ブログ内を整理してたら書きかけ保留の記事が山ほど残ってました。
きちんと書き終えてないものばかりでご披露には程遠いのですが…(;^_^A
そんなストックの中からの一稿です。
『Jona che visse nella balena(鯨の中のヨナ)』(2001年 NHKBSで鑑賞)
1993年 イタリア映画 100分
原作/ヨナ・オーバースキー「Childhood(子供時代)」
監督・脚本/ロベルト・ファエンツァ
脚本/フィリッポ・オットーニ×ヒュー・フリードウッド
製作/エルダ・フェリ
撮影/ケンデ・ヤーノシェ
編集/ニーノ・バラーリ
音楽/エンニオ・モリコーネ
【キャスト】
ヨナ/ジェネー・デル・ベッチオ(7歳)×ルーク・ペーターソン(4歳)
マックス(ジョナの父)/ジャン=ユーグ・アングラード
ハンナ(ジョナの母)/ジュリエット・オーブリー
【あらすじ】1942年、アムステルダム。4歳になるジョナ(ヨナ)は、両親の愛に包まれ幸せに暮らしていた。だが、ナチスの台頭とホロコースト渦は、ユダヤ人である一家の運命を次第に不幸へと追い込んでいく。ある日突然、食料の販売を拒否され服の胸部にはユダヤ人を示す『星』の紋章が縫い付けられ、幼いジョナまでが見知らぬ者から「汚いユダヤ!」と罵られる。そしてナチスの兵隊によって、ベルゲン・ベルゼンの強制収容所へ送り込まれる。やがて3年が過ぎ、ジョナは7歳。強制労働と虐待の日々は絶え間なく続いたが、母は「いつも空を見上げて。人を憎んじゃだめよ」と教える。だが父は収容所内で死にジョナは徐々に無口に心を閉ざしていった。ある日ユダヤ人たちは次の収容所へ移動するが、その先には恐らく確実に死が待っていた。その輸送列車をソ連軍が急襲し事態は一転、ユダヤ人たちは解放されたのだ。ジョナと母にも、再び自由で幸福な日々が訪れるはずだったが入院した母は亡くなってしまう。父の友人ダニエル夫妻がジョナを引き取るが、ジョナの心は冷たく閉ざされ口を聞けなくなった。困惑する夫婦。ある朝のこと、ジョナの眼前に父の幻が現れたのだ。まるでいつも見守っていると言いたげに優しく微笑む父。ジョナは生きる勇気と希望、忘れていた笑顔と言葉を取り戻すのだった…。
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最後に実話で、生き抜いた子ども自身が成人後に著した自伝と分かりました。
ユダヤ系オランダ人の物理学者、ヨナ・オーバースキー氏(1938~)の実体験です。
本稿では本名通りの名前でヨナと表記します。
この映画が忘れられないくらい心に残った理由は
等身大の子ども、普通の子ども、才気煥発でも如才なく振舞ったのでもなく
何だか頼りなく、あまりにも平凡な子どもが生き抜いた物語だったからです。
ちょっと ご本人には失礼な言い方ですが(;^_^A
ヨナは幼過ぎたからではありますが、母親の手を取るし聞き分けも良くない。
大きな子ども達に唆されると言いなりに悪さもしてしまいます。
父が死にかかってる事を母に報せに行く際もウロウロと行く先を間違え
やっと会えた母が「何の用?」と尋ねても押し黙ってしまう。
ちょっとイラっとさせられますが、本来 幼い子どもってこんなもの。
強く賢く生き抜く人物が賞賛される話は数多ある中、
ヨナの様な普通の子どもがそれでも生き残った物語は希望を感じます。
世界には圧倒的に弱く平凡な人々の方が多いのだから。
だがしかし、ヨナの母は強し!収容所内でこっそり夫に会いに行き
「もう一人子どもを作りましょう!」と提案するくらい行動的。
お父さん、疲弊しきってそれどころじゃないっつの!(こら!)
強制収容所から救出されたものの、既に父は亡く母もすぐ亡くなりました。
助かってから力尽きた人達も沢山いたのだと知りました。
養父母に引き取られたものの、ヨナも生きるのを諦めたかのような時
書斎でタイプを打ってるかつての父の姿(幻影)を見て
その背中に抱きつくシーンでは涙が止まりませんでした。
力尽きかけたヨナが立ち直れたのは、
父母に確かに愛されたベースが有ったからと思えます。
無事に成人し学者に成ったというラストに救われた思いでした。
タイトルの意味は、旧約聖書に登場するヨナという人物になぞらえたもの。
ヨナは鯨に飲み込まれたけれど助かったという人ですが、
あまり偉人らしくないお茶目な予言者(あくまで個人の解釈)です。