第3回「主張適格」 | 憲法の流儀~実学としての憲法解釈論~

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第3回 主張適格

さて、前回までは、憲法訴訟の背後原理、法令違憲と適用違憲の違いについて学習しました。これにより,どのような審査方法があり,具体的にはどのように審査をするのか,という点が,ぼんやりとわかっているはずです。
次のステップでは,「憲法上の主張は,どの範囲まで認められるのか?」という論点について学習しましょう。

ここで主張適格とは,違憲の争点を提起する適格という意味で使います。具体的には,「事件につき当事者適格のあるものが,攻撃又は防禦の方法として違憲の争点を提起する適格」のことをいいます(時國康夫『憲法訴訟とその判断の手法』203頁)。
その中でも,「第三者の権利の主張適格」は有名ですが,その背後には、特定の第三者と不特定の第三者を区別するという奥が深い議論が潜んでいます。また,仮に自己の権利であっても,あらゆる憲法上の主張が認められるわけではありません。具体的には,本件で適用されている法律のうち,適用されていない条項についての違憲性を主張できるかは論点です。これは,「可分性の法理」といわれるものです。
実は,主張適格については様々な文献があるのですが,芦部憲法には記載がありません。現時点では,長谷部414頁以下が一番よくまとまっていますので,一読をお薦めします。


(1) 原則は「自己の権利が,直接,現在」制約されている場合

 まず,主張適格が認められるのは,原則として,「自己の権利が,直接,現在」制約されている場合に限られます
その理由は,次の2つに求められるでしょう。第1に,憲法訴訟は民主主義の例外であるという司法消極主義より,違憲審の範囲は極力限定するべきこと(⇒第1回参照),第2に,他人の権利や将来侵害される権利については,適切な訴訟追行が期待できないことです。後者については,民事訴訟法の当事者適格の議論でも,同様の論証がありましたね。


(2) 例外その1:特定の第三者の権利の主張適格

これに対する例外として,①特定の第三者の権利の主張適格,②不特定の第三者の権利の主張適格の2つがあります。
 特定の第三者の権利の主張適格とは,当該処分により,現実に特定の第三者の権利が侵害されているような場合,当事者がこれを援用できるか,という問題です。他方,不特定の第三者の権利の主張適格とは,具体的に特定の第三者の権利が侵害されているとはいえないが,観念上の第三者や,将来侵害されるであろう第三者の権利について,具体的な権利侵害が発生する前に当事者が援用できるか,という問題です。
 この2つはしっかり区別しておいてください。平成23年出題趣旨1頁も,「ユーザーは不特定多数の第三者であるので,特定の第三者に関する判例を根拠にX社がユーザーの「知る自由」を理由に違憲主張できるとするのは,不適切であり,不十分である。」として,しっかり区別しなさいとのメッセージを発信しています。

 特定の第三者の権利の援用は,①司法消極主義及び②適切な訴訟追行の確保の観点から,原則として認められません。例外的に認められるのは,これらの趣旨が妥当しない場合,換言すれば,①司法消極主義であるべきではない場合,②適切な訴訟追行が期待できる場合でしょう。

すなわち,ⅰ萎縮効果を早期に除去する必要がある場合や,ⅱ第三者が独立に自己の憲法上の権利侵害を主張する実際的可能性(後訴提起可能性)がない場合は,①司法消極主義は妥当しません。なぜなら,ⅰ萎縮効果が既に発生しているのであれば,現に適法な表現行為が差し控えられており,民主主義の過程そのものに瑕疵があるのですから,瑕疵ある民主主義を尊重する理由はありません。また,ⅱ第三者の後訴提起可能性がないのであれば,当該論点は,将来問題になることはありませんから,現在争う実益があるといえます。
また,ⅲ当事者の訴訟における利益の程度が強い場合や,ⅳ援用者と第三者との関係(人的関係)が密接な場合,②適切な訴訟追行を期待することができます。すなわち,ⅲ訴訟に利益があるならば,当然当事者は自己に有利な判決を求めるでしょうし,ⅳ人的関係が密接な場合も同様でしょう。
このように,「当事者の訴訟における利益の程度,援用される憲法上の権利の性質,援用者と第三者との関係,第三者が独立に自己の憲法上の権利侵害を主張する実際的可能性」を考慮して,総合的に判断することになるでしょう(芦部『憲法訴訟の理論』,読本318頁参照)※3-1。学説は,特に後訴提起可能性を重視しているようです(大石和彦「争点」278頁)。
この点については,◆3-1【判例を読む】第三者所有物没収事件を読んで,理解を深めてください。

