少年時代ユダヤ人ボーイスカウトのサイモンウイゼンタール。写真中央。この少年たちの中でホロコーストを生き残ったのは彼一人。全員死に絶えた。
ナチハンター、サイモン・ウイゼンタールの伝記に奇妙なことが書いてあった。
ガリチアは奇蹟を行うラビを輩出した土地だった。ラビは司祭でなく賢者であり法と正義の最終的なよりどころだった。サイモン・ウイゼンタールはガリチアの小さな町プチャチに生まれた。プチャチはロシアでのユダヤ人迫害から逃れてきたユダヤ人であふれかえった町だった。
あのジークムンド・フロイドの一族もこの町出身だった。ヴィセンタールの義母の旧姓がフロイドである。
ウイゼンタールは子供のころの奇妙な記憶がある。近所のある家に男が一人座ってて何年もの間一言もしゃべらず最低限のものしか口にしない。みんなからだんまりと呼ばれてた。
なぜだんまりなのか?
この男はある日妻と喧嘩してあげくのはて「お前なんか焼け死んでしまえ!!」と怒鳴りつけてしまった。
ところが、あろうことか。その晩家が火事になり妻は焼け死んでしまった。彼が火をつけたわけでもないのに。
彼は良心の重荷に耐えきれずラビのもとを訪ねた。ラビの決裁は以後人と口をきいてはならず自分の罪が許されるよう祈り続けよ、、というものだった。この神秘的観念はウイゼンタールの心の中に生き続けた。
人は皆生涯を通してみれば罪と償いとは釣り合ってるというものである。
彼にとって罪とは免じることのできないものであってただ償いによって軽くしていくしかない。少しづつ少しづつ。
一体このだんまりの男は沈黙を続けながら何を悟ったのだろうか?
この男の告白記を読みたいんだけど。
ぷちゃちのだんまり男のこと考えてたら、、、自分もこのだんまり男見習ってだんまりになって過去の自分を反省すべきなんかなああて考えた。朝から晩まで過去の自分を反省しないと、、。
少数派の民族が上流層占めるとに嫉妬から虐殺されます。
ナチス時代のユダヤ人もそうだった。
ウクライナの反ユダヤ主義ははげしくユダヤ人とウクライナ人は何世紀も一緒に暮らしたが少数派のユダヤ人が上流階級占めたため緊張関係が起こった。ウクライナはロシアやポーランド、ドイツから支配された。
支配民族はすべてこの緊張関係を利用した。
ウクライナ人が反抗してウクライナ国家を要求すると権力者はウクライナ人を巧みに操って彼らの攻撃を他の目標に向かわせた。
ユダヤ人ポグロムに向かわせた。結局ユダヤ人迫害に終わってしまい
ウクライナ人の独立はうやむやで終わらせてしまった
ウイゼンタールはこの時地下室に隠れててこのポグロムをまぬがれた。