因果応報って言葉がある。


悪事はいずれ、自分の身に降りかかる。


僕がこのサイトを始めたきっかけはそこにある。


因果応報っていうのは、良いことや悪い行いをしてきた要因


それに伴う結果のこと。


もっと解かり易くいうと、「恋愛で異性をもて遊んできたツケは、


将来の死別やら不幸となって現れる」っていう意味。


僕は、きっとそれらを止めたかったんだと思う。自分の恋人に対して。


でも、彼女たちは、あくまで「自分の恋愛観」を貫いた。


1人は結婚したし、もう1人も連絡が途絶えた。


結果論と言われるかもしれない。


「くい止めたかったんじゃなくて、美人な女とSEXがしたかっただけだろ?」


「そんな子を好きになるお前が悪い」


「不幸な人だね」


友人からそんな事まで言われ続けた。


僕もそう言われるのは百も承知だった。


けれど、何とかしてあげたいという気持ちだけが1人、心の中で反芻される。


そんな、ある日。


1人の女性と出会った。 40を過ぎたオバさん。


一見、昔遊んでいたというような雰囲気を出していた。興味があって話をしてみた。


彼女は言った。


「私もね、若い頃、さんざん遊んだわよ。 かなりモテたしね。


街歩いてても声掛けられるんだもの。そりゃ、自惚れてたわ。私が1番って


いつも肩肘張ってた気がする。付き合った男も酷い目に遭わせたりしたしね。


でも、いずれ落ちるのよ。どん底に」


彼女の言葉は重たかった。


僕は、自分の付き合った女性の一部始終を話した。


すると、彼女からはあっさりするような答えが返ってきた。


「その子達は、ワガママなのよ。チヤホヤされてる20代でしょ?


でも、付き合ったあなたには悪いけど、彼女たちは絶対、聞く耳


持たないわ。痛い目に遭わないと解からないものなのよ」


悟っていた。


彼女の目は真剣そのものだった。そして、こう続けた。


「私はね、30代から、落ち始めた。まずは、夫の交通事故。


死んじゃったの。で、次は私の番。足を切断するまではいかなかったけど、


びっこ引かないと歩けないの。いまでも、少し歩きすぎると痛むわ。


なんでこんな不幸になんなきゃいけないの!?私だけ・・。


そう思った。でも、今までの私の行いを振り返ってみたら当然の結果よね。


それだけ、男を不幸にしてきたんだもの。


だから、その子たちも解からないわ。気付かせようとあなたはしてきた


みたいだけど・・。若いうちは、解からないの・・」


僕は、今まで自分がしてきた行為は何だったのだろうと、虚しく思えて仕方なかった。


「結局、その人の人生だし、俺には関係ない」


そう思えれば、楽かもしれない。


けれど、彼女であるからには、守る権利だってある。


誰だって、好きな恋人が幸せになって欲しいって思う。


『若い頃は、解からない』


そうなのかもしれない。


その人にも運命はある。


けれど、行為は変えることだって可能じゃないのか。そう想い続けてはフラれた。


僕が今、1番言いたいのは・・。



すべての女性に対して言えるのは。


因果応報を知ってほしい。


いずれ自分に跳ね返ってくるから、今、進路変更しても遅くはない。


「間違ってた」と言って、後戻りしたっていい。


そう強く願う事だけかもしれない。


最後に、彼女は言った。


「あなたは優しいんだね」


その言葉は、僕のとってきた行動への命綱みたいなものだと思う。


今まで彼女たちを上げるために、気付かせてあげることに、


何の躊躇いもなかった。


僕こそ、今、進路を変えるべきなのだろうか・・。


そう考えて止まない。


ただ、僕が言える事といえば。


人は、第三者の言葉を聞き入れることで、必ず変わる。


変わっていかなければ、近い未来、予期もしない苦しみが待っている。


だからこそ、運命って言葉だけでは片付けられない。