閑話放題-154
またまた嫌らしい難読タイトルの登場ですが、老驥伏櫪(ろうきふくれき)とは中国詩の一節で、
《老驥(ろうき)櫪(れき)に伏すとも志千里に在り》
老驥とは老いた駿馬、櫪とはクヌギのことですが、床下の根太(ねだ)を張る角材に使われたことからざっくり《馬小屋の床》のことです。もう走れなくなって小屋の床に横たわるだけの馬となっても、駿馬と呼ばれた頃の千里を駆ける志を捨てないということから、人が年老いても若いころ抱いた大志を忘れないことのたとえだそうです。
いいじゃありませんか。ともすれば社会の隅っこに追いやられがちな日本の老人達だって、昔は立派に高度成長を支えた経済戦士だったんですよ。このG爺だって立派な科学・考古学者になって恐竜やピラミッドの研究をしたいという大志があったんですよっ。まぁ、今はただの隠居爺ですがね、『老驥伏櫪』の精神を忘れたことはありません。ありませんが、最近はちょっと体力が…ネェ。
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長ったらしい前置きはさておき、今日は散歩の足を少し伸ばして『清瀬市』にある博物館で勉強することにしました。(トイレや暑さしのぎが目的ではないからネ)
花に飾られた玄関に向かいます。
受付にて
G爺:こ、こんにちは。あの、料金は…?
お嬢:(ニコニコ)あ、無料です。
G爺:自由に観てよろしいの?
お嬢:ハイ。どうぞどうぞ。
G爺:写真はダメですか?
お嬢:あ、お写真もどうぞどうぞ。
G爺:ありがとうございマスッ!
お嬢:どうぞごゆっくり。
素晴らしい! 全国の写真不可な資料館よ、ここ『清瀬市郷土博物館』を見習いなさいって!
(但し、常識として撮影にはストロボと三脚使用は厳禁です)
博物館の雰囲気ってなんか良いですネ。
これこれ。こういった研究をやってみたかったのヨ。
清瀬市は縄文時代中期頃までは人口が増えたそうですが、後期には殆ど人口が無かったそうです。
戦国時代以降は少しずつ人が住み始めたようですね。
村ができて皆で協力して生活したのでしょう。
学校ですね。
吉行淳之介は市内にあった療養所で肺の手術を受けるなどの入院生活を送ったそうですが、その時期に書いた短編小説の原稿が展示されていました。後々のトラブルを避けるためにモザイク処理致しました。
当時こんなの持ってたのは本家のバカ息子だけなんだよネ。
実際使ってただけに懐かしい。
さすがにこれは使ったことないナ。
藁で作った蛇とか龍とか…全国にありますね。
結局トイレも借りたし、涼むこともできました。
「ひいらぎちゃん。ありがとう。またネ 」
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昼間っから何だ!
とか言われそうですが…暑いんだよ。今日はなんだかね-。
「いっただきま~す」
一里も歩いておらんゾ。┐(´~`)┌
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