社長の心得―「自信を持て」は無責任か?

 

東京オリパラ大会が近い。

スポーツでも仕事でも、「自信」を持ってやることは大切なことである。

「自」とは自分のこと、「信」とは信じること。だから、自信を持つ、とは自分の能力等々を信じていることになる。

何についてでもよい。

 

例えば、野球の投手であれば球速、制球力、変化球の切れ、

二死満塁一発逆転の場面での図太さ等々何でもよいのである。

「権藤・権藤・雨・権藤・・・」の(この言葉を知っている人はかなりの野球好きか、

人生のベテランの人だろう)野球の権藤博さんの書くものが好きでコラムをよく読む。

 

権藤さんが言うには、投手の自信はマウンドで結果を出すことでしか得られない、

監督やコーチがいくら自信を持って投げろといっても無駄だという。真実である。

それでは「自信を持て」と言わないで「自信を持たせる」にはどうするか?

「権藤監督・コーチ」のコーチになったつもりで「自信を持たせる」方策を一つ。

 

「昔話になるが、私が社会人のブリヂストンタイヤからプロ入りした際の自信も、

自分の中の手応えから出たものだった。

 社会人の先輩の日通・堀本律雄さんの投球を見たとき、これなら投げ合っても負けないと思った。

 

その堀本さんが1年先にプロ(巨人)入りして即29勝。だったら俺も半分くらい勝てるだろう、と考えた。

半分というのは打線との巡りあわせ次第で、好投しても勝ちがつくとは限らないから、

控えめに見積もっただけのこと・・・一番の支えとなったのは内からわき出たものだった。

何の裏付けもないまま、人に『自信をもってやれ』などとアドバイスするのは無駄であるともいえる。

野球の指導者であれ、会社の上役であれ同じこと」(日経新聞平成2983日付 悠々球論)。

 

内心から「自信」がわき出るようになるのが難しいのですよ。

でも権藤さんがヒントを与えてくれている。

権藤さん自身は「自分と堀本さんとを比べて」自信をもったんですよね。

 

それならコーチや監督がその選手の優れている点を見つけ他の選手と比べてやればいいのではないですか?

「自信を持て」と言葉を使ってね、しかし、「コトバ」というのは「リクツ」だから、

繰り返し、繰り返し、繰り返し「自信を持て」と言いながら、著名な選手と「比べて」やるんですね。

 

自信は内心からわいてくるものであって、「比べる」のではないのですが・・・

比べることは、他人である監督・コーチのすることなのです・・・

自信をつける方法を自分で見つけた野球人がいますが、次の機会に・・・(H.I)