第4回 違憲審査基準論※2013年1月5日一部追加 | 憲法の流儀~実学としての憲法解釈論~

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憲法解釈論を専門とする弁護士のブログです。

前回までは,憲法訴訟の背後原理に始まり,法令審査と適用審査という道具を習得し,主張適格というルールを学びました。
今回は,いよいよ「違憲審査基準論」の中身に入っていきます。
みなさんには馴染み深いようで,正直なところハッキリとは理解できない部分ですよね。
様々な見解があるところですが,司法試験の出題趣旨に依拠して説明していきますので,ご安心ください。


1 違憲審査基準論とは(芦部102~103頁)

平成22年採点実感2頁では,「審査基準とは何であるのかを,まず理解する必要」があると述べられています。
そこで,違憲審査基準論につき,もう一度芦部憲法を読み直してみましょう。
なお,違憲審査基準論は,いわゆる適用審査においても,基本的には妥当します。

(1)公共の福祉による制限の時代

まず,かつての判例は,①「公共の福祉という抽象的な原理によって人権制限の合憲性を判定する考え方」でした
すなわち,憲法改正直後の判例は,特に理由もなく「公共の福祉に反しない」と結論付けて,合憲の判断をしておりました。
そのため,学説では「公共の福祉」の定義が争点となりました。
すなわち,「公共の福祉」につき,人権に外在する公益を意味すると解する見解(一元的外在的制約説)によると,およそ公益に資するのであれば「公共の福祉」に反しないとして,合憲の法律が多くなるでしょう。
他方,人権相互の矛盾衝突を調整する実質的公平の原理であるとする見解(一元的内在的制約説)によると,当該規制立法が,他の人権を保障するものか否かを審査する必要が生じます。
このように,かつては「公共の福祉=人権制約根拠+合憲性を審査する道具」という図式で理解されていました

(2) 個別的利益衡量の時代

しかし,「公共の福祉」の定義という抽象的なものだけで,合憲性を判定することには無理があります
そこで,「公共の福祉」は,人権を制約する根拠ではあるが,合憲性の判定にあたっては,抽象的な審査ではなく,得られる利益と失われる利益を比較衡量して検討するべきであろう,という②個別的利益衡量(ad hoc balancing)の考え方が登場しました。
この考え方は,「公共の福祉=人権制約根拠」,「個別的利益衡量=合憲性を審査する道具」という棲み分けをしているわけです。
この考え方は,次第に判例にも受け入れられるようになりました。

もっとも,個別的利益衡量は,「一般的に比較の準則が必ずしも明確ではなく,とくに国家権力と国民との利益の衡量が行われる憲法の分野においては,概して国家権力が優先する可能性が高い」という問題点があります。
すなわち,利益と利益は質が異なるため,本来は比較が困難であるところ,国家権力である裁判所が判断することになるから,国家に有利な判断になるおそれがある,というわけです。
例えば,卒業式を荘厳な雰囲気で行う利益と教員の一部が国歌を起立斉唱することで失われる内心の自由は,一概に比較することはできません。
まるで,サッカーの本田圭佑選手と野球のイチロー選手はどっちが強いの?という問いに近いものがあります。
このような場合に,国家に有利なように土俵を設定するおそれがある,というわけです。
すなわち,仮に裁判官がイチロー好きなら野球で,裁判官が本田好きならサッカーで勝負することになるでしょう。
しかし,これでは裁判官による恣意的な判断のおそれがあるわけです。

(3) 審査基準論の登場

そこで,裁判官の思考過程を拘束するツールとして,「一元的内在的制約説の趣旨を具体的な違憲審査基準として準則化」した違憲審査基準論(「二重の基準」の理論とも呼ばれます。)が登場したのです

このように,違憲審査基準論とは,裁判官の思考を拘束するルールなのです。
すなわち,合憲と判断するためには,どのような条件が必要か,ということをあらかじめ定めておき,具体的な事例において,その条件を満たしているかを審査するわけです。
そして,その合憲と判断するための条件が,審査基準の強弱(=審査密度)で変化するのです。
このイメージは,めちゃくちゃ大切なので,しっかりと押さえておきましょう。

