月1回句会に出ている。主宰の俳人が高校の同級生ということもあり、誘われた流れで参加して半年ほどが経つ。

その主宰が編集している季刊雑誌が4冊となり、めでたく1周年。

第2号から私もエッセイの原稿を載せているので、この場で紹介させていただきたい。

 

令和元年夏号  小三治と句会」

 

「ゴキブリは音から先にやって来る」
柳家小三治がとある句会で詠んだ句だが、これを「ゴキブリが音から先にやって来る」とした方がいいと即座に直した人がいる。
この句会の主宰で小三治の盟友、故入船亭扇橋(俳号光石)だ。
確かに前者が面白いがやや説明的なのに比べ、後者は俄然臨場感をもって迫って来る感じがする。
扇橋は実に味わいのある噺家だった。
とぼけていて、晩年はときに何言ってるのかわからないときもあったがそれでも笑った。
小三治とは仲がよく、高座で「小三治の”ちはやふる”を楽屋袖でで聴いてると、滑稽噺なのに泣けてくるんですよ」と言ってたことを思い出す。
落語の国に住む住民の愛おしさが小三治の話芸から感じられたのだと思う。
それがわかる扇橋の感性が俳人たる由縁なのだろう。
彼の「東京やなぎ句会」には様々な著名人が参加していた。
永六輔、小沢昭一、江國滋、桂米朝、大西信行、矢野誠一など。
欠席するときは未婚の女性を代わりに差し向ける規則があったとかなかったとか。
小三治の高座ではたまにまくらでこの句会のことを話してくれるときがある。
「煮凝り」という題が出た。
小沢昭一「煮凝りを出すスナックのママの過去」
見事だが小三治のもいい。
「煮凝りの身だけ選ってるアメリカ人」
これには皆爆笑した。
最近の小三治自信作は「入学の孫から届く手紙かな」
本人いわく小沢昭一の句みたいに気障でなくていいとのことだ。
煮凝りの方が断然いいと思うが。
俳句の話題からお茶の入れ方に話は移り、ペットボトルで当たり前のようにお茶を飲む昨今の風潮を嘆いていた。
近年茶柱が入っているペットボトルが発売されたとかで(真偽のほどは分からないが)そのナンセンスさを怒る。
つまり作る側には「良かれ」と思う思想があっても、それを買って飲む茶柱知らない世代にはただのゴミだと。
確かにそうだ。
急須でお茶を入れて、濃いだの薄いだの熱かっただの温かっただのと家族で話すのが人間らしい暮らしかもしれない。
今一番人間らしい暮らしをしているのは噺家だけだというオマケが付く。
次に季節がら桜の話題。
ここでも小三治の蘊蓄は留まらず、いつから日本人が今のように桜を見ながら飲み食いするようになったかという…
この先はきりがないので止めておこう。そうして自然と「長屋の花見」に入っていった。
「長屋の花見」のサゲは「大家さん、今年はいいことありますよ、酒柱が立ってる」
ペットボトルの茶柱の話が効いている。
小三治のまくらに偶然はないのだ

 

令和元年秋号  「近藤と言えば」

 

「鮎釣りをしようと郡上に家を買う」

前回に続き東京やなぎ句会柳家小三治の句である。
「鮎」がお題として出た時にひねり出したわけだが、小三治が別荘を持っているという句ではない。
何しろ彼は川魚が嫌いなのだ。
郡上八幡で落語会があったときに泊まった旅館で鮎が出た。
その鮎は俳優の近藤正臣さんが釣ったものだという。
いくら有名俳優が釣った魚であろうと嫌いなものは食べたくない。
困ったあげく世間話で時間を稼いでいると、亭主曰く「近藤正臣さんは釣りが好きすぎて郡上八幡に家を買ったらしい」ということなのだ。
それを思い出してできた句が「鮎釣りをしようと郡上に家を買う」
寄席で聴いた小三治のまくらだが、さて本当なのだろうか?
すべて嘘でも面白ければもちろんいいわけで、本編の落語「野ざらし」に入る導入としても釣りの話は欠かせない。
よくあるのは水たまりに釣り糸を垂れている人に「釣れないでしょう」と声をかける小話だが、何度も聴いているとさすがに飽きる。
近藤さんの話の方が断然興味深い。
ところで、この日の小三治は正臣という名前が思い出せなかった。
彼がよくやる手なのだがこういう時は客に訊く。
「有名な俳優ですよ…ええっと…誰だったか…近藤…(客に向かって)近藤と言えば?」
すかさずほぼ全員が「まさおみー!」
一人くらいNHKの朝ドラで川村屋の支配人をやっている近藤芳正の名前を出してやってもよさそうなものだが…
NHKと言えば「昭和元禄落語心中」というドラマで、ミュージカルスターの山崎育三郎が天才落語家に扮し「野ざらし」で陽気な歌を聴かせていた。

