人と他の生き物の間の優劣とは? | さて、行くか。
Sat, February 11, 2006 19:33:14

人と他の生き物の間の優劣とは?

テーマ:let-me-goイズム
昔、カナダ人の先生に人とアリはイコールか?と聞かれイコールだとハッキリ言い切ったのを覚えています。
前に捕鯨の問題について話し合いをしていた時にその先生は問題を提起する中立側であるはずなのに明らかに捕鯨に反対の様子でした。

欧米諸国の人間特に、白人はなぜか人間や他の霊長類、イルカや鯨などを生物の頂点に置きたがります。
彼らにとって頭が賢い生物または、人間に近い能力(気持ちなど)を有する生物は尊いものであるとする傾向が見られます。
僕にとっては捕鯨などは、地球(魚資源及びに海の生態系)を守るためには必要不可欠なものであり、昔は鯨を乱獲して鯨を絶滅に追い込んだ人間達が反対するべき問題ではないと思っています。
そもそも鯨などは年間の人類の魚の総消費量よりも年に魚を食べている生き物であり人間にとってはある種の害獣なのです。そのような状況を放っておき、このまま数の調整をしないと後々の食料問題の時に大変なことになってしまう可能性があります。

僕が常々思っていることは生物間に生死に関する優劣は種類においては発生しないというコト。
今現在の世界での生物の王者は人間であり、人間はその圧倒的な知能によって地球の管理を任されている種族です。
しかしながらそれは管理を任されているだけの管理者であり、支配者ではありません。
支配者とは紛れも無く地球そのものであり、人間にその事実は曲げることはできません。
つまり人間にはこの地球を管理する権利・義務はあろうとも種の生成または廃棄は任されていないハズなのです。
そして地球は人間に対して特別な脳を与えはしても、特別な権利つまり越権行為は認めてはいないハズです。
管理者が絶対者になることは不可能なのです。
僕の考えではヒエラルキーの分配(下部参照)に基づき分けられた状態であるのなら人とアリの権利は同価でありお互いにそれ以上でもそれ以下でもないのです。
つまり人間とアリの価値は同価でありアリと鯨、ノミ、ミジンコに至るまで、すべての生物の価値は同価であるべきなのです。
しかしここである事を放っておくと不公平が生じます。それは数の違い(繁殖力の違い)です。
この問題を放っておき個々に権利を承認してしまうと必然的にアリなどから始まり微生物であるほど権利が多いということになります。
それを解消するためにはヒエラルキー(食物連鎖のピラミッド)に基づき権利を分配する必要があるのです。
もしも虎が一匹いてその虎が生涯に食べる鹿の量が100匹だったとします。 そしてその100匹のシカ達が生涯に食べる草が1億本であったとします。 このときの比率は1:100:1億となるのです。
つまり1億本の草は1匹の虎の価値に等しいということです。 ここまでの考えは生物学上やむを得ない必要条件であり、これを無視しては生物界が成り立ちません。

すべての生物の権利の量を数える際に草の本数(又は量)で決めるのが最も効率的であり正確で平等な振り分けができると思われます。

つまり生死の優劣は生物の種類におけるヒエラルキーの必要数(草の総数)により決められるべきなのです。

そのため人という種族とアリという種族の権利は種族間においては同価であるが、ヒエラルキーにおける必要数により権利を割り振られるべきなのであると僕は考えます。

                                                   2/9/2006 3:48

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