こんにちは!


たにのせいこです😊


お盆と昨日の終戦の日でふと、私のおじいちゃん


を思い出しました!


おじいちゃんは大正生まれで


すでに20年程前に70代で他界してますが


よくよく振り返ると凄い人生を


歩んできたなぁと思いました。


私の家は二世帯住宅だったので


祖父母、両親、兄の6家族でした。


私はおじいちゃん子で、とてもおじいちゃんが


大好きで、赤ちゃんの頃からずっと


お風呂も一緒に入ってました!



おじいちゃんの脚には大きな傷が二ヶ所ほど


ありました。



幼い私は普通に

「おじいちゃんの脚にキズあるけど

怪我したん?」と聞くと



おじいちゃんは

「これは、昔戦争があって、おじいちゃんは

兵隊さんで戦争に行った時に鉄砲で撃たれたん

や!」



私は
「ほんでどうしたん?痛かったん?」


おじいちゃん

「そりゃ、痛かったよ!ほんで怪我したから、
兵隊の仕事できひんから日本に帰ってきてん。」


「ほんで治って良かったな!」


おじいちゃん
「治って良かったよ!
それからまた、兵隊さんに行ってん。」


こんな無邪気な質問に普通に答えてた

おじいちゃんですが、後から考えると

傷が治ってまた兵隊さんに行った⁉️



おじいちゃんは普通の工場仕事を


していた二十歳そこそこの元気な若者だった


ので、兵隊に選ばれ、その時の最前線の


東南アジアの戦地に行かされてました。



そこで今まで銃も持った事のない若者が


いきなり生きるか死ぬかの戦地に


行かされる!


そして、その時はおじいちゃんは


結婚してすぐの新婚さん!


私の父親は昭和17年生まれなので


きっと、お腹にいる時か、生まれて間もない頃


だったと思います。


そんな家族をおいて戦地に向かうなんて…


とても考えられません。


どんな心境か、葛藤もあったと思いますが


おじいちゃんは決してその事については


その後も語りませんでした。




その時の銃撃戦で負傷し、負傷兵として

日本に帰ってきたのです。

その後、怪我が治ると再び最前線の戦地に

行かされる事になったのです。

2度目の戦地では、行ってから

おじいちゃんは謎の高熱に侵されました。

東南アジアあたりなのでその頃はマラリアや

伝染病が流行っていたりしたので

もし、おじいちゃんが伝染病になっていたら

その一つの小隊みんなに感染る事になり

戦力としては戦えないので、おじいちゃんは

再び日本に戻される事になりました。


日本に帰ってからも、しばらくは謎の高熱で

生死を彷徨いましたが無事に回復しました。


その後すぐに終戦を迎えました。

そして再び戦地に行く事はなくなりました。


脚の傷のまわりには無数の白い点々が

おじいちゃんにあって、


また私が
「この白い小さい点々はなに?」


おじいちゃん
「これは散弾銃って言うので撃たれたんや。
脚の中で小さな鉄砲玉が散らばるねん
だからその傷が残ってるねん。」


「その小さい玉は取ったん?」


おじいちゃん
「いっぱい、いろんな所に散らばってるから
いちいち取られへんから取ってない。
大きい鉄砲玉だけ取ったんや。
小さい玉はまだ、脚にいっぱい残ってて
この白い点々が残ってるところやねん。
レントゲン撮ったら小さい玉写るわ!」


「ほんなら、まだ白いところ押さえたら
痛いの?」


おじいちゃん
「もう、痛ない。何十年も経ってるからな!」


そんな会話が無邪気な私と

普通にされていました。


そして、私が高校生ぐらいの時に

おじいちゃんと一緒にタンスの片付けを

していたら、引き出しから

古い白黒写真が出てきました。

それは、戦争に出兵する時に撮った

記念撮影の写真でした。

写真の下には

日付と「第◯隊、◯小隊」みたいな事が

書かれていました。

おじいちゃんも含め百人以上の集合写真でした。


おじいちゃんは、久しぶりに

その写真を眺め
「懐かしいなぁ、おじいちゃんこれやわ、
これが隊長やわ」と教えくれました。


私が
「おじいちゃんには戦友がいるの?
今も連絡したりするの?」と聞くと


おじいちゃんが
「この写真に一緒に写ってる人は
みんな戦争で死んでしもうたんや、
おじいちゃんが脚を怪我して帰ってきてから
すぐに爆撃されて、一個小隊全滅や。」


いつも、ヒョウヒョウと喋るおじいちゃんも

さすがに昔を思い出したようで、

ちょっと沈んだ声でそう言ってました。


そしてもう一枚、同じような集合写真が

あり、こちらは日付が別の日で

2回目に戦地に行く前の記念写真でした。


また、私は
「この中には戦友いてるやろ?」

おじいちゃんはまた、マジマジと二枚目の

写真を眺めながら

「この小隊の隊員もおじいちゃんが
高熱で日本に帰ってから、みんなやられて
しもたんやぁ。おじいちゃんしか残ってないわ」

おじいちゃんはある意味2回も生かされる

不思議な体験をしているのです!

強運なのか超ラッキーマンなのか!


その話をその時聞いたときは

「おじいちゃんラッキーやったね!」

ぐらいの話で終わりましたが、

よくよく考えると、その時のおじいちゃんの

人生はすごい体験をしてたんだ!と

改めて思いました。

戦地での詳しい話はほとんど語らなかったですが

勝手に想像するに、本当に地獄の

ような風景だったんだろうなと思います。


そう思うと今の日本は色々あるけど

なんだかんだ言っても幸せな国なんだなぁと

思いました。


そんな究極の経験をしたおじいちゃんは

性格がドッシリとしていて、慌てる事など

なく、虫もお化けも怖いものなし!

そんな、たくましいおじいちゃんでした😊




2歳ぐらいの時のお花見🌸の写真



数少ない抱っこされている写真😊



工場でまだまだ現役で働いていた時の写真!


なんか、カッコいい😊


実は、おじいちゃんは左小指がないのです。

もの心ついた時の私は、おじいちゃんは

まさか!あちらの人!

そう言えば、私の父親もパンチパーマ🦱だし!

私の家はそうなのか⁈ と思い

恐る恐る聞いてみると…

おじいちゃん曰く
「工場で働いてる時、機械に挟まれてとれてん!
めっちゃ痛かったわ!」と言ってました。


それもすごい体験‼️


ちなみに父親のパンチパーマは

毎日ヘルメット⛑をかぶる現場の仕事を

していたので、普通の髪型だとすぐに

変な髪型になるので、パンチにしてみたら

ヘルメットを長時間かぶっていても

髪型が全然、変わらないからパンチ

にしてるらしい(笑)

それだけの理由でした(笑)



今回はすごい体験をした大好きな

おじいちゃんの話しをしてみました。



最後までお読みいただき

ありがとうございました😊