マスター、俺のこと覚えてる!?
迷い込んだような路地裏のバーに入るとKさんが声を張り上げた。70年代のレコードが流れていて、それ以上、何を話しているのかは聞き取れない。
奥のソファ席に身を沈めて、Kさんが懐かしそうに昔話をする。猛烈に働いた後で飲み歩いていた30代。結婚してからはアジアやヨーロッパなど、ほとんどを海外で過ごした。ヨーロッパで過ごした日々は、毎週末のように奥さんと旅行をしていたそうだ。エーゲ海の水面の輝きを見ながら、夫婦がバイクで走り抜ける姿を想像すると胸がチクリと痛んだ。
これからの10年間をどう生きるかの話をしていたとき、私の話をしてみた。本当は養育里親をしたいと思っていること。だけど、家族に反対されていること。少しでもとボランティアをしていること。
子どもへの愛情は大切だから是非実現してほしい、とKさんが言う。もし実現して小さい子を預かることになったら、Kさんとはもう会えない、と伝えると、それでもやるべきだと言われた。
2年に1度でも会えればいいじゃない。近くに行くから。また話をしよう。
Kさんの俯瞰する力は天性のものか。
マスターたちとグーで挨拶するのを見ながら、この人は誰にでも優しく、執着しないのだと思った。
駅までの道は、ゆっくり歩いた。
私に他の男性と会ってもいいって言ってたもんね。
それはね、学びの意味で出会いを制限するのは良くないと思って。他の男と何かあったら、もちろん嫌だよ。だけど束縛するのも違うかなと。
ほんとー?自分も遊びたいからだと思ってた!
え、けっこう気持ちは出してると思うんだけど。
気持ちって…、いつも返信をすぐもらえるのは嬉しいけど、一言かスタンプばっかりだよ。気付いてた?
あれは渾身のスタンプだから!笑
このくらいKさんへ自分の気持ちをぶつけたのは初めてかもしれない。
夜に時間を気にせず会えるスペシャルウィークなのにね。今年は私が旅行だったし、明日も台風じゃなければ会いたかった。。
お盆を過ぎれば、暑かった夏もあっという間に終わる。
改札の前で、もし明日会えるとしたら…とKさんが切り出したので驚いた。
いつもの駅で会おう。何時に来られる?
いいの?何時でも行ける!
ちょうど台風の予報で、選手くんとの予定が流れたところだった。
明日も会えるかもしれないなんて。
嬉しくて、ついKさんの手を強く握ってしまう。