「バッタを倒しにアフリカへ」前野 ウルド 浩太郎 著
を読んで衝撃を受けたため、柳の下のドジョウを狙って自分でもなんか書いてみようと思いました。
僕が書けることで他の人が楽しく読んでくれそうなものといったらアレだ、自分の変な経歴くらいだ。
思い立ったが吉日、早速さわりだけ書いてみました。
はじめに
これまでの人生で、何度となく聞かれた。
「なぜ東京大学まで出ながら社交ダンサーになってしまったのか?」
不思議そうに、訝しげに、人によっては聞いてはいけないことでも聞くかのように、この質問をされてきた。
「せっかくの学歴や能力を棒に振ってもったいない」
だいたいの人はこんなことを考えているのだろう。
自慢するわけではないが、確かに東京大学は日本の最高学府の名をほしいままにする国内随一の存在である。
政官財界に多数の優れた人材を送り込み、卒業生には多くの著名人がいることは今更僕が改めて言うことでもない。
そして僕もまた、この東京大学の卒業生である。
しかも自慢ではないが現役合格である(そのかわり?大学には都合5年間在籍した)。
それもこれも僕が「東大に入った割にアホだったから」以外に原因はない。
ないのだが、もう一つ理由があるとすれば大学入学と同時にあるものに出会ってしまったことだろう。
大学留年のみならず、その後の僕の人生を激しく変化させたもの。
それこそが「社交ダンス」であった。
ちょっと長くなるかもしれないが、ここに至るまでの経緯を書いてみよう。
出会い(そして華麗にスルー)
僕が初めて社交ダンスなるものを認識したのは中学生のときだった。
僕の父は映画好きで、夕食どきには寅さんシリーズなどいろいろな映画を流しているのが常だった。
そのときは確か金曜ロードショーだったと思う。
たまたま父が映画「Shall we ダンス?」を見ていた。
ポロシャツ姿の役所広司の演技やカツラを被った竹中直人の存在感、草刈民代の美しさもあり、途中から見たものの最後まで作品を楽しんだ。
が、肝心の社交ダンスそのものに対する中坊の感想は「こんな世界あるんだ」であった。
数年後大学で競技ダンス部に入部してほぼ毎日踊る狂うことになるなど思いつきもしなかったし、挙げ句の果てにプロにまでなろうとは、当時の自分は夢にも思わなかった。
だって普通そうでしょ?