前回のブログにて、「貧困層を抜け出すには自助努力しかない」と説きました。
これは事実ですが、残念ながら、努力にも限界が有るのも事実です。
今回は、この非情なる事実について書きたいと思います。
「トランプの落選は異常」と語った政治学者
今年初めのアメリカ大統領選挙で、トランプ氏は落選し、ご存知のようにバイデン大統領が誕生しました。
ある政治学者が、これを「異常な現象」だと言っていました。
現在アメリカでは、白人貧困層を中心に、白人男性の自殺者数が増えているそうです。
彼らに対して、「手を差し伸べる、良い仕事を与える」と公約したのが、トランプ氏です。
彼が大統領時代に行った政策は、国内の雇用を守るために、海外製品に対して不当なほど高い関税を課すというものでした。
その政策により、中国との間で貿易戦争が起き、日本もそれに巻き込まれ、輸出が減りました。
この、一部のアメリカ人以外、誰も得しない状態が、トランプ氏を引きずり下ろした原動力に成りました。
しかし、アメリカ国内の白人貧困層に雇用を与えたことは、間違い無いです。
この、自殺にまで追い込まれている人たちが切望した、トランプ氏の続投が拒まれたのは、民主主義としては異常なことだと、先の政治学者が言ったわけです。
グローバリゼーションや国際倫理的な観点から見れば、トランプ氏の政策は受け入れ難いものですが、アメリカにおける貧困層にとっては、一条の光を見せるものだったのです。
実際、大統領選は僅差でした。
貧困は政治では救えない
前回ブログでは、「トランプ氏を担ぎ上げるのはバカげている」と、一刀両断にいたしましたが、一方では上記のような考えも有ります。
これも分からぬでは有りません。
多くの貧困層に有る人たちは、貧困から抜け出そうともがいています。
その救いを政治に求めるのは、当然と言えば当然です。
しかし、これも以前のブログに散々書いてきましたが、経済のシステムはそのようには出来ていません。
「思い」や「希望」は、お金に直接には結びつかないのです。
トランプ氏の政策が、結局受け入れられなかったのが良い例です。
雇用という供給の立場は、需要が有って初めて必要とされるもので、それが経済のシステムです。
それを、無理やり関税によって供給のバランスを崩そうとしたから、システムから外されて落選に至ったのです。
ですからやはり、貧困層が貧困を抜け出すには、自助努力でお金を稼げるように成るしかないと思います。
人間は怠惰な生き物?
前述の政治学者の話を読んで思ったのが、「この学者は貧困層の具体的なロールモデルを持っているのか」ということでした。
要するに、政治学者として、白人貧困層が実際にどんな人たちなのかを知っているのかということです。
前回のブログで書いた、白人貧困層に「自助努力が足りない」と指摘した経済学者は、大学入学前にアルバイトしていたタイル屋さんで多くの貧困層と接し、このような考えを持つに至ったそうです。
では今回の政治学者はどのように貧困層を考えているのか。
まず考えられるのが、「彼らが貧困にひんしているは仕方の無いこと」という根拠が有るということ。
この政治学者が「トランプの当選は必然」と考えたのは、トランプ氏を支持する人が、過半数を占める当たり前の存在だと考えたからだと思うのです。
この2人の学者がどちらも正しいとすれば、結論は「人間は本来怠け者である」です。
言われてみると、そうかも知れないと思ったのは、私だけではないと思います。
努力の限界
そして、もう一つの結論が「実は努力しているが実らない」という可能性です。
自助努力を説いた経済学者が見た貧困層は、そもそも仕事をさぼったそうですが、そんな人ばかりではないはずです。
実際、いくら勉強しても成績が上がらない人や、努力しても収入が上がらない人が居ます。
それは仕方の無い当然のことで、成績も収入も、相対的に決められるものだからです。
成績上位者が居るのは、相対的に下位者が居るからであり、お金持ちが居るのは、搾取される者が居るからです。
そういう事実が有るにも関わらず、貧困層に「頑張れ」ということは、酷な事にも思えます。
しかし、前述した通り、経済的な偏りは、政治では補正するのは難しいのです。
民主主義の各国は、憲法において納税の義務を説き、最低限の生活の保護を約束しています。
そのために高収入の人は税金を多く収めさせられ、そのお金は生活保護の資金に回されています。
しかし、それにも限界が有り、不公平感を抱いた高収入者は、タックスヘブンと呼ばれるシンガポールなどの国に逃げてしまいます。
だから、貧困層には頑張れと言うしか無いのです。
実際に、全く努力をしない人よりは、努力した人の方が収入は多いです。
「怠惰」と「無努力」が貧困を招くのです。