システムと個人 | Youth Worker見習いラフ(´・д・)のブログ

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若者の選択肢を拡げていくために、「既卒者カフェ」のこと,無認可中高一貫校の構想のこと,社会問題のことについて書いていきます。

昨日、FBでこんなのを読んだ。

村上春樹: 常に卵の側に
ハアレツに発表されたエルサレム賞での村上春樹スピーチ(原稿なのか書き起こしかは不明)です。



「埼玉県での退職金減額条例に伴う教員の早期退職問題」についての話の中で参考として、ある人が挙げていたのですが、僕が興味を持ったのは別の問題で。


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「高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ」


ええ、どんなに壁が正しくてどんなに卵がまちがっていても、私は卵の側に立ちます。何が正しく、何がまちがっているのかを決める必要がある人もいるのでしょうが、決めるのは時間か歴史ではないでしょうか。いかなる理由にせよ、壁の側に立って作品を書く小説家がいたとしたら、そんな仕事に何の価値があるのでしょう?




私が小説を書く理由はひとつだけです。個人的存在の尊厳をおもてに引き上げ、光をあてる事です。物語の目的とは、私たちの存在がシステムの網に絡みとられ貶められるのを防ぐために、警報を鳴らしながらシステムに向けられた光を保ち続ける事です。



今日みなさんにお知らせしたかった事はただひとつだけです。
私たちは誰もが人間であり、国籍・人種・宗教を超えた個人です。私たちはシステムと呼ばれる堅固な壁の前にいる壊れやすい卵です。どうみても勝算はなさそうです。壁は高く、強く、あまりにも冷たい。もし勝ち目があるのなら、自分自身と他者の生が唯一無二であり、かけがえのないものであることを信じ、存在をつなぎ合わせる事によって得られた暖かみによってもたらされなければなりません。

ちょっと考えてみて下さい。私たちはそれぞれ、実体ある生きる存在です。システムにはそんなものはありません。システムが私たちを食い物にするのを許してはいけません。システムがひとり歩きするのを許してはいけません。

システムが私たちを作ったのではないです。私たちがシステムを作ったのです。



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めっちゃ引用しましたが、興味を持ったのはこんな所かなと。

最近村上春樹をよく読んでいる理由がここらへんにあるかも。(カフカとか1Q84とか、風の歌を~とか、国境の南~とか)

一つ一つはなんだか何も解決していないように見える完結しない物語。
何も解決しないから村上春樹を読まない、という人もいる。

しかし、僕はなんだかそこに現実の世界を感じてしまう。
たいていの問題は、解決されない。はっきりとした答えが見つからないまま時間が進んでいく。



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村上春樹の話はこの辺にして、タイトルの「システムと個人」。

なんだか僕はいつもこのことに悩まされてきた気がする。

おかしいと思うことがあっても、巨大で煩雑すぎるシステムの前に苦渋の選択を迫られる。



◆初めに意識したのは、中学生の時。
部活にまとわりつく、余計な上下関係というシステム。

好きなサッカーをしていたからか、これはなんとか耐えた。


◆高校3年のとき
受験というシステム。

4択問題をひたすら解くという授業。
数学Bが授業で扱われることはなく、独学。


反発して授業を休みまくっていたら、『お前はできるからいいだろう』という言葉を吐かれた。


僕は教師を信用しなくなった。


大学に入学してから、中高一貫校では高3は丸々受験対策に当てたり、世を騒がせた「未履修問題」で行うべき授業を行わずに受験対策に当てていた、という話を聞いた。


…公平、不公平の話はしたくないが、不公平だと思った。今でもとても憤りを感じている。


◆大学後期~今
就職というシステム、日本で生活するというシステム(税金とか?)

働く時について回るシステムはとても厄介。
組織やシステムに対して、個人がとてつもなく弱い。

長時間労働とか違法残業がまかり通っているシステムでは、それにある程度迎合する必要がある。


先日は、既卒者カフェの運営者として声明文を発表させてもらった。


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文章が全然まとまらなかったが、システムと個人、もうちょっとうまくやっていけないかなあ。。


村上春樹の話に戻すと、僕は「常に卵側に立つ」つもりはない。
ただシステムは常に疑い続けるし、システムを疑わない人とはうまく付き合えない。




◆明日は、既卒者カフェの運営者として、「Crossover21」に参加させてもらいます。



官と民の壁、職種の壁、年齢の壁・・・

私たちの身の回りにある様々な目に見えない「壁」をCross-overし、

多様な「人財たち」がより良い社会の実現に向けて協働するきっかけを創り出す触媒、

それが官民協働ネットワーク Crossover21です。







※タイトルが気に入ったので参考に↓
沈黙しないという選択―村上春樹「エルサレム賞」受賞スピーチをめぐって(5)