UEBER DEN BERGEN
Sagen die Leute,wohnt das Glueck.
Ach, und ich gingim Schwarme der andern,
kam mit verweintenAugen zurueck.
Ueber den Bergen,weit weit drueben
Sagen die Leute,wohnt das Glueck.(Carl Busse)日本語訳はいわずと知れた上田敏の名訳である、ブッセ(1872-1918)はドイツ新ロマン主義の詩人で訳者と同時期を生きている。なんと素敵な詩、そして訳であろうか。七五調でありながら、原詩の言いたいことをすべて伝えている。この詩を知ったのは、三遊亭円歌(当時歌奴)の「授業中」という新作落語によってである。そういう人は世の中に数え切れないほどいるはずだ。(隠してもダメ)それくらいこの落語は世の中を席巻した。ある学校の国語の時間、この詩を生徒に読ませるのだが、その生徒がドモリで(差別ではない。円歌自身が若いころそうだったと告白している。)うまく読めない。「山の、あな、あな、あな、あな」というフレーズいまだに生きている。そこから先を読め」あな、あなた、もう寝ましょうよ」こら、なんでそういうのはスッと言えるんだ」ああ、懐かしい。
落語好きのトランペット専攻の友達が作った新作落語「レッスン風景」については以前書いた。(37喬太郎が好き)これは円歌の「浪曲社長」がベースになっている。こういう優れた話は弟子が継承してほしいものだ。小三治師匠は「新作も誰かが受け継いでやったとき、古典となる」と言っていた。そこで思ったのだが、今私だけが弾いている、自分のアレンジした伴奏も弟子が受け継いで高座、じゃないコンサートにかけたとき古典となるのかなあ・・・・そのためには譜面をキチンと残さなければね。でもどのくらい自分のニュアンスを伝えられるだろうかと考えると、譜面で伝えられることはごく一部であることに気がついたのである。ということは、自分が新しい曲を練習するときも、作曲家やアレンジャーの思いと、譜読み段階の差とを自覚することから始めなければいけないのだ。
その87 ちりとてちん
「愛宕山」の笑いが切なくもさわやかなシーンに変わっていて、桂文楽の、古今亭志ん朝の、今なら春風亭小朝の名高座を知っていることがこんなに有難かったことはない。もともと上方のネタなので桂枝雀のCDを聞くことをお勧めする。ドラマでおじいちゃんの台詞にいいのがあった。学校で嫌なことがあるとこぼす孫に、若狭塗箸の職人であるおじいちゃんが言う。「塗箸を作るときにはな、貝殻や松の実などゴミにしかならないようなものをいっぱいくっつけて、磨いていくのや。そしたらこんなに綺麗な模様ができあがっていく。人かて同じや、いろんな辛い思いをいっぱい経験して、磨けば後からそれが綺麗な模様になって出てくるのやで。」みたいな。(変な関西弁ならすみません)米倉斉加年は好きな俳優で、民芸出身でありながらコメディのセンスも抜群である。映画「男はつらいよ」では巡査としてよく登場したが、変人の東大物理学助教授という役どころで爆笑させてくれている(男はつらいよ寅次郎夢枕)それがもうおじいちゃんの役だもんな。こっちもおじいちゃんの心境で子役を見てるのだろうか?いや、まだまだ、そんなんちゃうで。
ダスティン・ホフマンがアクターズスクールで学生に語った言葉は忘れられない。(NHKBSダスティン・ホフマン語る)「未来がわからないということは、贅沢なことだ。君たちはまだ20代だろう。ただ突き進めばよい。周りの者は言うだろう。それで飯が食えるのか?10年先のことを考えろ。せっかく大学に行かせてやったのに。等等。酷い話だ。私はずっと演じることが好きでやって来た。若いとき「卒業」という映画にたまたま出たが、出てなかったとしても、今ごろどこかの劇団で芝居していただろう…」彼が人気があり、多くの名作をものにしてきたのには、いつまでも青年のような挑戦し続ける情熱をもっているからだ。ダスティン・ホフマンとアシュケナージは顔も似ているが、温厚な人柄、自然な振る舞いは真の芸術家の強さを感じさせてよく似ている。意外だったのは、演技は感情が伴っていなくてもできると、実演したところだ。あれこれ演技プランを考えたり、気持ちを作ったりすることよりも、体の持っている記憶を呼び起こすことが大事だとも。そのために完全なリラックス状態を得ること(それも観客の前で)を学ばなければならない、と言っていた。緊張しないためには、自分が周りを支配するくらいの自信を持たなければならない。つまり強い意志を持って、肉体を弛緩させ、自然な体の反応を伴って台詞を言うということなのだろうか。門外漢なので間違って解釈したかもしれないが、かなり演奏家に通じることは間違いない。例えば何を考えながら私は伴奏しているか。テキストの内容を反芻しながら、気持ちを高め、歌い手と同化する、なんてことはまずない。ずっと冷静でいようと努めているし、実も蓋もない言い方だが「間違えないように、歌とのタイミングを逃さぬように」弾いている。もちろん体温の低い冷めた演奏はもっとも嫌うところなので、誤解されても困るのだが。練習の段階で自分の肉体を理解し、コントロールする術を繰り返し学ぶことで、本番では自然な音楽が流れ出てくるのだと思う。ただ音楽性がなければ意味のない話で、演技者に豊かな感受性がなければ仕方ないのと同じである。
注:ヨーゼフ・ホフマンはラフマニノフにコンチェルト第3番を献呈されたほどの大ピアニスト。1957年没
その89 思い出の公演
少年のころ長崎市民会館で聴いたエッシェンバッハのシューベルトのソナタ(遺作A-Dur)ルツェルンのホテルで聴いた90代のホルショフスキーリサイタル
サバリッシュのピアノで聴いたフィッシャー=ディースカウのリーダーアーベント初来日の時のマレイ・ペライアのシューマン
格好いいメータが颯爽と指揮棒を振り下ろしたとき、背の低いバレンボイムは椅子を上げている最中だった。あわててピアノに取り付きフォルテの和音の下降型を弾く。そうして1楽章を無理な体勢のまま引き終えたが、彼は怒りが収まらない様子。じっとメータを睨み付けこっちへ降りて来いと合図した。 訳がわからずピアノのそばに近寄るメータ…とその瞬間、バレンボイムが2楽章の冒頭を弾き始めた。(この楽章はピアノとオーケストラの優しい掛け合いで始まる)こういうのに遭遇すると一生の自慢になるだろう。
コンサート以外で行って良かったなあと心底思っている公演は、大学生の時巣鴨の300人劇場で聞いた古今亭志ん朝の「唐茄子屋政談」である。この日の落語はSONYが録音し、現在もCDとして発売されている。
今二代目林家木久蔵とその父、木久扇のダブル襲名興行が行われている。私も池袋演芸場で祝ってきたが、これって一生の自慢になるのかなあ。(とはいえ生の木久ちゃんはやはり面白いな。)