昨日の雪が解け始めています
今朝は延期になっていたリサイクル(廃品)回収にどっさりと出してきました
雪で台車が動かず難儀しましたが、手伝ってもらいました・・感謝!
身体のあちこちが痛いです・・・そんな今日はだんな様が職場のバス旅行で不在・・・(T▽T;)
ゆったりとした時間を昨日に引き続き過ごしております
本日は母との最後の日を振り返ってみようと思います
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
1月17日、私が担当医に話したことから状況が変わりました
「母の側にいると呼吸が止まっているように見えるのですが・・・・」
「え・・・」と担当医が母を診断に行きました
時々、見られるチェーンストークという症状です
呼吸・呼吸・呼吸・無呼吸・呼吸・呼吸・呼吸・・・・
イビキをかく人にみられる「無呼吸症候群」のような感じです
それ以前から母には軽度の心不全や気管支炎の症状もありました
「個室に移って、静かに過ごしていただきたいのです」と担当医から勧められました
1月18日個室に移り、担当医から
「今日明日がヤマです・・会わせたい人がいれば呼んであげてください」と言われ、
父の実家や母の実家や姉などの親戚、
そして仲良し友達にきていただきました
痛み止め(モルヒネ成分)を増やしていなかったので
まだ意識のあった母は来客の言葉になんとか答えていました
来てくださった方々が帰られた後、呼吸するのも苦しそうな母でした
おそらく意識もかなり薄れていたはずです
それでも血圧や排尿もなんとか落ち着いていました
痰の吸引はしてもらってもすぐにゼエゼエと音がします
年末に気管支炎を患い、そのまま肺炎となっていました
「家に帰りたい」という母を連れて帰ったのが良くなかったんや・・・と父は今でも後悔しています
肺炎対抗の薬を使うと腸の良い菌まで殺してしまうので、下痢の症状も続いています
この状態のまま、母の苦しそうな日々は続きます
左の肺が使えず、レントゲンでは右の肺も真っ白でした
それでも母はなんどもヤマを越えていました
土曜日のたびに弟は横浜から母に会いに帰ってきました
やっぱり息子の存在って母にはパワーとなるのでしょう
それでも熱はずっと高いままで、眉間のしわも深く苦しそうでした
1月24日、血痰が出続けました
吸引チューブで傷ついたのか、癌細胞の巣がある胃からの出血からかはわかりません
翌日25日、弟が帰省してきました
母はとても苦しそうです
むくみも出始めたので、点滴のチューブをはずしてもらいました
「くるしいよね、おかあさん・・・眠りたいよね・・・」
増やさずにいたモルヒネ薬剤の入ったパッチ(貼り薬)を担当医と相談して
小さな量のパッチを貼ってもらいました
パッチを貼ると眠ってばかりで問いかけには反応しないでしょう・・・と担当医からの説明でした
それでも語りかけて、手を握って、むくんだ足をさすり続けました
ありがとね・・・
まだ親孝行してないんだよ
パッチ貼ってもらって少しはラクになったかな?
