始まりの気分はふいに訪れる。
予想もできず、きっかけも見当たらない。
けれどふいに世界が変わる。広がる。
なぜやってくるのかもわからないため準備もできない。
けれど確実にある。これから始まるぞという気分。
気分と確実という言葉を並べるのは矛盾しているようだが、
経験上、気分というのは意外にも信頼できるものなのだ。
暮らしの中で人は全くの個人ではいられる時間も少ない。
けれど暦も状況も関係なく個人の時間の中でスタートするものがある。
それこそ一人一人まったく別の生であることの証明でもある。
それを始めるのは自分でしかないし、他の人の中では決して始まらないものなのだ。
同じようでいて別のものなのだ。具体的に説明もできない。
その感覚はウキウキしたりワクワクしたりするのではなく、もっとどっしりしたものだ。
浮いたり沸いたりしないのは、それが消えてなくなるものではないからだろう。
それは新しい世界に向けての一歩であり、今までと同じ姿をしていてもすでに全く別のものなのだ。
始まりの気分は昔はちょくちょく感じていた。
鈍感になるのは、始まりという言葉などいまさらというような
同調や迎合に邪魔されるせいかもしれない。
でもどうなんだろう。
学びの先には学びがあり、生きている限り新しい気づきがある。
だから自分に安心しないほうがいい。
らしさも幻影なのだ
始まりの気分はふいに来る。
ぼーっとしてると行き過ぎる。
忙しすぎると見失う。
だから気をつけないといけない。