♪鐘がボンとなりゃさ 上げ潮 南さ
カラスがパッと出りゃ コラサノサ
骨がある サーイサイ
そらスチャラカチャン スチャラカチャン

歌が上手すぎるとダメ出しされたと本人が言っていたが、本当にこの歌が上手かったのは育三郎でも小三治でもなく、三代目春風亭柳好。
私が生まれる前に亡くなっているが、今聴いても話のテンポと抑揚が心地よく、歌もご陽気この上ない。
時を隔てても人を幸福にする芸は素晴らしい。
近藤正臣の足でピアノを弾く技も素晴らしい。(注)

(注)ドラマ「柔道一直線」で高校生役の近藤正臣が、相手を挑発するようにピアノの鍵盤に飛び乗って華麗に猫ふんじゃったを弾くシーンが有名

 

令和元年冬号  「歌曲の訳詞にあれこれ思ふ」             

 

声楽の伴奏を仕事にしているため、外国の歌の訳詞が気になる。

なるべく複数の訳詞を読み比べて正しく理解しようとしているが、原詩のニュアンスを伝えることは難しいようだ。

CDの付録などは大抵口語訳だが、日本語が下手なのか情報をつめこみすぎなのか、スッと心に届いて来ないことが多い。

あるコンサートでスイスの作曲家オトマール・シェック18861957の歌曲をまとめて演奏したのだが、そのプログラムで新たに書かれた訳詞は、七五調の文語体で、なかなか見事なものであった。

ただ1曲だけは上田敏(18741916)の訳詞が載っていたのである。

それはカール・ブッセ(18721918)の「山のあなた」

三代目三遊亭圓歌が歌奴時代に落語「授業中」で一世を風靡した詩、と言って解る人はそれなりの年齢だ()

 

山のあなたの空遠く

「幸(さいわい)」住むと人のいふ。

(ああ)、われひとと尋()めゆきて、

涙さしぐみかへりきぬ。

山のあなたになお空遠く

「幸」住むと人のいふ。

 

ドイツ語の原詩を記しておく。

 

Über den Bergen, weit zu wandern,
sagen die Leute, wohnt das Glück.
Ach, und ich ging im Schwärme der andern,
kam mit verweinten Augen zurück,
über den Bergen, weit, weit drüben,
sagen die Leute, wohnt das Glück.

 

上田敏の七五調の文体は内容を全て伝えて、しかも雰囲気がドイツの風景に馴染むのが不思議だ。

ブッセと上田敏の同時代性が自然で格調のある訳に結びついたのか、それとも詩人としての魂が共鳴したのか、いずれにしてもなかなかこれほどの名訳には出会えない。

ドイツ歌曲といえばシューベルトだが、例えば有名な「菩提樹」を日本語で歌うとすると、近藤朔風の訳が思い出される。

 

泉にそひて、繁る菩提樹、

慕ひ往きては、美(うま)し夢みつ、

幹には彫(ゑ)りぬ、ゆかし言葉、

嬉悲(うれしかなし)に、訪(と)ひしそのかげ。

 

メロディーによくマッチした名訳だが、実は思い描く情景は誤解しやすい。

本来菩提樹は1本で、城壁の門近くの噴水(所謂馬などの水飲み場)のそばに立っている。

しかしどうだろう。

この訳では池か川の辺りに何本も立つ菩提樹を想像しないだろうか。

対訳ならいざ知らず、音に言葉を1音節ずつ当てはめることの限界は如何ともしがたい。

読む場合と歌う場合は別だといえばそれまでだが、外国語を日本語で味わうとなると、原詩の脚韻のリズムを活かせない以上、せめて七五調のリズムに置き換えるのはやむを得ない。

そこに洋の東西の共通項を見出していくのはなかなか想像力を要するものだ。

逆はどうか。

「この道」のような日本の名曲にドイツ語の訳詞をあてて歌った外国の名歌手がいるが、この試みは成功したとはいえない。

言葉が多すぎてうるさく感じてしまうのだ。

余白にあれこれ想像して楽しむ日本人には合わない。

ドイツ人への曲紹介なら解らないでもないが、それでも日本語で歌えよと思ってしまう。

短歌や俳句の英訳・独訳に作曲した歌曲もあるが、李白のドイツ語訳に作曲したマーラーの「大地の歌」ほどの名曲には未だお目にかかっていない。

ストラヴィンスキーやショスタコーヴィッチは和歌をドイツ語に訳したものをさらにロシア語に基づいて作曲しているが、こうなると別物だ。

インスピレーションを与えたことまで否定はしないが。

かのブラームスは二流の詩をあえて選び、卓越した作曲技法で永遠の価値を与えたものだが、ぎりぎりまで言葉を選び抜いた短歌や俳句に曲をつけることは、野暮というものかもしれない。

 

*なお菩提樹を日本語で聴きたい方は「男はつらいよ 寅次郎頑張れ(第20作 昭和52年)」をお勧めします()

本物のバリトン歌手が若き大竹しのぶの叔父さん役で登場し、宴会で歌うシーンがあります。