第8回 エレカシ胎動記 ~「ガストロンジャー」から「俺たちの明日」まで~ | ラフラフ日記

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主に音楽について書いてます。

2004年1月、新宿コマ劇場に行った。これが私にとってはじめての「エレカシの新春ライブ」になるのか。2001年にも 1月にライブに行ったが、それはツアーだったし、「新春ライブ」を意識したのはこのときが最初かも。
新宿コマ劇場の雰囲気がそうさせたのもあった。主に演歌のコンサートが行われる会場で、序盤の「うつらうつら」や「優しい川」だったか、中盤だったか、前に会場を使っていた演歌歌手(細川たかしだったと思う)の残りであろう紙吹雪がひらひらと数枚舞い下りて来た。暗闇の中、一人スポットライトに照らされ歌う宮本の頭上に、ほんの数枚の紙吹雪がひらりひらりと偶然舞い下りてきた光景が、『浮世の夢』や『THE ELEPHANT KASHIMASHI Ⅱ』の曲調とあいまって、とても美しかった。儚げで、幻想的だった。

直前の COUNTDOWN JAPAN では全曲新曲をやったのに、今度は初期の曲ばかりやる。なんて極端なんだろう。でも、それ自体が目的ではなくて、実験を繰り返しながらエレファントカシマシのライブを探っているようでもあった。

会場が独特だったのもあり(新宿コマ劇場にはあれ以来行っていない)、なんだかとても不思議な空間で心に残っている。
騒がしいロックシーンから切り離されて、取り残されて、暗闇の中からぽっとエレファントカシマシだけ照らされたような。悲しいような暖かいような。浮世から取り残されたのか、あるいは浮世そのものか。
エレカシは、暗闇の底(ステージ)から世間を見上げていた。
この日披露された新曲も、時間が止まってしまったかのような瞬間を切り取った曲だった。夜明けを、夜明けを待っていた。

少し前から、エレカシはメディアにほとんど出なくなっていた。ロック歌手専念期。

翌々日、またも特別なライブがあった。バンドで活動するアーティストが「弾き語り」でステージに立つというイベント『ROCK YOU LIVE vol.5 ~QUIET RIOT~』。それに宮本がソロで出るという。オフィシャルには「宮本浩次初のソロ弾き語りライブ」とある。
共演者が、吉村秀樹(bloodthirsty butchers)、五十嵐隆(Syrup16g)、草野マサムネ+三輪テツヤ(スピッツ)。私がスピッツ(草野マサムネ+三輪テツヤ)を観たのはこの日がはじめてだったし、Syrup16g(五十嵐隆)もいて、本当に特別なイベントだった。前座にサンタラという二人組が出ていた。

宮本が一人でステージに立つ。一体どんなライブになるんだろうと待っていると、宮本は吉村秀樹の次に二番目で出てきた。

当時のメモのようなものがある。

「やはり一人だと落ち着かないのか、出てくるなり照れくさそう。しかし演奏し始めると、それまでの照れっぷりが嘘のように、物凄い気迫と感情移入ぶり。弾き語りに合う曲もあるだろうに、演奏されるのは次から次へと新曲で、バンドでこそ映えそうな曲ばかり。宮本が表現するに当たっては「バンド」が大前提なのだろう。そんなミスマッチな選曲もモノともせず、身振り手振りと忙しい宮本一人バンド状態は、この日一番の存在感を放っていた。特に、バンドがいないことによってできる「無音」の部分に、無言の圧力とも言うべき只ならぬオーラが漂っていてビビッてしまった。が、曲間になると、普段のライブでは絶対に見ることのできない照れ様で、宮本が持つ表情の豊かさに心地良く振り回されっぱなしだった」

「この日の出演者は、全員が各々の持つ宇宙の奥深さを見せ付けていた。そして本日のイベントは、出演者全員が「バンドの人」であることを逆説的に証明していた」


草野マサムネはエレカシを正座して聴いていたという話が有名だが、この日は特にエレカシについて話さなかったと思う(たぶん)。

とにかく、弾き語り用のライブではなくて、足を踏み鳴らしたり、「宮本一人バンド状態」だった。バンドの演奏が前提になってるから、それによってかえって「無音」の部分ができて、そこに、宮本の求める音が渦巻いているかのようだった。

