セブと僕達の不思議な縁
気が付けばボラカイでの滞在も1週間が過ぎていた。
すっかり早起きになってしまった僕は陽が昇る前から起き出し、前の日の出来事などを日記に書きとめながらレストランが開くのを待つようになっていた。
東京での暮らしからは考えられない事だ。
自分でもビックリだが、たまに午後7時に早々と寝てしまったりする日もある。
カミさんと朝食を食べながら、次はどこに移動しようかと地図を広げた。
僕は何となく、ただ行った事が無いからという理由だけでパラワン島のプエルトプリンセサを指差した。
「長い旅なんだし、こんな行き先の決め方もアリなんじゃない?」
と、少し不安そうなカミさんに声をかけた。
僕の思考もすっかり熱帯化してきたようだ。
安全に気を配る事さえ怠らなければ、何の予備知識もない分かえって新鮮な気持ちで過ごせるはず。
とりあえずはセブに行き、数日過ごした後プエルトプリンセサに渡る。今後はセブを起点に旅を続けていこう。
僕達は早速BJSを訪ね、航空券の手配をお願いした。
・ ・ ・
5年ほど前の話。
近くて安いからという理由だけで頻繁に通っていた僕のセブ1人旅に、当時まだ彼女だったカミさんも行きたいと言いだした。
僕は2つ返事でOKし、ダイビングをしようとセブに向かった。
到着してフィリピン人の友達に紹介されたダイビングショップは、彼の幼なじみと日本人の奥さんが経営しているという。 じゃ、そこでいいかと歩いて向かった。 驚いた事に、
その日本人の奥さんは彼女の親戚だった。
申込書に記入されたカミさんの名字を不思議がるフィリピン人オーナーのラメールさん。
彼女の名字は、古くから東京の葛飾あたりにしかない独特な名前で、即座にその事を理解したラメールさんは奥さんを呼びに自宅へ走った。
彼女たちは、冠婚葬祭にまつわる内輪の話や一族のお墓の場所などを照らし合わせてどうやら自分達には同じ血が流れているという事実を確認し合い、僕とフィリピン人の友人・ロジャーはただ口を開けて見ているだけだった。
帰国後、詳しく調べると2代前まで遡れば密接な親戚関係にあったらしい。
彼女のおばあちゃんに聞いてみると
「確か、南洋の人と結婚したって言ってたわねぇ。」
と話してくれた。
それにしても南洋の人って・・・。
僕はこのシンクロニシティ (共時性) に驚かずにはいられなかった。
僕のフィリピン人の友人の友人がカミさん(当時、彼女)の親戚にあたる人と結婚し、日本を離れたこのセブ島においてダイビングを通して出会うということに。
どの要素が欠けても成立しない整合性。
そういえば僕のおじいちゃんもセブで戦死をとげたという。
血が呼び合っていると言えばおおげさなのだろうか?
・ ・ ・
チケットも無事手配できたらしい。
BJSの小川さんは親切にもプエルトプリンセサのツアーエージェントを調べて連絡をとってくれていた。
こういったアシストで旅が随分とスムーズになる。頼もしいかぎりだ。
小川さんにお礼を言い、明るいボラカイのビーチに向かった。
僕の気持ちは既にパラワン島へ飛んでいた。
