私が、今までこどもや母子をテーマにして撮っていたのに、なぜ女性一人を撮り始めたのか。

実は私が去年、撮ってもらったんです。
それに大感動して。
私の知らない顔。表情。
強い強い意志のある、私自身が初めて見る自分の表情でした。きっと、誰にも見せてない顔。
顔のパーツであったり、造形が、でなく、説明しにくいのだけど、もっと違ったところで、すごく客観的に

あ。きれいだ…

そう思った。
それって『綺麗』ということにキャピキャピした気持ちを感じるのでなく、
すっごく、お腹の奥にずしっとくる、感動だった。

コンプレックスがなくなったわけでない。
相変わらず鼻ぺちゃだし、皺もあるしシミもあるし、いつもの私なんだけど、

全っ然顔が違った。

その時の「その人」を引き出す撮影の仕方。
撮影時の、ゆるゆるとしてるけど静かな緊張感と、
水の波紋を伝え合うような撮影のやり取りが本当に心地よくて。

あんな撮り方ができる写真家になりたい。

まるでセラピーを受けてるようでした。
否定も過度な肯定もない。
私のテリトリーというか、私を人間として尊重してくれてる。
自分が背負っているもの、色んなことを許してもらえたような気すらしました。

そのときの写真は、

これまでの人生の証明であり、これからの人生の決意表明でもあって、

私の宝物です。

私の撮影のやり方とは全然違っているし、憧れるけれど、私にはきっとまだ早いと思っています。
今まで積み上げてきたものが、違いすぎるし、人生経験も違う。

私はキレイと思ったら、

「きれいー!!!それそれ!いいー!」って叫んじゃうし、

本当にワチャワチャうるさいのだけど、それも私の個性かな、と。

ただ、私は、あのとき自分が感じた感動を同じように感じてもらうのが目標。
目指してるのはそこだからこそ、私は今の私ができることを。

撮られる人の大事にするもの、人生の価値観、コンプレックスを知って理解して、共感することから。
私ができるベストはどんな写真だろうって考えていきます。

女性の、
母でも妻でも、娘という立場もない。
自分のための自分を知る写真。
人生の第2章の始まりの写真。

人生の中で、立場も体も、多くの変化がある女性だからこそ意味を持つ写真なんじゃないかと思うんだよね。

 

 

 

撮影時は、アート制作1作品、

さわやかポートレート1作品となります。