Eoooo!!Kama Ku Ra! | Hoʻola ~自分を生きる~

Hoʻola ~自分を生きる~

ハワイが大好き。
写真を撮るのが大好き。
視えない世界も、視える世界もひっくるめて、
この世を遊ぶように楽しんでいこうと思ってます♪

ホクレア号がハワイから日本に航海してから5年。
横浜のぷかり桟橋でホクレア号を見て感動し、
日本でも作りたい!と思ったことがきっかけで、
カマクラ号の活動に飛び込んで5年。
あっという間だった気もするけれど、
カマクラ号ファンクラブはNPO法人日本ハワイアンカヌー協会になり、

そして、とうとうカヌーを作り始めるところまで漕ぎ着けた。

カマクラ号の提唱者は、タイガー・エスペリ。
未だにハワイのサーファーの間では伝説として名前が残る。
1997年にカマクラ号を構想し、2005年に残念ながら胃がんで亡くなった。
あたしが参加し始めたのが2007年で、その時点で構想から10年経過。
そして15年目に形が出来始めた。

2012年4月23日。
昨年秋の台風で西伊豆の松崎町の浜に打ち上げられた丸太を譲り受け、
あたしたち日本ハワイアンカヌー協会(JHCA)のメンバーは、
その丸太をカヌーにするための始めの儀式を行った。
ハワイで行うのと同じやり方で。



松崎町は生前タイガーが何度も足を運んでいて、
町長自らセレモニーに出席してくださった。
その生前タイガーが好きだった弓ヶ浜。
この横のタライ岬からは、伊豆の10の島が見渡せる。
ハワイ語の「Kalai(カライ)」と何か関係がありそうな名前だ。



ハワイでは、名前は大きな意味を持つもの。
あたしたちはその丸太に、「丸太ヤマト」と名前を付けた。
そのヤマトくんが打ち上げられていた防波堤。



そして、物事が動き始めると、助けてくれる人が現れる。
この儀式のためにオリ(ハワイ語でチャント)とフラを作ってくださったのは、
なんと、あのケクヒ一族のタウポウリ・タンガロー先生だ。
ケクヒとは、ハワイ島の伝統あるフラ・ハーラウの「ハーラウ・オ・ケクヒ」。
フラ好きでこの名前を知らない人はいないんじゃないだろうか…

タンガロー先生は、ご自身のハーラウ「ウヌクプクプ」のアラカイ、
ペレとライアンを連れて参加してくださった。
写真は、セレモニー前日の練習の様子。
タンガロー先生はハワイ大学でハワイアンスタディを教えているので、
それはそれはとても教え方が上手。
余計なことは言わない、やることはしっかり伝える。
クムフラって、人間的に出来ている人が多い…



このカヌーの模型は、JHCAの理事長が作った模型。
この模型を囲んで、関係者みんなが輪になったとき、
「既に始まっていたんだ…」という思いがこみ上げた。

何が?いつから?
それは分からないけれど、自分がここにいることは決まっていた感じ。
今はそれだけで良いのだと思った。
自分の生きてきた道に、
ことあるごとに「これで良かったのか?」という疑問が付きまとう日々。
今までも、これからもきっとそう。
でも、それを肯定する感覚を得たとき、これで良いのだと思えた。
ここにいるために右往左往した日々。
それは無駄ではなかったのだ。



この写真が丸太ヤマトくん。



大雨の中、セレモニーは終わった。
タンガロー先生が、「単なるエンターテインメントなら、雨で中止。
でも、儀式は違う。雨だろうと何だろうと行う。それが儀式。」

すごく納得。
あたしは実はめちゃくちゃ雨女なのだけど、
いつもそこに向かう覚悟を試されていたのかも知れない。
ハワイでは雨は祝福。
土砂崩れ警報がでちゃうほどの祝福を受けて、
ヤマトくんはカヌーになっていくのだ。