治医を教えてほしい」と5人から連絡があった。
みんな僕と同じように路頭に迷っている方々だった。
やり取りをしてみると超有名な東京の大学病院の整形外科を受診しても「薬の服用と経過観察しか治療はなく、神経がたくさんある場所だからリスキーで手術はできない」としか言われないとのことでした。
仙骨嚢胞は、やはり整形外科医じゃダメなんだと改めて思うとともに、帝京大学病院が都立神経病院の先生という素晴らしいドクターを紹介してくれたことへの感謝の気持ちが大きくなった。
帝京大病院神経内科の園教授が「神経病院の経外科部長ならたとえ専門外でもあなたを治療してくれる最善のドクターを必ず紹介してくれるから」と僕に言って都立神経病院を紹介されました。
先生は、失礼な表現だと「神経オタク」で「真の神経医師」だと思います。
入院中に若い先生に聞いた話しですが、先生は東大医学部出身で神経病院に20年以上勤務し、大学病院にいれば必ず教授になっている人だそうです。
でも、先生は、様々な地域から患者の紹介を受け、火曜と木曜の外来以外の月曜、水曜、金曜は手術する神経病院での生活が好きみたいです。
後から知ったのですが、先生は脊髄外科の指導医で認定番号が若いほどベテランといわれる中で、39番と若い方なため、理事を務める全国的にも有名な先生でした。
当の本人は、役職とかまったく興味がなく、目の前の患者の治療しか興味がなさそうな先生です。
先生を紹介してくださった帝京大の神経内科の園教授が先生に全幅の信頼を寄せていたのがわかった気がします。

これ以降、先生を受診する度に「あなたの影響で珍しい病気なのにポツポツ患者がくる。ネット社会恐るべしだな」と毎回言われるようになった。

☘️平成28年10月4日☘️
先生を受診し、MRIの結果を聞いた。再発もしていないし問題ないとのこと。
今後6ヶ月ぐらいで脱髄による痺れが治るか2から3年程度の長い付き合いになるか決まるとのことでした。

☘️平成28年11月4回☘️
右半身の背中が仰向けに寝ると痛いので受診したが、手術とは関係ないとのこと。
しばらく経ってから治った。

☘️平成28年12月1日☘️
仕事に復帰した。
なれるまで本当に疲れた。
それとともに、術前より軽くなったとはいえ、術後も長時間座ると肛門周りが痺れることに気づいた。
また、前屈すると膝までしか手が届かないほど体が硬くなってしまっていることに気づいた。
腰を手術し、背中の筋肉をほとんど使わなかったせいか両肩が五十肩になってしまい、つり革につかまれず通勤の電車が地獄だった ガーン

☘️平成29年3月7日☘️
術後半年が経ち、傷口の痛みはないが、術前全く座れなかったのが60分くらいは続けて座れるようになっていた。
また、手術前は午前中で限界を迎えていたが、14時くらいまではなんとか座って仕事がてきるようになっていた。

☘️平成29年4月1日☘️
人事異動。仕事は楽だが我が社一のパワハラ王で周囲から人格障害と言われている方が上司になった。
まだまだ術後の回復期なので1日きちんと働く自信がない中で保育園の送迎などの育児が始まり、その上、最低な上司とうまくやれるか不安を抱えての船出となった。

☘️平成29年5月25日☘️
4月以降何度か上司からパワハラを受けていたが、どうしても許せない出来事があり、職場にいけなくなり、メンタルで病休を取ることになった。

☘️平成29年5月30日☘️
精神的には安定しなかったが、せっかくいただいた病休だったので、働いていたらできないレベルで体幹トレーニングなどのリハビリを開始した。

☘️平成29年7月☘️
精神的にはだいぶ落ち着いてきた。リハビリを継続していたら、5月には乗れなかった自転車に10分以上乗れるようになった。
病休になって以来、体にエネルギーがなかったがリハビリだけでなく、夕飯の料理などの家事全般をするようになった。
また、一歳2ヶ月の子供と2人で同じ部屋で眠るようになり夜中に何度も起こされることによってエネルギー以上の活動をしてしまった。
結果、ひどい帯状発疹になり医師から入院をすすめられたが、「できるなら入院したくありません」と伝えると仕事を休職して自宅安静することになった。
もともと休職中だったため、リハビリは中断することとした。
左腕から肩まで100個以上の水ぶくれができました。




