ミマキイリヒコ

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Wikipediaより

崇神天皇(すじんてんのう、開化天皇10年 - 崇神天皇68年12月5日)は、『古事記』『日本書紀』に記される第10代天皇(在位:崇神天皇元年1月13日 - 同68年12月5日)。

和風諡号は『日本書紀』では御間城入彦五十瓊殖天皇みまきいりびこいにえのすめらのみこと。四道将軍を派遣して支配領域を広げ、課税を始めて国家体制を整えたことから御肇國天皇はつくにしらすすめらのみことと称えられる。『古事記』では御真木入日子印恵命みまきいりひこいにえのみこと

 

 

調べものをしていて、崇神天皇の事でどこかのHPに飛び、御間城入彦五十瓊殖天皇 この文字をたどたどしく

み ま き・・・いりひこ?まで読んでぎゃーって言っちゃいました。

 

脳内でしょっちゅうコールされてる名前だったからです。

前にも調べて、崇神天皇の和風諡号だと認識はしてましたが、三歩歩いたら忘れる勢いで記憶になかった。

 

神武天皇の御名カムヤマトイワレヒコは、寝ているときにうるさくコールされましたが、

ミマキイリヒコは起きているときに頭の中をぐるぐるする名前です。

なにか御用でしょうか真顔

物部系神社についても少しだけ調べていると、越後一宮 弥彦神社の御祭神 アメノカグヤマノミコト 

ではなくて、本来こちらが最初に祀られたのでは?という大彦命の娘が崇神天皇の皇后、ということに

なっています。御間城姫。

 

崇神天皇の御代、疫病が流行。そのため宮中に旧来祀られていた天照大神と大和大国魂命を皇居の外に出した。

祭政一致の古代国家では、ない話ではありません。

手に負えない厄災が国家に降りかかった際には、

それまで信仰してきた神を捨てるんざます。

崇神天皇の御代では、恐らく前政権?が信仰していたオオモノヌシノカミを丁重にお祀りし、疫病は収まった。

 

天照大神は、宮中から追放されて、ざっくり言うと暴れた模様です。

元伊勢○○神社、という神社は天照大神にお鎮まり頂けなかった神社。

スピが大好きな籠神社もそうですね。

87年(だったと思う)各地を転々とした挙句、ようやく伊勢の地にお鎮まり頂いた。

伊勢神宮外宮に祀られる豊受大神は、想像だけど、良く言ってお目付け役なのかもしれません。

 

ミマキイリヒコは、アマテラスにとっては

おのれよくも追い出したなという相手なのかも。

あまり関わりたくない。

 

天照大神。聞いた話なのですが、天皇は長く伊勢神宮に正式に参らず、

明治に入ってから天皇や皇族が参拝するようになったのだとか。

熊野詣とか大好きだった天皇もいるのに、不思議ね。

徒歩(かち)でなければ有難味もないとかで、自ら歩いて熊野まで。

しかもしょっちゅう。

天照大神、自分ちのご先祖様と違ったんですか?

 

それとは違う話なのですが。

風水に四門というのがあるそうで、荒俣宏さんの本で知ったのですが。

京都を守護するための門。沖縄、小笠原、東北(鹿島。東北の入り口)、対馬。

沖縄の久高島には秋篠宮さまがお忍びで行かれているという噂がありました。

小笠原には、今年紀子さまが悠仁さまを連れて行かれていましたね。

鹿島には当然行かれたことがあるでしょうし、鹿島神宮の御祭神と同じタケミカズチノミコトを祀った

春日大社へは二月に紀子さまと眞子さまが。

「紀子さま 春日大社参拝」の画像検索結果

神々しいお写真!って盛り上がりましたよね。

 

何かあるんだろうなと思います。

 

 

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