お昼過ぎに横浜から義妹と姪っこが会いに来ました
姪はずっと母の手を握って語りかけていました
「血圧も落ち着いているのでおそらく大丈夫でしょう」と担当医からも言われ、
後ろ髪を引かれつつ、弟一家は夜遅くに横浜に戻っていきました
26日の夜は父が病室に泊まりました
チェーンストーク(無呼吸~呼吸を繰り返す)状態が見られます
それでも血痰も止まり、穏やかに何事もなく夜が明けました
朝早く病院へ向かい、父に家へ帰ってもらいました
母に話しかけ、手足をマッサージです・・・無反応です
母が大好きな美空ひばりちゃんの「愛燦々」と「川の流れのように」を
耳元で歌い続けました
カラオケに行くといつも、無理矢理歌わされていました
夕方、父が病院にやってきました
27日夜、父と交代して私が母の病室に泊まりました
静かでした・・・母の弱い息遣いの合間にいろんな話をしました
全く無反応だった母だったのですが、
「産んでくれてありがとね、おかあさん・・・大好きだからね」と耳元で話すと
「アー・・・」と一言・・・そしてまた静かで弱々しい呼吸になったのです
一瞬、ビックリしました
そのあと呼びかけても無反応です
しばらくして看護師さんが「今夜はお父さんは?頻脈がみられるのよ」
「父と交代したんですが、呼んだほうが良いですか?」
「そのほうが良いかもしれないわよ」
23:00、父に電話しました
すっ飛んできた父と交代しながら母を看ました
明け方、父が「起きなさい・・お母さんがな・・・」
母は静かでゆったりとした呼吸を続けていました・・・
とても静かな・・・あの苦しそうなゼエゼエが嘘のようです
でも不思議と父にも私にも悲しみや涙を感じませんでした
それよりも3人で時間を静かに過ごせているこの瞬間がとても幸せに思ったのです
こう思うことはいけないことなのかしら・・・
当直の先生に母の死を確認していただきました
5時28分・・・眉間のしわも無く、本当に穏やかで静かに母は逝ってしまいました
聞いてみたい・・・私のあの言葉は聞いてくれたの?最後の会話なのだから・・・
印環細胞癌ステージⅣと診断されて闘病生活に入った母でしたが、
結局、「肺炎」「尿路感染症」「心不全」など併発してボロボロ状態でした
だからこそ母の最後の表情は「私、本当に燃え尽きちゃったわよ~」と
言っているかのように見えたのです
今頃、ど~しているかな・・・またたくさんの友達作ってワイワイやってるのかな・・・
長い長いお話にお付き合いいただき、ありがとうございます
お寄せくださったコメント、メッセージもお返しできたと思います・・・
これからもよろしくお願いいたします
いつもペタ・いいねにも感謝ですо(ж>▽<)y ☆
今朝は延期になっていたリサイクル(廃品)回収にどっさりと出してきました
雪で台車が動かず難儀しましたが、手伝ってもらいました・・感謝!
身体のあちこちが痛いです・・・そんな今日はだんな様が職場のバス旅行で不在・・・(T▽T;)
ゆったりとした時間を昨日に引き続き過ごしております
本日は母との最後の日を振り返ってみようと思います
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
1月17日、私が担当医に話したことから状況が変わりました
「母の側にいると呼吸が止まっているように見えるのですが・・・・」
「え・・・」と担当医が母を診断に行きました
時々、見られるチェーンストークという症状です
呼吸・呼吸・呼吸・無呼吸・呼吸・呼吸・呼吸・・・・
イビキをかく人にみられる「無呼吸症候群」のような感じです
それ以前から母には軽度の心不全や気管支炎の症状もありました
「個室に移って、静かに過ごしていただきたいのです」と担当医から勧められました
1月18日個室に移り、担当医から
「今日明日がヤマです・・会わせたい人がいれば呼んであげてください」と言われ、
父の実家や母の実家や姉などの親戚、
そして仲良し友達にきていただきました
痛み止め(モルヒネ成分)を増やしていなかったので
まだ意識のあった母は来客の言葉になんとか答えていました
来てくださった方々が帰られた後、呼吸するのも苦しそうな母でした
おそらく意識もかなり薄れていたはずです
それでも血圧や排尿もなんとか落ち着いていました
痰の吸引はしてもらってもすぐにゼエゼエと音がします
年末に気管支炎を患い、そのまま肺炎となっていました
「家に帰りたい」という母を連れて帰ったのが良くなかったんや・・・と父は今でも後悔しています
肺炎対抗の薬を使うと腸の良い菌まで殺してしまうので、下痢の症状も続いています
この状態のまま、母の苦しそうな日々は続きます
左の肺が使えず、レントゲンでは右の肺も真っ白でした
それでも母はなんどもヤマを越えていました
土曜日のたびに弟は横浜から母に会いに帰ってきました
やっぱり息子の存在って母にはパワーとなるのでしょう
それでも熱はずっと高いままで、眉間のしわも深く苦しそうでした
1月24日、血痰が出続けました
吸引チューブで傷ついたのか、癌細胞の巣がある胃からの出血からかはわかりません
翌日25日、弟が帰省してきました
母はとても苦しそうです
むくみも出始めたので、点滴のチューブをはずしてもらいました
「くるしいよね、おかあさん・・・眠りたいよね・・・」
増やさずにいたモルヒネ薬剤の入ったパッチ(貼り薬)を担当医と相談して
小さな量のパッチを貼ってもらいました
パッチを貼ると眠ってばかりで問いかけには反応しないでしょう・・・と担当医からの説明でした
それでも語りかけて、手を握って、むくんだ足をさすり続けました
ありがとね・・・
まだ親孝行してないんだよ
パッチ貼ってもらって少しはラクになったかな?