☘️平成29年8月☘️
1ヶ月かかりようやく帯状発疹が治ってリハビリを再開した。
この際、体によいことは何でもやってみようと思い、エコーを使った筋膜リリースの鍼治療を10回立て続けに受けてみたが効果は感じられなかった。
先生自体は理学療法士の資格も持っている鍼灸師だったので、リハビリのメニューを考えてくれて良かった思っている。

☘️平成29年9月6日☘️
多摩総合医療センターで先生の外来を受診。
術後1年検診でMRIを撮った。
恐れていた再発や癒着もなく順調とのこと。
まだ右足の痺れと肛門周りが痺れていることを伝えると、痛み止めとして抗うつ剤のトリプタノールが処方され、1ヶ月後に効き目の確認をすることになった。
先生は「そろそろ痺れが消えないまでももう少しよくなってよい頃なんだけどなぁ」、「でも、重症だと神経の戻りも時間がかかるんだよなぁ」と言われたので、「僕って重症なんですか?」と聞いてみると、「仙骨があんなに薄くなってしまっていたんだから明らかな重症だよ」と言われた。
先生に「流行りの筋膜リリース注射って効果ありますか?」と質問したら、「あれは筋膜にアプローチするもので、私の場合は、神経が傷ついた後遺症だから効果は期待できない」と言われた。

☘️平成29年10月4日☘️
多摩総合医療センターで先生の外来受診。
トリプタノール服用後も変化がないことを伝えると、てんかんの薬のテグレトールが処方され、また1ヶ月後に効き目の確認をすることになった。
また、リハビリで続けた体幹トレーニングの成果が現れ始め、発症してから起きている間は常に頭にあった右半身への不安を忘れられている時間ができてきたことに気づいた。
最近、慢性腰痛の人は脳のDLPFCという部分が痛みを覚えていて、治っているのに脳が痛みを覚えているがために痛みを感じることがわかってきており、自分もこれなのかもしれないと思うようになった。

☘️平成29年11月1日☘️
多摩総合医療センターで先生の外来を受診。
テグレトールは少し効いている気がすると伝えると、「劇的に痺れがなくなる薬はないからテグレトールで様子をみよう」と言われた。
2ヶ月後に再度受診することになった。

☘️平成29年12月4日☘️
仕事に復職した。
パワハラ上司の目の前の席であったが、会社側が配慮してくれて、パワハラ上司から離れた席で仕事をすることになった。
しかし、同じ空間にいることだけでも苦痛なので、4月の人事異動を信じて辛抱しようと決意した。

☘️平成29年12月28日☘️
多摩総合医療センターで先生の外来を受診。
痺れは弱くなってきていることを伝えると、「調子が良い日はテグレトールを飲まなくて良い」と言われたので、「飲まなかったらどんな程度の痺れか知りたい」と思い服用するのをやめてみた。
やめても痺れが強くなることはなかったので、そのまま服用をやめた。

☘️平成30年2月☘️
復職後もパワハラ上司から嫌がらせが続いていたが4月の人事異動を信じてやってきたが、本当に我慢の限界と思うような出来事があった。
大人気ないが「パワハラ 正当防衛 殴る」でググったところパワハラ上司を殴ると正当防衛が成立せず傷害罪となるのでこれだけはやっちゃいけないと思った。

☘️平成29年3月6日☘️
多摩総合医療センターで先生の外来の受診。
テグレトールを飲まないでも痺れが強くならないことを伝え、このまま薬はなしでいくことになった。
また「9月に術後2年目のMRIを撮り異常がなければ病院は卒業」と言われた。
先生を100%信頼していて、大好きな先生にお会いできなくなることに寂しさを感じた。

☘️平成30年4月☘️
念願叶って他の部署へ異動できた。
また、パワハラ上司もこれまでの数々の悪業が問題になったのか、関連会社へ島流しとなった。
右半身の症状は3ヶ月単位くらいでみると良くなっていると感じる。
具体的には術後からずっと起床時には右半身がバキバキにかたまってる感じが続いていたが、ようやく最近バキバキ感が消えてきたように感じる。
仙骨嚢胞の手術は手術してすぐに良くなるようなものではなく、術後も長い忍耐が必要である。
とくにデスクワーク中心の人は忍耐が必要だと思います。
手術=劇的に改善とは、なかなかいかずゆっくり神経が回復していくのを待つというのは本当にもどかしいです。
手術から一年半経った今でも3ヶ月前と比べると良くなっています。