※3-1 オウム真理教解散命令抗告審決定(東京高決平7・12・19判時1548-26)も,宗教団体が信者の信教の自由を援用できるかに関して,類似の枠組みを採用している。が,同事件の最高裁決定(最決平8・1・30民集50-1-199)【百選Ⅰ42】は,主張適格につき論点として扱わず,信者の信教の自由を考慮している。


(3) 例外その2:不特定の第三者の主張適格

 これに対して,不特定の第三者の権利の主張適格の場合,特定の第三者と異なり,個別具体的な関係を検討することは難しいでしょう。
そのためか,これが認められるのは,萎縮効果を早期に除去する必要があるという,別の理由が用いられます。
実は,この理論こそが,かの有名な「過度の広汎性ゆえに無効の法理」と呼ばれるものなのです。「過度の広汎性ゆえに無効の法理」とは,「法文は一応明確でも,規制の範囲があまりにも広汎で違憲的に適用される可能性のある法令も,その存在自体が表現の自由に重大な脅威を与える点で,不明確な法規の場合と異ならない」として,「合理的な限定解釈(それには厳格な枠がある)によって法文の漠然不明確性が除去されないかぎり,かりに当該法規の合憲的適用の範囲内にあると解される行為が争われるケースでも,原則として法規それ自体が違憲無効(文面上無効)となる」と紹介されています(芦部197頁)。
つまり,「当事者との関係では合憲であっても,誰かさんとの関係では違憲になるような過度に広汎な立法である場合,全体として違憲無効だから,当事者は救済されます」という意味があります。具体的には,広島市暴走族追放条例事件を例にすると,「暴走族である被告人Xとの関係では合憲だが,同条例の処罰範囲に,ゴールデンボンバーのコスプレをして『女々しくて』のダンスを踊る不特定のYの行為まで含まれる可能性があるため,条例全体が違憲である」という主張が許されることになります。
正直,かなり難しいことを書いているので,◆3-2【判例を読む】広島市暴走族追放条例事件を読んで理解を深めてください。


(4) 例外の例外:可分性の法理
 もっとも,第三者の主張的が認められたとしても,そこで安心してはいけません。主張適格が認められるためには,その上で,可分性の法理をクリアする必要があります。
可分性の法理とは,当該処分の根拠条文(=適用条項)とは異なる条文の文言,条文又は法令の憲法適合性が問題となっている場合,問題となる条文が可分であれば,当該条文が違憲であると主張する適格を認めないというものです。その理由は,もちろん司法消極主義にあります。すなわち,問題となる条文が違憲であるとしても,当該条文のみが違憲となっても,処分の根拠条文は残存するため,当該条文に対する憲法適合性の審査は無意味です。
 ですから,適用条項と異なる条文が違憲であるとの主張をするためには,当該条文がなくなれば法律が全体として無効になる場合や,少なくとも適用条項も違憲となるような場合でなければなりません。
 その判断基準は,「法律の違憲的な部分が除去されてしまえば,議会は残りの有効な部分のみだけでは満足しなかったであろう蓋然性が明白か否か」によります(芦部『憲法訴訟の理論』(有斐閣・1973年)172~173頁)。
 なお,可分性の法理は,たとえ萎縮効果により広く主張適格が認められても,これを制限するように働く点に注意が必要です。このあたりも,◆3-3【判例を読む】札幌税関事件にて、同事件が審査した範囲を学習すると,より明確にイメージがつかめるでしょう。

● まとめ
 ・主張適格は「自己の権利が,直接,現在」制約されている場合に認められるのが原則
 ・主張適格が制限される趣旨は,①司法消極主義,②適切な訴訟通行を期待できないこと
 ・例外その1:特定の第三者の権利の主張適格は,以下の4要素を検討する。
  ⅰ萎縮効果を早期に除去する必要がある場合
  ⅱ第三者が独立に自己の憲法上の権利侵害を主張する実際的可能性(後訴提起可能性)がない場合
  ⅲ当事者の訴訟における利益の程度が強い場合
  ⅳ援用者と第三者との関係(人的関係)が密接な場合
  上記ⅰⅱは趣旨①が,ⅲⅳは趣旨②が妥当しない。
 ・例外その2:不特定の第三者の権利の主張適格は,委縮効果を除去する必要性がある場合に認められる(過度の広汎性ゆえに無効の法理)。
 ・例外の例外:適用条項と異なる条文が違憲であるとの主張をするためには,当該条文がなくなれば法律が全体として無効になる場合や,少なくとも適用条項も違憲となるような場合でなければならない(過分性の法理)。


● 次回予告
 第4回は「違憲審査基準論」です。お楽しみに。