ちなみに、この日はメンバーも来ていたそうだ。

この弾き語りイベントでも宮本(エレカシ)と五十嵐(Syrup16g)は共演していて、このころだったか、エレカシも好きで Syrup16g も好きな友達と “くまさん” こと熊谷昭のことをよく話していた。Syrup16g が所属する UKプロジェクトの代表 “daimasさん” といろいろやりとりをしているようで、熊谷昭が立ち上げたキークルーに Syrup16g が所属するとかで。熊谷昭はポニーキャニオンでエレカシを担当していた、エレカシと関わりの深い方で。その周辺に tobaccojuice というバンドもいて、私の周りのエレカシファンの間でひそかに盛り上がっていた。

そして 3月、シングル『化ケモノ青年/生きている証』発売後、アルバム『扉』発売。

扉
2,504円
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一曲目は、あの、ひたちなかで聴いた “れみしー” だった! 「歴史」。

“れっみっし~” は、“れっきっし~” になっていた。

歌われているのは、森鴎外の生涯。

こんなの聴いたことない!

でも、これこそ宮本浩次にしか書けない曲では?

しかし、ファンの友達との会話で、

「確かに面白い。うちらは好きだよ。けど、売れないだろうなぁ」

「ファンじゃない人はさ...」

「なんで森鴎外の歌詞にしちゃったんだよ~!」

……そっか。ダメなのか。ダメなのかこれ?

「いやさ、本屋で森鴎外フェアとかやるじゃん? そのときかけてもらうのはどう? 森鴎外ファンにはアピールできるんじゃないか?」

「いやいやいや……」

「………」

後に宮本も、これを森鴎外の歌詞にしてしまったところに自分の弱さがあったと言っていた。もっとポップになった、ポップに向き合えなかったと。
そういえば、宮本は『俺の道』のことも「声が笑っちゃってた」とか言ってたなあ。この冷静な分析力なあ。

でも、友達とのこんな会話は楽しかった。
それに、普段エレカシは聴かないコアな音楽好きの友達からは「森鴎外の歌詞の曲良いね!」って言われたんだ。

でも、こういう歌詞を書いても、それこそレキシみたいにならないところが凄いと思うんだよ。ネタにならないっていうか、本気で書いてるから。そっか、ファンもエレカシと同じ、真剣だったんだ。それに、森鴎外のことを書いてはいるけど、男の生涯のことだし。

二曲目の「化ケモノ青年」はライブで披露されたときから話題だった。
“酒持って来~い”
“あらお父さん、今夜は機嫌が悪いわ”
“…と母は思っただろう”

と、宮本一人何役、宮本一人芝居状態だったからだ。
“おい!” という掛け声や合いの手の手拍子もある。



「青春は終わった」と思った。

これまでのエレカシの作品にも「死」は出てきたけど、このアルバムからよりリアルになった感じがした。

渋い。パワーが四方八方に拡散していく感じではなく、照準が定まっている感じがする。静かなアルバムに感じた。暗闇の中の炎のように、静かに揺れている。

宮本の歌も穏やかな中に凄みがある。こんな歌い方もできるんだ?

はじまりでも終わりでもない瞬間。

過渡期の中で生まれた一瞬の自由みたいな。

でも最後は、また何度目かの航海に出るぞ!と奮い立つ。

5月、『扉』の制作過程に密着したドキュメンタリー映画『扉の向こう』が公開された。是枝裕和プロデュース。テレビでも深夜にテレビ版が放送された。

私は吉祥寺バウスシアターに観に行った。

アルバムにクレジットもされていたけれど、熊谷昭が宮本と何度も話していた。こんなに深く関わっていた方とは。(上記プロモにドキュメンタリー映画のシーンが出てきます)

そしてここで驚愕の事実を知る。

宮本は全財産を持ち逃げされていた。

2003年、『俺の道』を制作していたころか。そんな中できたなんて。むしろ奮い立つものなのだろうか。すごい。