これは昨年、過ぎし日の私の夏休み。
さみしいお話し、占いでよく聞きます。
「何で自分はこんなところでひとりぼっちでいなければならないのだろう。」
とか
「どうして、誰にも理解されないのだろう。」とか孤独の種類も様々です。
私はあんまり寂しがり屋ではないような気がするし、逆に寂しがりだから寂しくない状況を作っている様な気もするし、わからないのですが。
寂しさは環境とか自分の持っている人間関係が関係しているようでそうでもない気もします。
独身だろうと家族がいようと寂しい時は寂しい。
(親が亡くなった時は今思えば当分寂しかった)
私は常に常に常に何かしていないと気が済まない病的な部分がありますが、やはり寂しくなりたくないからではないかと思うんですよね。
占いして、打ち合わせして、文章書いて、ご飯作って、古本屋やって雑貨を仕入れるのに血道を上げてます。
なんかこんなちまちました生き方してんですが、それが楽しいのよね。
で,楽しいと誰かに話したくなるから聞いて聞いてとあちこちに連絡します。
楽しい時ばかりでなく、腹が立っても聞いて聞いて。
亡くなった母がめっちゃ私にキレた時があり
「あんたは聞いてくれる人がいるからいいかもしれないけど、みんな我慢してるのよ!」
とお怒りでした。
さみしいから怒りたくなるのはわかる。
わかるが、さみしいのは自分が心が開けないんだよね。そう簡単にはみんな開けないから、暴論なんだけど。
さみしさを減らすには心を開くことだと,私は思うんだよ〜。
心を開くには自分を信じるしかないって思うんだよ〜
さみしい時は誰でもあるんだけど、ずっーと寂しかったらみんな考えて欲しいんだよー。
自分は心を開ける人がいるのか?自分は大切にしている人がいるのか。
心を開くっていうのは気を許して何でも人に受け入れてもらうということじゃなくて。
人の気持ちや人の考えを聞き、自分の考えや意見を相互に言っていくことだと思います。
一方通行じゃなく相互に理解しようと努める。
相互ってのが難しいけど、そうしないと関係性の長続きはない。
相手のことが好きだからってずっと自分の気持ちを押し殺していたらいつか破滅も来る。
程よい距離程よい付き合い、面白がれる余裕とゆっくり休む時間、あとは自分の好きなことに打ち込めたら寂しくないと思うな。
あーあと、貧乏はさみしくなる!お金があっても寂しい時は寂しいけど、貧乏はもっとさみしい。
私は最近は占いと占いの勉強と小説書くのと、占いの新しい文章のお仕事が楽しみです。ドラマと漫画と小説とYouTube。最近はちょっとTwitterスペースも聴いてます。
来週は文章と絵を描きます〜。
オンラインは毎日開いてますどなたかいます。
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