ぷぷと見た風景 | とりきちTagebuch

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ドイツ・ベルリンから鳥好きの とりきちが、
一緒に暮らす鳥達、家族、ドイツの鳥事情を日記につづります。


ぷぷと見た風景が、あまりにも多く、
その分、たくさんの思い出がありすぎで、
今、心の整理が充分にできていません。

本当は、生まれてくる我が子に会って欲しかった。
そして、ぷぷとクラウス、子供に囲まれて、新しい生活を送りたかった。

* * *

ぷぷとのお別れが、突然やってきてしまいました。
2012年11月2日21時14分、ぷぷは私の手の平の中で、息を引き取りました。

ついこの間まで、元気にしていたぷぷが、
調子を崩したのは、換羽でした。

その後、獣医にかかったところ、神経系の病にかかり、
消化器がうまく機能しなくなっているとの診断でした。

それから数日後、ぷぷの体重はどんどん軽くなり、
大好きな粟穂粒と、ぷぷのビスケットだけを頼りに、
命をつないできました。

夫が忙しい私に代わりに、
ぷぷを獣医に何度も連れていってくれていました。

最後の1週間、ぷぷは私から離れようとしませんでした。
それまでは、ぬいぐるみのゴンタを通じて私と接していたのに、
ぷぷは毎朝、私に飛びつき、カキカキをもとめ、
手の平に入るや、すやすや眠り、起きたら、私の手からのみ、
ご飯を食べるようになったのです。
ぷぷは、私がゴンタを操っていたことを知っていたのだと、悟りました。

最後の1週間、私は毎朝1時間早めに起き、
ぷぷを手の平におさめ、ゆっくりと白い羽をなでてあげていました。
とても気持ちよさそうにするその姿は、天使そのもので、
愛おしく、絶対手放したくないと思いました。
ぷぷは、私とのお別れを知っていたのでしょうか。
安心しきったその表情は、今も忘れられません。

昨日は獣医に安楽死を勧められましたが、
連れて帰ってきて、手の中で最期を看取りました。

そして今日、夫と一緒に、ベルリン郊外に、ぷぷのお墓を作り、
その中に、ずっと寄り添ったゴンタと、粟の穂、
ぷぷのビスケットを入れて、埋葬しました。

最後のお別れは本当に辛く、
泣き叫ぶ私を、夫が支えてくれました。

お墓の周りには、ぷぷが寂しくないよう、
野鳥が大好きな実がなる樹木を植え、
野鳥の水入れを置き、そしてお墓の真上の木には、
野鳥が大好きなお団子を吊るしてきました。
春になれば、周囲には花が咲きます。

ぷぷと見た風景で、今は頭の中がいっぱいです。
冬の寒い道、ぷぷを初めて連れて帰った日。
翌日、疥癬(かいせん)の治療のため、鳥の病院に林を抜けて通った道。
その林の中で、ぷぷが元気にさえずっていたこと。
この子は元気になる、元気にしてみせると誓ったこと。
なぜか出会った頃の風景が、鮮明に蘇ってきます。

生まれて来る子供のために、悲しむことはよくないと
周囲から言われるものの、私はそんなに強くありません。

どうかあと数日、せめてこの週末だけは、ぷぷのことを想っていたい。
その後は、少しでも前に進めるよう、ぷぷとの想い出を温めて、
新しく生まれてくる命、家族、そして今いるクラウス、
鳥たちと暮らしていきたいと思います。

2007年2月から約5年半以上、
ぷぷはドイツで暮らす私の大切な家族となって、
クラウスとともに支えてくれました。
ぷぷと過ごせて、心から幸せだったと思えます。

反対に、私はぷぷのことを幸せにできたのでしょうか?
彼女は何も言わずに去ってしまいました。

ぷぷのことを好きでいてくださった読者の皆様、
悲しいお知らせとなり、申し訳ございません。

子供が無事生まれ、気持ちの整理がもう少しつきましたら、
ブログを更新していきたいと思います。

とりきち

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大好きだった、ぷぷの表情です。