なお,木村草太先生のブログの記事に素晴らしい解説がありますので,そちらもご参照ください(2013年1月5日追加)。

(4) 表現の自由VSプライバシー権=個別的利益衡量という考え方

なお,予備校答案では,重要な権利と重要な権利を調整する場合には,個別的利益衡量にする,という論証を見かけます。特に,表現の自由VSプライバシー権の調整問題の答案で見かけますね。
これは,芦部憲法102頁にある,「この基準(注:個別的利益衡量のこと)は,同じ程度に重要な2つの人権(たとえば,報道の自由とプライバシー権)を調整するため,裁判所が仲裁者としてはたらくような場合に原則として限定して用いるのが妥当であろう」という記述に依拠しているのでしょう。
たしかに,「同じ程度に重要な2つの人権」の調整の場合には,個別的利益衡量と書いてあるようにも読めますが,個別的利益衡量は裁判官の恣意的判断を防止できないという欠点があるという文脈を考慮すると,ここでの力点は「裁判所が仲裁者としてはたらくような場合」にあると考えるべきでしょう(宍戸31~32頁参照)。
したがって,平成23年新司法試験のように,表現の自由とプライバシー権の調整問題ではあるものの,立法府による規制の場合,市民対国の関係ですから,国家機関である裁判所は仲裁者ではありませんね。そうすると,機械的に,表現の自由VSプライバシー権=個別的利益衡量とすることは,危険であることがわかります。
では,裁判所が仲裁者である場合とは,どのような場合でしょうか?
このあたりは,みなさんで考えてみてください。


2 3つの審査基準

さて,違憲審査基準とは,合憲と判断するための条件であり,その条件が審査密度により変化すると言いました。
本来,その条件は,事案に応じて細かく細分化されるべきですが,ここでは,わかりやすさの観点から,4つに分類しておきましょう。
なお,この4つの分類は,平成20年採点実感4頁,作法67~69頁,芦部先生の『憲法判例を読む』(岩波セミナーブックス,1987年)103頁を参考にしたものです。
通説と沿っているかはどうかはわかりませんが,司法試験との関係では,この理解で十分であると考えております。

まず,審査すべき要素としては,次の4つが挙げられます。
①目的審査
②手段適合性審査
③手段必要性審査
④手段相当性審査


次に,違憲審査基準としては,次の4つが挙げられます。
A  厳格審査
B-1 LRAの基準
B-2 実質的関連性の基準
C  合理性の基準


※B-1とB-2をまとめて,B中間審査と呼ぶこともあります。


まとめると,次の表のようになります。

$憲法の流儀~司法試験・予備試験・国家公務員試験~-第4回違憲審査基準まとめ


(1) 目的審査

①目的審査では,ⅰ保護法益の重要性(量×質)とⅱ害悪発生の確率の掛け算により審査をすることになります。

厳格審査ならば,「やむにやまれぬ必要不可欠な公共的利益」が必要となります(芦部188頁)。ちょうど,「明白かつ現在の危険の法理」に類似するテストをするものといえます。
具体的には,「①ある表現行為が近い将来,ある実質的害悪をひき起こす蓋然性が明白であること,②その実質的害悪がきわめて重大であり,その重大な害悪の発生が時間的に切迫していること」までをここで審査するイメージですね(芦部200頁)。

中間審査(=LRAの基準と実質的関連性の基準の双方)では,「重要な目的」が必要になります。
具体的には,保護法益が人権に還元し得るような重要なものであること,その害悪発生の確率が事実をもって基礎づけられていることが必要になると考えます。例えば,何かしらの事件が発生したため,これに対応するものとして立法された場合,害悪発生については,事実をもって基礎づけられていると言えますね。

合理性基準では,「正当な目的」が必要となります。これは,まぁあり得るよね,と言える程度でクリアするものですね。具体的には,ⅰ保護法益の重要性につき,ネガティブチェックのようなものしかせず,ⅱ害悪発生の確率につき事実に基礎づけられていなくても,予防的に規制することが許されるわけです。

