三上さんは元々、絵描きになるために勉強をしていて在籍していた慶応義塾大学から芸大に編入をしようとしたが試験で落ちてしまった。その後、デザイナーになることを目指したが、全て中途半端に終わってしまった。
三上さんが初めて映像に関わったのは1960年の事であった。大学卒業後、鉄工会社で働き始め、その会社が特許を取得し、記録を映像で撮ることを仕事として依頼された。そして、会社で16ミリのカメラを購入し、映像活動が始まった。会社の縁から助手としてヨーロッパで撮影を行った事もあった。
それがきっかけとなり、映像作家としての仕事を始めた。これまでに、サントリーやソニーなどのCM作品を手掛け、合計で1300本以上の作品を作り上げてきた。その他にも大阪万博の政府館で「世界の中の日本」というテーマで日本の代表として作品を世界に向けても発信した経験もある。
三上さんは73歳になった現在も映像作家として活躍している。最近では埼玉県にある幼稚園に依頼され、富士山に登る園児達を撮影する仕事を行った。二台のカメラと三脚を持ち、73歳の三上さんは富士山を登りながら、6歳の園児達を撮影し続けた。
その映像を編集し、園児達の親に見せたところ、自分の子供をもっと見たいと要求されたが、大変喜ばれた。中には精神的に具合が悪い園児が幼稚園に行く前に毎朝、その映像を見て、いつもは目立たない自分自身の頑張っている映像を見ることで何かを感じていたという事があったそうだ。
私は映像で風景を残すのではなく、映像から人が何かを感じて風景自体を残すことが必要なのだと思う。映像で自分の行ったことのない場所や見たことのない風景を見ることができる。そして、何らかの手段を使えば、自分の足でその場へ行くことが出来るのである。
一方、CGで作られた映像は夢を与えることができるが、過去にあったものや未来にできるかもしれないものであり、その場へは行くことが出来ない。つまり、なくしてしまったものを作り上げた理想のものである。伝えることはできるが残していくというより、いつでも作る事ができるものだと思う。
風景はその季節や時代によって日々、変化する。同じ場所であっても、そのときにしか撮れない映像がある。そのため、出来る限り風景の自然環境などの面から良い状態に保たせる事が必要だと感じた。
江戸川大学社会学部3年 田原 幸訓