お昼過ぎに横浜から義妹と姪っこが会いに来ました
姪はずっと母の手を握って語りかけていました
「血圧も落ち着いているのでおそらく大丈夫でしょう」と担当医からも言われ、
後ろ髪を引かれつつ、弟一家は夜遅くに横浜に戻っていきました
26日の夜は父が病室に泊まりました
チェーンストーク(無呼吸~呼吸を繰り返す)状態が見られます
それでも血痰も止まり、穏やかに何事もなく夜が明けました
朝早く病院へ向かい、父に家へ帰ってもらいました
母に話しかけ、手足をマッサージです・・・無反応です
母が大好きな美空ひばりちゃんの「愛燦々」と「川の流れのように」を
耳元で歌い続けました
カラオケに行くといつも、無理矢理歌わされていました
夕方、父が病院にやってきました
27日夜、父と交代して私が母の病室に泊まりました
静かでした・・・母の弱い息遣いの合間にいろんな話をしました
全く無反応だった母だったのですが、
「産んでくれてありがとね、おかあさん・・・大好きだからね」と耳元で話すと
「アー・・・」と一言・・・そしてまた静かで弱々しい呼吸になったのです
一瞬、ビックリしました
そのあと呼びかけても無反応です
しばらくして看護師さんが「今夜はお父さんは?頻脈がみられるのよ」
「父と交代したんですが、呼んだほうが良いですか?」
「そのほうが良いかもしれないわよ」
23:00、父に電話しました
すっ飛んできた父と交代しながら母を看ました
明け方、父が「起きなさい・・お母さんがな・・・」
母は静かでゆったりとした呼吸を続けていました・・・
とても静かな・・・あの苦しそうなゼエゼエが嘘のようです
でも不思議と父にも私にも悲しみや涙を感じませんでした
それよりも3人で時間を静かに過ごせているこの瞬間がとても幸せに思ったのです
こう思うことはいけないことなのかしら・・・
当直の先生に母の死を確認していただきました
5時28分・・・眉間のしわも無く、本当に穏やかで静かに母は逝ってしまいました
聞いてみたい・・・私のあの言葉は聞いてくれたの?最後の会話なのだから・・・
印環細胞癌ステージⅣと診断されて闘病生活に入った母でしたが、
結局、「肺炎」「尿路感染症」「心不全」など併発してボロボロ状態でした
だからこそ母の最後の表情は「私、本当に燃え尽きちゃったわよ~」と
言っているかのように見えたのです
今頃、ど~しているかな・・・またたくさんの友達作ってワイワイやってるのかな・・・
長い長いお話にお付き合いいただき、ありがとうございます
お寄せくださったコメント、メッセージもお返しできたと思います・・・
これからもよろしくお願いいたします
いつもペタ・いいねにも感謝ですо(ж>▽<)y ☆