※作法76~77頁とは考え方が異なります。また,芦部200頁では,明白かつ現在の危険の基準において,上記①②の他,「③当該規制手段が右害悪を避けるのに必要不可欠であること」が必要であるとあります。これは,上記の整理でいくと,手段審査で行うべきものなので,目的審査からは除外しました。

(2) 手段適合性審査

②手段適合性審査では,当該手段が目的を促進するか(=因果関係の有無),当該手段は目的との関係で実効性はあるか(=因果関係の程度)を審査することになります。

厳格審査,中間審査では,「実質的関連性」が必要になります。具体的には,目的と手段とのあいだに具体的・実質的な関連性がなければ,合憲ということはできません。薬事法違憲判決が,「競争の激化―経営の不安定―法規違反という因果関係に立つ不良医薬品の供給の危険が、薬局等の段階において、相当程度の規模で発生する可能性があるとすることは、単なる観念上の想定にすぎず、確実な根拠に基づく合理的な判断とは認めがたいといわなければならない」としていることからもうかがえますね。

合理性の基準では,「合理的関連性」が必要になります。具体的には,「目的と手段とのあいだに抽象的・観念的な関連性があればよい」(芦部202頁),「具体的・実質的関連性は必要ないので予防的な規制を許される」(同203頁)というものです。

要するに,中間審査と合理性基準は,予防的な規制が許されるか否か,が最大の違いになるのです。

(3) 手段必要性審査

③手段必要性とは,当該手段を採用する必要性,換言すれば,より制限的でない他の選びうる手段があるか否か(=LRAの有無)を審査するものです。
規制そのものが必要かを審査するわけではありませんので,ご注意ください。それは目的審査に包含されています。

厳格審査及びLRAの基準では,合憲とするためにはこの審査をクリアする必要がありますが,それ以外の基準ではクリアする必要はありません。

(4) 手段相当性審査

④手段相当性については,不要論も存在します(芦部105頁[高橋先生執筆部分],作法69頁参照)。しかし,目的審査,手段適合性審査,手段必要性審査をクリアしてしまった場合であっても,なお不相当な規制を違憲にできる可能性があるという,いわばセーフティーネットのような機能は期待できるため,相当性の審査は必要であると考えます(読本79~80頁参照)。

厳格審査の場合,「過剰でもなく,過少でもない」ことが必要になります。過剰ではないとは,過度に広汎ではないこと(=過大包摂でない・副作用がない),過少ではないとは,取りこぼしは許されないこと(=過少包摂でない)をいいます(争点282頁(松井茂記)参照)。

その他の基準の場合,「過剰でないこと」が求められますが,この部分は,結局は個別的利益衡量をするしかありません。

※手段相当性不要論は,まさに手段相当性が個別的利益衡量であるから,裁判官の思考を拘束しようとした違憲審査基準論の趣旨に反するとして,手段相当性を否定しているわけです。なるほど,不要論の立場も理解できなくはありません。高橋先生は,目的審査,手段の関連性を審査したら,手段相当性は擬制されるとすら説きます。しかし,目的審査,手段適合性審査,手段必要性審査において,上記のように思考の枠組みが決まるわけですから,最後の手段相当性だけが個別的利益衡量になるとしても,他の審査をせずに個別的利益衡量をするだけの審査よりは,裁判官の思考を拘束できるはずです。また,平成20年採点実感4頁は,明らかに手段相当性を論じることを要求しています。ですから,手段相当性不要論は,司法試験との関係では不要でしょう。

まとめ
・違憲審査基準は,裁判官の思考を拘束するために登場したもの。
・個別的利益衡量は,裁判所が仲裁する場合に限定して活用
・違憲審査基準をまとめると,以下の通りになる。

$憲法の流儀~司法試験・予備試験・国家公務員試験~-第4回違憲審査基準まとめ


●次回予告
第5回は,「違憲審査基準論の使い分け」です。お楽しみに。