閑話放題-134
近頃は電車に乗ってもバスに乗っても街を歩いていても、本当に多くの人がスマホをいじっていますねェ…。特にスマホを眺めながら正面から歩いてくる輩、これは迷惑千万ですナ。絶対にやめて欲しいものです。私などはSNSは一切やりませんし、お財布ケータイ機能も封印。スマホカメラもメモ代わりに使うくらいのものなので、歩きながらスマホを扱うことは全くありません(まぁ、LINEをやるような仲間もいないからネ~ )。
近未来、歩きスマホをやりながら正面を見るための第三の眼を額につけたミュータントがきっと現れますヨ(三つ目小僧だネ)。いや、ホント…。
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最近、スマホで地図を見ていてふと気づいたことがありました。
「あれっ? … か、川がなくなっちゃたじゃない? どういうこと??? 」
正確に言いますと『子供の頃から親しんできた川の名前が変わってしまった』ということなんですが、自分が生まれ育った場所の近辺にある川なのでちょっとびっくりしたのです。
東京を流れる『荒川水系』は北区志茂(しも)の『岩淵水門』で二つに分かれ、西側を流れる『荒川』と東側を流れる『荒川放水路』となって東京湾に流れ込みます。…と、今までず~っと思っていました。ところが地図上では西側が『隅田川』、東側が『荒川』となっていて『荒川放水路』の名称が消滅していました。
そこで、その川の改名の意味を調べると共に、珍しく懐郷の念にも駆られ、その地を訪問してみることにしました。
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やって来たのは北区志茂、『新河岸川』に架かる『新志茂橋』です。
左隅の青い構造物が『岩淵水門(青水門)』です。新河岸川は埼玉県狭山市付近から流れて来てこの先で荒川水系と合流し名前が変わります。
新志茂橋を渡って荒川土手に向かいましょう。
平日の昼間に釣りなどしているのは大抵私と同年代のGGです。でも、私は「釣れますか?」などと声をかけることは一切ありません。
土手に上がると水門がいっそう大きく見えます。
荒川は遠く秩父の山から流れて東京湾に注ぎます。その名の通り昔はたびたび荒れて氾濫する川だったようです。
水際にきれいな木道が整備されていますね。
木道まで下りてみます。
この先に市民のためのBBQ場があるそうです。
木道の反対側には真っ赤な『旧岩淵水門(赤水門)』が…
下部から青水門が見えます。
赤水門の上を通って『中之島』に渡ります。
赤水門はまもなく竣工後100年となり既に運用を終了していますが、地元の人から取り壊されるのを惜しまれ、今は東京都選定歴史的建造物として保存されています。
「そうそう。古いものは大切にしなきゃネ。人間もネ 」
中之島に入ると目の前に『月を射る』というかっこいいオブジェがありますが、著作権を尊重しディテールには触れません。
ところで本題の『荒川放水路』でありますが、実は今から100年以上前に着工し17年の歳月をかけて掘削された『人工河川』なんです。つまり荒川水系をこの水門付近で二分し、一方を荒川の氾濫を防ぐための荒川放水路として江東区・江戸川区方面に迂回させて東京湾に注ぐように設計された壮大な人工河川です。その川幅は荒川本流よりもはるかに広く500mもあり、そのおかげで下町に多数発生していた洪水が現在は全く無くなりました。
私は今でもその名称で呼ばれていると思い込んでおりましたが、なんと1965年に改名されていたのです。これにより水門から先の荒川水系は『隅田川』、荒川放水路は『荒川』に名称が変わり荒川水系の本流となったそうです。
隅田川という名称は昔から下町付近で俗称として使用されていましたが、1965年以降はあの水門の向こうから東京湾までの正式名称となっていたんですね。
中之島は市民の憩いの場となっています。
若い二人には向かい合って腰掛けるベンチなどより寄り添えあえる木陰のほうがいいに決まってるよネ~。
ジロジロ見るではないゾ。(~_~;)
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