火葬からその後 | 無脳症を乗り越えて。3男児の妊娠出産記録。

火葬からその後

火葬の間は、二階の喫茶室で待っていました。



20〜30分ほどで収骨に呼ばれるという。



胎児だと、そんなに早いんだね。。




予定通り、30分ほどで館内放送で名前が呼ばれる。




火葬場は、


黒い服を着てる人ばかりなのに


不思議と泣いてる人は居なくてみんな談笑。



大往生だったのかなとふと思いつつ



通り過ぎながら



たまちゃんのもとへ足早に向かった。






火葬炉から出てきた台には


さっきまであった桐の棺も

添えたお花も

跡形も無くなっていた。




台の上を覗き込むと、



なんとも小さなお骨がパラパラと散らばっていた。



ちゃんと骨も形になっていて、

綺麗、、、



でも


あのツルンとしたお肌も、目も、手も、足も、お尻も、


全て無くなってしまった。




もう触れることは出来ない。





あのヒンヤリ冷たい肌をこの2日で

どれだけ感じたろう。





死後、皮膚が薄いため体液が出てしまうので


何度もオイルを塗って、その感触を身に覚えさせた。



手のひらに包んで抱きしめた。



頬ずりをした。



またしたかった。






2人でお骨を手で拾い、丁寧に骨壷に収めた。


育ってくれてたね。


妊婦健診では

頭〜お尻の長さ、大腿骨の長さを測ってもらうのが楽しみだった。


それが今、手の中に。




不思議な感覚だった。




骨壷に収めると、係りの人が残りのカケラをハケですくい、

蓋をして、

埋葬許可証と一緒に

袋に閉じてくれた。




抱えて外へ出た。


帰り道の空はとても青く綺麗だった。



なのに、心は大きくえぐられたままで

何をしても埋めることが出来ない気がした。








その夜から、私は風邪をこじらせて



翌日から3日間、39度近い熱を出していた。



咳、鼻水、くしゃみと 

産後のお腹と腰の痛み。



3日目には頭痛が酷くなり、



心の安定剤だったブログを書くことも



皆からのメールも見ることすら出来なくなっていた。






ひとつ。


私がブログに書いていることで


前向きで気丈だと思っている人がいたようだけど


それは違います




「だれか助けて!」
「みんな知って!」
という一方的なSOSで書きはじめたブログでした。


昔から日記を書いたり

手紙にしたりするのが大好きで

今回も

画面の文字にすることで

私も心の安定を図ることができていました。




でもそれすら出来ない状況になり



吐き出すこともままならず



食欲も全く無く



痛みと苦しみに



ひたすら耐えていました。